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江の島の歴史
江の島歴史年表
江の島散策マップ
江の島の文化財
江の島を訪れた人々
資料種類しりょうしゅるい(大分類だいぶんるい):
資料種類しりょうしゅるい(中分類ちゅうぶんるい):
資料種類しりょうしゅるい(小分類しょうぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(大分類だいぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(中分類ちゅうぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(小分類しょうぶんるい):
作者さくしゃ(50音分類おんぶんるい):
作者さくしゃ:
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御幣山(おんべやま)遺跡(いせき)は境川(さかいがわ)左岸(さがん)、JR東海道線(とうかいどうせん)の藤沢駅(ふじさわえき)から北東(ほくとう)約(やく)700mに所在(しょざい)します。これまでに数次(すうじ)の発(はつ)調査(ちょうさ)がおこなわれており、旧石器時代(きゅうせっきじだい)の文化(ぶんか)層(そう)や弥生時代(やよいじだい)後期(こうき)から古墳時代(こふんじだい)前期(ぜんき)にかけての竪穴(たてあな)建物(たてもの)や土器(どき)がみつかっています。
御幣山(おんべやま)遺跡(いせき)
川名(かわな)森久(もりきゅう)遺跡(いせき)群(ぐん)は柏尾川(かしおがわ)左岸(さがん)、JR東海道線(とうかいどうせん)の藤沢駅(ふじさわえき)から南東(なんとう)約(やく)1kmに所在(しょざい)します。これまでの発掘調査(はっくつちょうさ)で古墳時代(こふんじだい)後期(こうき)の横穴墓(おうけつぼ)やそれに伴(ともな)う副葬品(ふくそうひん)、中世(ちゅうせい)のやぐらが確認(かくにん)されています。やぐらから出土(しゅつど)した板碑(いたび)には正中(しょうちゅう)二(に)年(ねん)(1325)の紀年(きねん)銘(めい)をもつものがあり、市内(しない)で出土(しゅつど)した板碑(いたび)の中(なか)で最古(さいこ)の紀年(きねん)銘(めい)をもつ板碑(いたび)となっています。
川名(かわな)森久(もりきゅう)遺跡(いせき)群(ぐん)
稲荷(いなり)台地(だいち)遺跡(いせき)群(ぐん)中郷(なかごう)遺跡(いせき)は、小田急電鉄(おだきゅうでんてつ)江ノ島線(えのしません)善行駅(ぜんぎょうえき)の南西(なんせい)約(やく)1.2km、旧(きゅう)藤沢飛行場(ふじさわひこうじょう)のあった標高(ひょうこう)50m前後(ぜんご)を測(はか)る稲荷(いなり)台地(だいち)と呼(よ)ばれる台地(だいち)の南側(みなみがわ)に広(ひろ)がる遺跡(いせき)です。 これまでに数次(すうじ)の発掘調査(はっくつちょうさ)がおこなわれ、旧石器時代(きゅうせっきじだい)の文化(ぶんか)層(そう)や第二次世界大戦(だいにじせかいたいせん)中(ちゅう)に使用(しよう)した滑走路(かっそうろ)・防空壕(ぼうくうごう)がみつかっています。
稲荷(いなり)台地(だいち)遺跡(いせき)群(ぐん)中郷(なかごう)遺跡(いせき)
立石(たていし)遺跡(いせき)は境川(さかいがわ)右岸(うがん)、小田急江ノ島線(おだきゅうえのしません)の善行駅(ぜんぎょうえき)から東方(とうほう)約(やく)1kmに所在(しょざい)します。これまでの発掘調査(はっくつちょうさ)で縄文時代(じょうもんじだい)前期(ぜんき)の貝塚(かいづか)や竪穴(たてあな)建物(たてもの)、古墳時代(こふんじだい)前期(ぜんき)の竪穴(たてあな)建物(たてもの)が確認(かくにん)されており、今後(こんご)の発掘調査(はっくつちょうさ)で集落(しゅうらく)がどのように展開(てんかい)するか期待(きたい)されます。
立石遺跡(たていしいせき)
遠藤(えんどう)広谷(ひろや)遺跡(いせき)は小出川(こいでがわ)左岸(さがん)、小田急江ノ島線(おだきゅうえのしません)の湘南台駅(しょうなんだいえき)から西方(せいほう)約(やく)2.5kmに所在(しょざい)します。これまでの発掘調査(はっくつちょうさ)で旧石器時代(きゅうせっきじだい)の文化(ぶんか)層(そう)や縄文時代(じょうもんじだい)草創(そうそう)期(き)から後期(こうき)にかけての竪穴(たてあな)建物(たてもの)や土器(どき)・石器(せっき)が出土(しゅつど)しています。
