ふりがな
江の島の歴史
江の島歴史年表
江の島散策マップ
江の島の文化財
江の島を訪れた人々
資料種類しりょうしゅるい(大分類だいぶんるい):
資料種類しりょうしゅるい(中分類ちゅうぶんるい):
資料種類しりょうしゅるい(小分類しょうぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(大分類だいぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(中分類ちゅうぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(小分類しょうぶんるい):
作者さくしゃ(50音分類おんぶんるい):
作者さくしゃ:
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狂歌(きょうか):ふみ込(こめ)は 草(くた)臥(びれた)足(あし)も 直(なお)るかや 三里(さんり)たけなる 由井(ゆい)川(がわ)の水(みず)(結城亭雛機) 由井(ゆい)宿(しゅく)の西(にし)を流(なが)れる由(ゆ)井川(いがわ)(由比川(ゆいがわ))の景色(けしき)を描(えが)いています。由(ゆ)井川(いがわ)では夏(なつ)は徒歩(かち)渡(わた)しで渡(わた)り、冬(ふゆ)は仮(かり)橋(はし)が架(か)けられました。画(が)中(ちゅう)でも、冬(ふゆ)の浅(あさ)い川(かわ)に仮(かり)橋(はし)が架(か)けられ、荷物(にもつ)を担(かつ)いだ人足(にんそく)が急(いそ)いで渡(わた)る様子(ようす)が描(えが)かれています。左(ひだり)奥(おく)に蛇行(だこう)しながら続(つづ)く川面(かわも)が、画面(がめん)に奥行(おくゆ)きを与(あた)えています。
東海道五拾三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ) 由井(ゆい) 由(ゆ)井川(いかわ)(狂歌(きょうか)入(にゅう)東海道(とうかいどう))
狂歌(きょうか):花(はな)の旅(たび) 駕(かご)(かご)をつらせて ゆたゆたと うばか江尻(えじり)に 見(み)ゆる児(ちご)(ちご)ばし(花垣家寿子) 江尻宿(えじりしゅく)の西(にし)はずれから富士山(ふじさん)方向(ほうこう)を見(み)た風景(ふうけい)と思(おも)われます。人々(ひとびと)が行(い)き交(か)う街道(かいどう)を手前(てまえ)にして、奥(おく)には田園(でんえん)が広(ひろ)がり、中(ちゅう)景(けい)の山々(やまやま)のさらに奥(おく)に富士山(ふじさん)の姿(すがた)が見(み)えます。富士山(ふじさん)との境界(きょうかい)にたなびく雲(くも)を配(はい)することで、距離(きょり)と空間(くうかん)の広(ひろ)がりを表現(ひょうげん)しています。
東海道五拾三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ) 江尻(えじり)(狂歌(きょうか)入(にゅう)東海道(とうかいどう))
狂歌(きょうか):たび人(びと)も こひをするのが 二(に)丁(ちょう)まち おもひはふじの 雪(ゆき)とつむらじ(皎月楼演子) 安倍川(あべかわ)近(ちか)くにあった二(に)丁(ちょう)町(まち)の遊郭(ゆうかく)の賑(にぎ)わいの様子(ようす)です。画面(がめん)上部(じょうぶ)のぼかしには月(つき)が浮(う)かぶように描(えが)かれています。
東海道五拾三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ) 府中(ふちゅう) 二(に)丁(ちょう)町(まち)廓(くるわ)の図(ず)(狂歌(きょうか)入(い)り東海道(とうかいどう))
狂歌(きょうか):通(とお)りぬけ するかごもあり とまつたり 神楽(かぐら)のきよくの まりこ宿(しゅく)とて(松園庵芝守) 鞠子(まりこ)(丸子(まりこ))宿(しゅく)といえば、とろろ汁(じる)が有名(ゆうめい)です。画(が)中(ちゅう)にも茶屋(ちゃや)でとろろ汁(じる)を食(しょく)している旅人(たびびと)の姿(すがた)が見(み)えます。店内(てんない)には、浮世絵(うきよえ)と思(おも)われる絵画(かいが)が飾(かざ)ってあり、江戸(えど)後期(こうき)において浮世絵(うきよえ)が一般的(いっぱんてき)に普及(ふきゅう)していたことが伺(うかが)える作品(さくひん)でもあります。
東海道五拾三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ) 鞠子(まりこ)(狂歌(きょうか)入(い)り東海道(とうかいどう))
