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江の島の歴史
江の島歴史年表
江の島散策マップ
江の島の文化財
江の島を訪れた人々
資料種類しりょうしゅるい(大分類だいぶんるい):
資料種類しりょうしゅるい(中分類ちゅうぶんるい):
資料種類しりょうしゅるい(小分類しょうぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(大分類だいぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(中分類ちゅうぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(小分類しょうぶんるい):
作者さくしゃ(50音分類おんぶんるい):
作者さくしゃ:
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今田(いまだ)遺跡(いせき)は、境川(さかいがわ)に面(めん)した標高(ひょうこう)30mの台地(だいち)の縁辺(えんぺん)部(ぶ)に位置(いち)します。ポンプ場(じょう)建設(けんせつ)にともなって、1989年(ねん)(平成元年(へいせいがんねん))から翌年(よくねん)にかけて発掘調査(はっくつちょうさ)が実施(じっし)されました。その結果(けっか)、旧石器時代(きゅうせっきじだい)の複数(ふくすう)時期(じき)にわたる文化(ぶんか)層(そう)をはじめ、中世(ちゅうせい)の掘立柱建物(ほったてばしらたてもの)や墓地(ぼち)などが確認(かくにん)されました。
今田(いまだ)遺跡(いせき)
東海道(とうかいどう)藤沢宿(ふじさわしゅく)遺跡(いせき)は境川(さかいがわ)の右岸(うがん)、小田急(おだきゅう)江(え)の島線(しません)の藤沢本町駅(ふじさわほんまちえき)から西方(せいほう)約(やく)200mに所在(しょざい)します。これまでに数次(すうじ)の発掘調査(はっくつちょうさ)がおこなわれており、江戸時代(えどじだい)に繁栄(はんえい)した藤沢宿(ふじさわしゅく)の様相(ようそう)が徐々(じょじょ)に解明(かいめい)されてきています。 特(とく)に6次(じ)調査(ちょうさ)でみつかった水路(すいろ)跡(あと)は文献(ぶんけん)上(じょう)からは確認(かくにん)されていなかった施設(しせつ)で、宿場(しゅくば)の流通(りゅうつう)を考(かんが)える上(うえ)で大変(たいへん)貴重(きちょう)な発見(はっけん)となりました。
東海道(とうかいどう)藤沢宿(ふじさわしゅく)遺跡(いせき)
御幣山(おんべやま)遺跡(いせき)は境川(さかいがわ)左岸(さがん)、JR東海道線(とうかいどうせん)の藤沢駅(ふじさわえき)から北東(ほくとう)約(やく)700mに所在(しょざい)します。これまでに数次(すうじ)の発(はつ)調査(ちょうさ)がおこなわれており、旧石器時代(きゅうせっきじだい)の文化(ぶんか)層(そう)や弥生時代(やよいじだい)後期(こうき)から古墳時代(こふんじだい)前期(ぜんき)にかけての竪穴(たてあな)建物(たてもの)や土器(どき)がみつかっています。
御幣山(おんべやま)遺跡(いせき)
川名(かわな)森久(もりきゅう)遺跡(いせき)群(ぐん)は柏尾川(かしおがわ)左岸(さがん)、JR東海道線(とうかいどうせん)の藤沢駅(ふじさわえき)から南東(なんとう)約(やく)1kmに所在(しょざい)します。これまでの発掘調査(はっくつちょうさ)で古墳時代(こふんじだい)後期(こうき)の横穴墓(おうけつぼ)やそれに伴(ともな)う副葬品(ふくそうひん)、中世(ちゅうせい)のやぐらが確認(かくにん)されています。やぐらから出土(しゅつど)した板碑(いたび)には正中(しょうちゅう)二(に)年(ねん)(1325)の紀年(きねん)銘(めい)をもつものがあり、市内(しない)で出土(しゅつど)した板碑(いたび)の中(なか)で最古(さいこ)の紀年(きねん)銘(めい)をもつ板碑(いたび)となっています。