遠藤(えんどう)広谷(ひろや)遺跡(いせき)
明治時代(めいじじだい)になると西洋化(せいようか)が進(すす)み、日本(にほん)の文化(ぶんか)や習慣(しゅうかん)が変化(へんか)します。この現象(げんしょう)を文明開化(ぶんめいかいか)といい、この双六(すごろく)には、文明開化(ぶんめいかいか)の象徴(しょうちょう)である「蒸気(じょうき)(機関(きかん))車(しゃ)(the steam locomotive)」や「人力車(じんりきしゃ)(rickshaws)」といった様々(さまざま)な種類(しゅるい)の車(くるま)がコマに描(えが)かれています。右下(みぎした)の振(ふ)り出(だ)し(The starting point)のコマに描(えが)かれているのは、「大砲(たいほう)車(しゃ)(たいほうしゃ)(車輪(しゃりん)の付(つ)いた移動(いどう)式(しき)の大砲(たいほう))」で、中央(ちゅうおう)の上(あが)り(The ending point)には「御所車(ごしょぐるま)(牛車(ぎゅうしゃ))」(ごしょぐるま)が描(えが)かれた、廻(まわ)り双六(すごろく)(Mawari Sugoroku: Touring Sugoroku Board Game)です。
流行(りゅうこう)車(くるま)尽(づく)し廻(まわり)双六(すごろく)
日本橋(にほんばし)を振(ふ)り出(だ)し、京(きょう)を上(あ)がりとしています。十返舎(じっぺんしゃ)一九(いっく)の『東海道中膝栗毛(とうかいどうちゅうひざくりげ)』の内容(ないよう)を描(えが)いた双六(すごろく)です。それぞれのこまに俳句(はいく)が添(そ)えられていますが、絵(え)の内容(ないよう)とはあまり関係(かんけい)が無(な)いようです。
東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)滑稽(こっけい)双六(すごろく)
江戸(えど)・恵比寿(えびす)屋(や)庄(しょう)七(なな)版(はん) 嘉永(かえい)5年(ねん)(1852年(ねん)) たて53.4 よこ74.8 日本橋(にほんばし)を振(ふ)り出(だ)し、京都(きょうと)が上(あ)がりとなっています。東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)の宿場(しゅくば)以外(いがい)にも、大森(おおもり)・四(よ)ツ谷(や)追分(おいわけ)などといった地点(ちてん)がマスの対象(たいしょう)されていて、神奈川宿(かながわしゅく)の新町(しんまち)から杉田(すぎた)・金沢(かなざわ)・鎌倉(かまくら)・江(え)の島(しま)を経(へ)て藤沢宿(ふじさわしゅく)へ戻(もど)るといったルートも組(く)み込(こ)まれています。 藤沢宿(ふじさわしゅく)の名物(めいぶつ)は「砂糖漬(さとうづけ)」とありますが、これは江戸時代(えどじだい)から藤沢宿(ふじさわしゅく)にあり現在(げんざい)も和菓子屋(わがしや)を続(つづ)けている豊島屋(としまや)(嘉永(かえい)2年(ねん)創業(そうぎょう)、現在(げんざい)の豊島屋本店(としまやほんてん)。もと砂糖(さとう)店(てん))が調製(ちょうせい)した浜防風(はまぼうふう)などの砂糖漬(さとうづ)けが参勤交代(さんきんこうたい)の土産(みやげ)として有名(ゆうめい)であったという話(はなし)と合致(がっち)します。浜防風(はまぼうふう)は海岸(かいがん)の砂地(すなじ)に自生(じせい)するセリ科(か)の植物(しょくぶつ)で、江戸(えど)から明治時代(めいじじだい)にかけて、湘南(しょうなん)地方(ちほう)の名産(めいさん)品(ひん)のひとつに挙(あ)げられていました。 また、藤沢(ふじさわ)の隣(となり)のマス「四(よ)ツ谷(や)追分(おいわけ)」には、今(いま)も残(のこ)る「大山道(おおやまみち)」の道標(どうひょう)や、大山(おおやま)に奉納(ほうのう)する木太刀(きだち)や、奉納(ほうのう)の酒(さけ)や大山(おおやま)でいただいた神水(じんずい)を運(はこ)ぶための御神酒(おみき)枠(わく)をかついだ大山(おおやま)詣(もう)での姿(すがた)が描(えが)かれています。
東海道(とうかいどう)遊歴(ゆうれき)双六(すごろく)