狂歌(きょうか):草(くた)臥(びれ)て こしをうつゝの うつの山(やま) 岡部(おかべ)のやどに 夢(ゆめ)もむすばず(春富亭満葉) 鞠子(まりこ)(丸子(まりこ))宿(しゅく)から岡部宿(おかべしゅく)へ向(む)かう途中(とちゅう)には、宇津(うつ)の山(やま)とよばれる峠(とうげ)道(みち)を越(こ)えます。画面(がめん)手前(てまえ)の山肌(やまはだ)は明(あか)るい色彩(しきさい)、後景(こうけい)の山肌(やまはだ)には暗(くら)い色彩(しきさい)を施(ほどこ)し、彩度(さいど)の明暗(めいあん)で遠近(えんきん)感(かん)を表現(ひょうげん)しています。 このシリーズは図柄(ずがら)の中(なか)に狂歌(きょうか)が1首(しゅ)ずつ折(お)り込(こ)まれているために俗(ぞく)に「狂歌(きょうか)入(いり)東海道(とうかいどう)」と呼(よ)ばれています。
東海道五拾三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ) 岡部(おかべ) 宇津(うつ)ノ山(やま)ノ図(ず)(狂歌(きょうか)入(い)り東海道(とうかいどう))
狂歌(きょうか):口(くち)なしの 色(いろ)をばよそに かしましく あきなふ妹(いも)が 瀬戸(せと)の染(そめ)飯(いい)(清室真寿美) 藤枝宿(ふじえだしゅく)の西側(にしがわ)に位置(いち)する瀬戸川(せとがわ)を、旅人(たびびと)たちが人足(にんそく)に背負(せお)われて渡(わた)る様子(ようす)が描(えが)かれています。 狂歌(きょうか)にある染(そめ)飯(いい)とは、瀬戸川(せとがわ)ちかくの茶屋(ちゃや)の名物(めいぶつ)で、炊(た)いた餅米(もちごめ)をクチナシで黄色(きいろ)く染(そ)めてすりつぶし、小判(こばん)型(がた)に薄(うす)くのばして乾燥(かんそう)させ、蒸(む)したものです。 このシリーズは図柄(ずがら)の中(なか)に狂歌(きょうか)が1首(しゅ)ずつ折(お)り込(こ)まれているために俗(ぞく)に「狂歌(きょうか)入(いり)東海道(とうかいどう)」と呼(よ)ばれています。
東海道五拾三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ) 藤枝(ふじえだ)(狂歌(きょうか)入(い)り東海道(とうかいどう))
狂歌(きょうか):大井川(おおいがわ) 渡(わた)りいそげば 宿(やど)の名(な)の 妹(いも)がしまだの 目(め)にはとまらず(森泉亭広規) 島田宿(しまだしゅく)と金谷宿(かなやしゅく)の間(あいだ)を流(なが)れる大井川(おおいがわ)の風景(ふうけい)です。後景(こうけい)に富士山(ふじさん)が見(み)えることから、金谷(かなや)側(がわ)から描(えが)いていることがわかります。大井川(おおいがわ)は川幅(かわはば)が広(ひろ)いうえに川筋(かわすじ)が一定(いってい)しないため川(かわ)留(ど)めも多(おお)く、東海道(とうかいどう)一(いち)の難所(なんしょ)として知(し)られていました。また、画面(がめん)手前(てまえ)の一行(いっこう)は、駕籠(かご)のまま人足(にんそく)に運(はこ)ばれる様子(ようす)や、運(はこ)ばれる荷物(にもつ)などから、大名行列(だいみょうぎょうれつ)の川越(かわご)えであることがわかります。 このシリーズは図柄(ずがら)の中(なか)に狂歌(きょうか)が1首(しゅ)ずつ折(お)り込(こ)まれているために俗(ぞく)に「狂歌(きょうか)入(いり)東海道(とうかいどう)」と呼(よ)ばれています。
東海道五拾三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ) 島田(しまだ)(狂歌(きょうか)入(い)り東海道(とうかいどう))
狂歌(きょうか):大井川(おおいがわ) 渡(わた)る金谷(かなや)に 旅(たび)ごろも 雲(くも)と水(みず)とに 身(み)をまかせけり(関口俊吉) 大井川(おおいがわ)の金谷(かなや)側(がわ)の渡(わた)し場(ば)が描(えが)かれています。画面(がめん)右(みぎ)には荷物(にもつ)や人(ひと)を乗(の)せる平(たいら)輦台(れんだい)が立(た)てかけられています。人足(にんそく)から受(う)け取(と)る荷物(にもつ)から、「島田(しまだ)」の場面(ばめん)と同(おな)じく大名行列(だいみょうぎょうれつ)の川越(かわごえ)えであることがわかります。 このシリーズは図柄(ずがら)の中(なか)に狂歌(きょうか)が1首(しゅ)ずつ折(お)り込(こ)まれているために俗(ぞく)に「狂歌(きょうか)入(いり)東海道(とうかいどう)」と呼(よ)ばれています。
東海道五拾三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ) 金谷(かなや)(狂歌(きょうか)入(い)り東海道(とうかいどう))