ふりがな
江の島の歴史
江の島歴史年表
江の島散策マップ
江の島の文化財
江の島を訪れた人々
資料種類しりょうしゅるい(大分類だいぶんるい):
資料種類しりょうしゅるい(中分類ちゅうぶんるい):
資料種類しりょうしゅるい(小分類しょうぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(大分類だいぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(中分類ちゅうぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(小分類しょうぶんるい):
作者さくしゃ(50音分類おんぶんるい):
作者さくしゃ:
フリーワード:
木版画(もくはんが)の彫師(ほりし)として制作活動(せいさくかつどう)を始(はじ)め、黒田清輝(くろだせいき)に師事(しじ)し、油彩画(ゆさいが)を習得(しゅうとく)している。大正末(たいしょうまつ)から欧米(おうべい)を旅(たび)し風景版画(ふうけいはんが)を多数(たすう)制作(せいさく)しています。同(おな)じく黒田門下(くろだもんか)の版画家(はんがか)ポール・()ジャクレー(Paul Jacoulet)の木版画(もくはんが)の彫(ほ)りを担当(たんとう)したこともあります。 遊行寺(ゆぎょうじ)では、現在(げんざい)でも遊行寺(ゆぎょうじ)の名物(めいぶつ)である大銀杏(おおいちょう)の紅葉(こうよう)が印象的(いんしょうてき)に描(えが)かれています。 日蓮(にちれん)ゆかりの龍口寺(りゅうこうじ)も、静謐(せいひつ)な境内(けいだい)を感(かん)じさせる黒瓦(くろがわら)の整然(せいぜん)とした姿(すがた)を見事(みごと)に描(えが)かれています。
日蓮(にちれん) 龍口寺(りゅうこうじ)
二代(にだい)広重(ひろしげ)による東海道(とうかいどう)シリーズの一枚(いちまい)です。「追分道(おいわけみち)」とあるのは、この地(ち)が東海道(とうかいどう)から大山道(おおやまみち)が分岐(ぶんき)しているためです。初代(しょだい)広重(ひろしげ)の蔦屋版(つたやばん)と同(おな)じ構図(こうず)ですが、茶屋(ちゃや)のにぎわいが見(み)てとれます。左端(ひだりはし)の「大山(おおやま)みち」と書(か)かれた不動明王像(ふどうみょうおうぞう)を戴(いただ)いた道標(どうひょう)は、現在(げんざい)も同地(どうち)に鎮座(ちんざ)しています。
東海道(とうかいどう)五拾(ごじゅう)三(さん)駅(つぎ) 藤沢(ふじさわ) 追分(おいわけ)道(みち)
富士(ふじ)と湖(みずうみ)を背景(はいけい)に、二代目(にだいめ)沢村訥升(さわむらとっしょう)演(えん)じる小栗判官(おぐりはんがん)と、三代目(さんだいめ)沢村田之助(さわむらたのすけ)演(えん)じる大蛇(だいじゃ)の精(せい)が描(えが)かれます。描(えが)かれた場面(ばめん)は、小栗判官(おぐりはんがん)が市原野辺(いちはらのべ)で横笛(よこぶえ)を奏(かな)で、その音(おと)を聴(き)いた池(いけ)に住(す)む大蛇(だいじゃ)が小栗(おぐり)の容姿(ようし)の麗(うるわ)しさに惚(ほ)れ込(こ)み、美(うつく)しい女(おんな)の姿(すがた)となって小栗(おぐり)の前(まえ)に現(あらわ)れたというものです。 題名(だいめい)に「藤沢(ふじさわ)」とありますが、物語(ものがたり)の舞台(ぶたい)である深泥ヶ池(みぞろがいけ)は京(きょう)、富士(ふじ)が大(おお)きく見(み)える湖(みずうみ)は山梨(やまなし)あたりの風景(ふうけい)を描(えが)いたものと考(かんが)えられます。
