Fujisawa Net Museum

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平成(へいせい)31(ねん)(2019)2月1日(がつついたち)指定(してい)/面積約(めんせきやく)33平方(へいほう)メートル/舟地蔵(ふなじぞう)とその周辺(しゅうへん)町内会所有地(ちょうないかいしょゆうち)です。北条早雲(ほうじょうそううん)大庭城(おおばじょう)()めたとき、北条側(ほうじょうがわ)情報(じょうほう)提供(ていきょう)したが、(くち)ふさぎに()(ころ)された老婆(ろうば)供養(くよう)するため()てられたと(つた)わります。大庭城(おおばじょう)にまつわる歴史的(れきしてき/rt>)伝承(でんしょう)水田地帯(すいでんちたい)水利事情(すいりじじょう)(かか)わる伝承(でんしょう)としても重要(じゅうよう)です。石造物(せきぞうぶつ)としての舟地蔵(ふなじぞう)単体(たんたい)ではなく、県内(けんない)でも(ひろ)()られている伝承(でんしょう)舞台地(ぶたいち)意味(いみ)で、史跡(しせき)として指定(してい)されました。【参考(さんこう)永井路子(ながいみちこ)ほか『神奈川(かながわ)伝説(でんせつ)』(日本(にっぽん)伝説(でんせつ)20、角川書店(かどかわしょてん)、1977)より引用(いんよう)藤沢市(ふじさわし)大庭(おおば)舟地蔵(ふなじぞう)というバス(てい)がありそばに(ふね)にのった地蔵様(じぞうさま)がある。()には(もち)だか団子(だんご)()っている。土地(とち)(ひと)は、このあたりをだんごくびりとよんでいる。永正九年(えいしょうくねん)(一五一二)の(なつ)大庭(おおば)()てこもった上杉朝興(うえすぎともおき)は、北条早雲(ほうじょうそううん)とここで(たたか)った。北条軍(ほうじょうぐん)(じん)大庭城(おおばじょう)(あいだ)には引地川(ひきじがわ)がつくった大沼(おおぬま)があり(ふね)でなければ()めることができなかった。北条軍(ほうじょうぐん)は、いまいましそうに(ぬま)をにらんでいた。そんなある()(ぬま)(ちか)くの茶店(ちゃみせ)にひとりの(たび)(もの)()()って(ばば)さまと世間話(せけんばなし)をした。(たび)(もの)は、この(ぬま)(みず)()れるときがないのかときくと、(ばば)さまは、(ぬま)(みず)()(みず)でなく引地川(ひきじがわ)(みず)()()れているので取入口(とりいれぐち)(せき)()(した)(せき)(ひら)けば(みず)はなくなると(おし)えた。その旅人(たびびと)北条軍(ほうじょうぐん)武士(ぶし)であった。その(よる)茶店(ちゃみせ)(ばあ)さんと堰番(せきばん)(ころ)され、大庭城(おおばじょう)()ならずして北条軍(ほうじょうぐん)(ぬま)()えての夜襲(やしゅう)()ちたという。村人(むらびと)はこのことを()って「やさしい(ばあ)さんだったがつい北条(ほうじょう)武士(ぶし)口車(くちぐるま)にのってしまったのだ」と、何年(なんねん)かたって(ばば)さまを供養(くよう)する地蔵様(じぞうさま)()てた。(ふね)()せて極楽浄土(ごくらくじょうど)(おく)るという舟地蔵(ふなじぞう)をつくったという。所管(しょかん)表郷町内会(おもてごうちょうないかい)

大庭(おおば)(ふな)地蔵(じぞう)伝承(でんしょう)()



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