川名(かわな)森久(もりきゅう)遺跡(いせき)群(ぐん)
稲荷(いなり)台地(だいち)遺跡(いせき)群(ぐん)中郷(なかごう)遺跡(いせき)は、小田急電鉄(おだきゅうでんてつ)江ノ島線(えのしません)善行駅(ぜんぎょうえき)の南西(なんせい)約(やく)1.2km、旧(きゅう)藤沢飛行場(ふじさわひこうじょう)のあった標高(ひょうこう)50m前後(ぜんご)を測(はか)る稲荷(いなり)台地(だいち)と呼(よ)ばれる台地(だいち)の南側(みなみがわ)に広(ひろ)がる遺跡(いせき)です。 これまでに数次(すうじ)の発掘調査(はっくつちょうさ)がおこなわれ、旧石器時代(きゅうせっきじだい)の文化(ぶんか)層(そう)や第二次世界大戦(だいにじせかいたいせん)中(ちゅう)に使用(しよう)した滑走路(かっそうろ)・防空壕(ぼうくうごう)がみつかっています。
稲荷(いなり)台地(だいち)遺跡(いせき)群(ぐん)中郷(なかごう)遺跡(いせき)
立石(たていし)遺跡(いせき)は境川(さかいがわ)右岸(うがん)、小田急江ノ島線(おだきゅうえのしません)の善行駅(ぜんぎょうえき)から東方(とうほう)約(やく)1kmに所在(しょざい)します。これまでの発掘調査(はっくつちょうさ)で縄文時代(じょうもんじだい)前期(ぜんき)の貝塚(かいづか)や竪穴(たてあな)建物(たてもの)、古墳時代(こふんじだい)前期(ぜんき)の竪穴(たてあな)建物(たてもの)が確認(かくにん)されており、今後(こんご)の発掘調査(はっくつちょうさ)で集落(しゅうらく)がどのように展開(てんかい)するか期待(きたい)されます。
立石遺跡(たていしいせき)
遠藤(えんどう)広谷(ひろや)遺跡(いせき)は小出川(こいでがわ)左岸(さがん)、小田急江ノ島線(おだきゅうえのしません)の湘南台駅(しょうなんだいえき)から西方(せいほう)約(やく)2.5kmに所在(しょざい)します。これまでの発掘調査(はっくつちょうさ)で旧石器時代(きゅうせっきじだい)の文化(ぶんか)層(そう)や縄文時代(じょうもんじだい)草創(そうそう)期(き)から後期(こうき)にかけての竪穴(たてあな)建物(たてもの)や土器(どき)・石器(せっき)が出土(しゅつど)しています。
遠藤(えんどう)広谷(ひろや)遺跡(いせき)
明治時代(めいじじだい)になると西洋化(せいようか)が進(すす)み、日本(にほん)の文化(ぶんか)や習慣(しゅうかん)が変化(へんか)します。この現象(げんしょう)を文明開化(ぶんめいかいか)といい、この双六(すごろく)には、文明開化(ぶんめいかいか)の象徴(しょうちょう)である「蒸気(じょうき)(機関(きかん))車(しゃ)(the steam locomotive)」や「人力車(じんりきしゃ)(rickshaws)」といった様々(さまざま)な種類(しゅるい)の車(くるま)がコマに描(えが)かれています。右下(みぎした)の振(ふ)り出(だ)し(The starting point)のコマに描(えが)かれているのは、「大砲(たいほう)車(しゃ)(たいほうしゃ)(車輪(しゃりん)の付(つ)いた移動(いどう)式(しき)の大砲(たいほう))」で、中央(ちゅうおう)の上(あが)り(The ending point)には「御所車(ごしょぐるま)(牛車(ぎゅうしゃ))」(ごしょぐるま)が描(えが)かれた、廻(まわ)り双六(すごろく)(Mawari Sugoroku: Touring Sugoroku Board Game)です。
流行(りゅうこう)車(くるま)尽(づく)し廻(まわり)双六(すごろく)