見立(みたて)富士(ふじ)十六(じゅうろく)景(けい) 藤沢(ふじさわ)
ちりめん絵(え)は一見(いっけん)小(ちい)さな錦絵(にしきえ)のように見(み)えますが、実(じつ)は和紙(わし)に摺(す)った普通(ふつう)の大(おお)きさの錦絵(にしきえ)を、棒(ぼう)に巻(ま)きつけ縮(ちぢ)めて作(つく)ったものです。近(ちか)くで見(み)ると、ちりめんに似(に)た細(こま)かい皺(しわ)があります。 ちりめん絵(え)は外国(がいこく)向(む)けのものとして量産(りょうさん)され、クレープ・ジャポン(ちりめん織(お)をフランス語(ご)でクレープと呼(よ)ぶ)、略(りゃく)してクレポンと呼(よ)ばれました。当時(とうじ)は比較的(ひかくてき)安価(あんか)に買(か)えたものであったらしく、画家(がか)のゴッホもちりめん絵(え)を多(おお)く集(あつ)めていたとされます。
東海道(とうかいどう)一(ひ)ト眼(め)千(せん)両(りょう) 沼津(ぬまづ) 黄瀬川(きせがわ)亀鶴(きかく)
東海道(とうかいどう)一(ひ)ト眼(め)千(せん)両(りょう) 見附(みつけ) 三(さん)作(さく)妹(いもうと)お辰(たつ)
東海道(とうかいどう)一(ひ)ト眼(め)千(せん)両(りょう) 岡崎(おかざき) 和田(わだ)志津馬(しづま)
西洋絵画(せいようかいが)や写真(しゃしん)の流入(りゅうにゅう)と共(とも)に写実的(しゃじつてき)な風景(ふうけい)が描(えが)かれるようになった一方(いっぽう)で、浮世絵(うきよえ)の画風(がふう)を引(ひ)き継(つ)いだ絵師(えし)もいました。本作(ほんさく)では高(たか)さは強調(きょうちょう)されていないものの、島(しま)の形(かたち)などは写実(しゃじつ)とは言(い)い難(がた)く、手前(てまえ)に見切(みき)れた樹木(じゅもく)を配(はい)し遠近感(えんきんかん)を出(だ)すことも、浮世絵(うきよえ)に見(み)られる手法(しゅほう)です。作者(さくしゃ)の鈴木年基(すずきとしもと)は、幕末(ばくまつ)から明治(めいじ)にかけて活躍(かつやく)した浮世絵師(うきよえし)である芳年(よしとし)の門弟(もんてい)で、大阪(おおさか)で活躍(かつやく)した絵師(えし)です。
相州(そうしゅう)江(え)之(の)嶋(しま)
江の島詣(えのしまもうで)をする華(はな)やかな女性(じょせい)たちが、様々(さまざま)な風俗(ふうぞく)で描(えが)かれます。左(ひだり)の女性(じょせい)は大名家(だいみょうけ)や裕福(ゆうふく)な商家(しょうか)の娘(むすめ)でしょうか。他(た)には海女(あま)や芸者(げいしゃ)も見(み)られます。画面右(がめんみぎ)には牛(うし)に乗(の)った女性(じょせい)と手(て)ぬぐいを頭(あたま)に巻(ま)いた女性(じょせい)が、煙管(きせる)の火(ひ)を火口(ほくち)から移(うつ)すという粋(いき)な仕草(しぐさ)によって描(えが)かれています。手(て)ぬぐいを髪(かみ)に巻(ま)く「姉(あね)さん被(ひ)り」は江の島詣(えのしまもうで)をする女性(じょせい)が海(うみ)の潮風(しおかぜ)から髪(かみ)を守(まも)るために行(い)っていたようで、浮世絵(うきよえ)にも頻繁(ひんぱん)に描(えが)かれています。
鎌倉(かまくら)七里(しちり)ヶ濱(はま)ヨリ江(え)の嶌(しま)遠見(とおみ)之(の)図(ず)