ふりがな
江の島の歴史
江の島歴史年表
江の島散策マップ
江の島の文化財
江の島を訪れた人々
資料種類しりょうしゅるい(大分類だいぶんるい):
資料種類しりょうしゅるい(中分類ちゅうぶんるい):
資料種類しりょうしゅるい(小分類しょうぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(大分類だいぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(中分類ちゅうぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(小分類しょうぶんるい):
作者さくしゃ(50音分類おんぶんるい):
作者さくしゃ:
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馬(うま)と共(とも)に武者(むしゃ)を描(えが)いたシリーズで、小栗判官(おぐりはんがん)の愛馬(あいば)としては鬼(おに)鹿毛(かげ)(おにかげ)のエピソードが紹介(しょうかい)されています。 上部(じょうぶ)に書(か)かれた詞書(ことばがき)を読(よ)むと、「小栗判官(おぐりはんがん)が山賊(さんぞく)に毒(どく)の酒(さけ)を飲(の)まされそうになったものの、酔(よ)った振(ふ)りをして逃(に)げた。山賊(さんぞく)は鬼(おに)鹿毛(かげ)を奪(うば)い三河(みかわ)(みかわ)まで走(はし)るが、その後(ご)小栗(おぐり)に討(う)たれた。」ということが書(か)かれています。なお、説教(せっきょう)節(ぶし)では鬼(おに)鹿毛(かげ)は人(ひと)を食(く)らう恐(おそ)ろしい馬(うま)とされており、小栗(おぐり)はその鬼(おに)鹿毛(かげ)を乗(の)りこなしたという逸話(いつわ)が有名(ゆうめい)です。遊行寺(ゆぎょうじ)には鬼(おに)鹿毛(かげ)のお墓(はか)もあります。
武英(ぶえい)名馬(めいば)競(くらべ) 小栗(おぐり)小次郎(こじろう)助重(すけしげ)
「鴫(しぎ)立澤(たつざわ)」と刻(こく)された碑(ひ)の前(まえ)を行列(ぎょうれつ)が通(とお)っています。平安時代(へいあんじだい)の歌人(かじん)である西行(さいぎょう)(さいぎょう)は、この辺(あた)りの海岸(かいがん)を見(み)て歌(うた)を詠(よ)みました。その後(ご)、歌(うた)が詠(よ)まれた当時(とうじ)の面影(おもかげ)を残(のこ)す景色(けしき)の良(よ)い場所(ばしょ)に碑(いしぶみ)が建(た)てられました。画(が)中(ちゅう)でも、画面(がめん)右(みぎ) の碑(ひ)の前(まえ)に、俳人(はいじん)らしき人物(じんぶつ) が行列(ぎょうれつ)に土下座(どげざ)をしている姿(すがた)が見(み)えます。
東海道(とうかいどう)名所(めいしょ)之(の)内(うち) 鴫(しぎ)立澤(たつざわ)
梅澤(うめざわ)(うめざわ)は、山西(やまにし) 村(むら)(現在(げんざい)の二宮町(にのみやまち))にあった東海道(とうかいどう)の立場(たてば)(たてば)()です。次(つぎ)の小田原宿(おだわらしゅく)との間(あいだ)を流(なが)れる酒匂川(さかわがわ)(さかわがわ)が、たびたび増水(ぞうすい)し川留(かわど)(かわど)め(通行(つうこう)禁止(きんし)となること)となるので、この梅澤(うめざわ)で休憩(きゅうけい)する旅人(たびびと)で賑(にぎ)わったそうです。
東海道(とうかいどう)名所(めいしょ)之(の)内(うち) 梅澤(うめざわ)
徒歩(かち)渡(わた)し(かちわたし)が行(おこな)われている酒匂川(さかわがわ)に橋(はし)が架(か)けられています 。後景(こうけい)には箱根(はこね)の二子山(ふたごやま)(ふたごやま)がみえます。
東海道(とうかいどう)名所(めいしょ)之(の)内(うち) 酒匂川(さかわがわ)
波(なみ)が大(おお)きなうねりを上(あ)げている 海沿(うみぞ)いの街道(かいどう)を行列(ぎょうれつ)が通(とお)っています。画面(がめん)左(ひだり)奥(おく)の箱根山(はこねやま)のふもとには、松(まつ)の木(き)の間(あいだ)から小田原城(おだわらじょう)が見(み)えます。
東海道(とうかいどう) 小田原(おだわら)
池田(いけだ)遙邨(ようそん)(いけだようそん)(1895-1988)は岡山県(おかやまけん)で生(う)まれ、はじめ大阪(おおさか)で洋画(ようが)を学(まな)び、のち日本画(にほんが)を竹内栖鳳(たけうちせいほう)(たけうちせいほう)に師事(しじ)しました。 種田山頭火(たねださんとうか)(たねださんとうか)に傾倒(けいとう)し、山頭火(さんとうか)の姿(すがた)で旅(たび)をして回(まわ)り、各地(かくち)の風景(ふうけい)をスケッチに残(のこ)しました。歌川広重(うたがわひろしげ)に影響(えいきょう)を受(う)け、徒歩(とほ)による東海道(とうかいどう)の写生(しゃせい)旅行(りょこう)を行(おこな)い、何度(なんど)となく東海道(とうかいどう)を題材(だいざい)にした作品(さくひん)を描(えが)いています。本作(ほんさく)もそういった作品(さくひん)の一(ひと)つであると思(おも)われます。
題名(だいめい)不詳(ふしょう)(遊行寺(ゆぎょうじ)図(ず))
義経(よしつね)の武勇(ぶゆう)の逸話(いつわ)は多(おお)くありますが、その一(ひと)つ、一ノ谷(いちのたに)の逆(さか)落(お)としは、勇壮(ゆうそう)な構図(こうず)として格好(かっこう)の題材(だいざい)でした。
義経(よしつね)之(の)軍兵(ぐんぺい)一ノ谷(いちのたに)逆落(さかおと)し之(の)図(ず)
義経(よしつね)の幼名(ようみょう)は、牛若丸(うしわかまる)と言(い)い、義経記(ぎけいき)(ぎけいき)などの物語(ものがたり)によると幼少期(ようしょうき)の義経(よしつね)は、京都(きょうと)の鞍馬寺(くらまでら)で学問(がくもん)に精進(しょうじん)したとされます。そして「鞍馬(くらま)=天狗(てんぐ)」という発想(はっそう)から天狗(てんぐ)のもとで修行(しゅぎょう)したいう逸話(いつわ)が生(う)まれ画(が)中(ちゅう)でもカラス天狗(てんぐ)と剣術(けんじゅつ)の稽古(けいこ)をした場面(ばめん)が描(えが)かれています。
牛若丸(うしわかまる)