Fujisawa Net Museum

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この二人(ふたり)は「伊賀越(いがごえ)道中双六(どうちゅうすごろく)(いがごえどうちゅうすごろく)」に登場(とうじょう)する、(じゅう)兵衛(べえ)(じゅうべえ)とお(よね)(およね)です。人形浄瑠璃(にんぎょうじょうるり)歌舞伎(かぶき)上演(じょうえん)されていた演目(えんもく)で、実際(じっさい)()こった事件(じけん)である「伊賀越(いがごえ)仇討(あだう)ち」がモデルになっています。この事件(じけん)忠臣蔵(ちゅうしんぐら)曽我(そが)仇討(あだう)ちとともに(さん)(だい)仇討(あだう)ちのうちのひとつとして()られています。本図(ほんず)(じゅう)兵衛(べえ)(さん)代目(だいめ)坂東三津五郎(ばんどうみつごろう)(さんだいめばんどうみつごろう)を(おも)わせる似顔(にがお)(えが)かれています。
コマ()(えが)かれているのは富士山(ふじさん)をはじめとした沼津宿(ぬまづしゅく)周辺(しゅうへん)山々(やまやま)と、千本松原(せんぼんまつばら)(せんぼんまつばら)であると(かんが)えられます。千本松原(せんぼんまつばら)とは、画面(がめん)右端(みぎはし)()える沼津城(ぬまづじょう)(みなみ)海岸(かいがん)沿()いに(まつ)植林(しょくりん)されている、その一帯(いったい)呼称(こしょう)です。

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(そう)(ひつ)五十三次(ごじゅうさんつぎ) 沼津(ぬまづ)

明治(めいじ)から大正(たいしょう)年間(ねんかん)にかけて刊行(かんこう)された日本(にっぽん)最初(さいしょ)のグラフ雑誌(ざっし)風俗(ふうぞく)(ふうぞく)()(ほう)(がほう)』に(えが)かれた(いち)()で、当時(とうじ)江の島(えのしま)(にぎ)わいがよくわかる資料(しりょう)となっています。
本図(ほんず)では江の島(えのしま)神社(じんじゃ)中津宮(なかつみや)(なかつみや)((きゅう)上之宮(うえのみや))(きゅううえのみや)の社殿(しゃでん)(えが)かれています。江島神社(えしまじんじゃ)となっても江の島(えのしま)参詣(さんけい)(しゃ)でにぎわっていた様子(ようす)()()れます。江戸時代(えどじだい)浮世絵(うきよえ)では江の島(えのしま)岩屋(いわや)(あわび)()りの様子(ようす)などは(えが)かれてきましたが、江の島(えのしま)三社(さんしゃ)直接(ちょくせつ)(えが)いた構図(こうず)はほぼありませんでした。しかし、明治(めいじ)(はい)ってからは江の島(えのしま)神社(じんじゃ)鳥居(とりい)から(しま)をのぞき()構図(こうず)など江の島(えのしま)島内(とうない)視点(してん)()けた()登場(とうじょう)します。

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風俗画報(ふうぞくがほう)()(しま)神社(じんじゃ)中津(なかつ)(みや)()

手前(てまえ)女性(じょせい)歌川国貞(うたがわくにさだ)三代(さんだい)豊国(ほうこく)(さんだいとよくに))、背景(はいけい)二代(にだい)広重(ひろしげ)(にだいひろしげ)によって(えが)かれた(そう)(ひつ)(そうひつ)の作品(さくひん)です。
江の島(えのしま)への道中(どうちゅう)七里ガ浜(しちりがはま)から(うみ)(なが)めながら、煙草(たばこ)(たばこ)を一服(いっぷく)する女性(じょせい)(えが)かれています。女性(じょせい)(よそお)いをみると、()ぬぐいを(こうむ)り、(おお)きめの浴衣(ゆかた)(ゆかた)を羽織(はお)っています。こちらは浜辺(はまべ)での(すな)(ほこり)をよけるためのもので、江の島(えのしま)()かう女性(じょせい)江戸時代(えどじだい)における定番(ていばん)ファッションでした。
本作(もとさく)は「団扇絵(うちわえ)(うちわえ)」と()ばれるもので、江戸時代(えどじだい)人々(ひとびと)はこのような団扇絵(うちわえ)()い、その(とし)流行(りゅうこう)()わせて団扇(うちわ)(かみ)()()えて使用(しよう)していました。団扇絵(うちわえ)(じつ)用品(ようひん)であるため、現存(げんそん)(すく)ない希少(きしょう)作品(さくひん)とされています。

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諸国(しょこく)名所(めいしょ)七里ガ浜(しちりがはま)



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