Fujisawa Net Museum

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押絵(おしえ)は布(ぬの)細工(ざいく)による貼(は)り絵(え)の一種(いっしゅ)で、しばしば浮世絵(うきよえ)作品(さくひん)にならって作(つく)られました。明治時代(めいじじだい)頃(ごろ)までは、手芸(しゅげい)のたしなみとして筆頭(ひっとう)にあげられていたようです。押絵(おしえ)は羽子板(はごいた)などによく使(つか)われる技法(ぎほう)で、布地(ぬのじ)で薄(うす)く綿(わた)を包(つつ)んで作(つく)られた各(かく)部品(ぶひん)を重(かさ)ねて作(つく)った絵(え)のことです。この作品(さくひん)は、木(きの)板(いた)に江の島(えのしま)と富士山(ふじさん)の風景(ふうけい)が描(えが)かれ、その上(うえ)に押絵(おしえ)の人物(じんぶつ)があしらわれています。図柄(ずがら)は歌川貞虎(うたがわさだとら)の「鎌倉(かまくら)七里ヶ浜(しちりがはま)ヨリ江(え)の嶌(しま)遠見(とおみ)ノ図(ず)」を参考(さんこう)に作成(さくせい)され、旅(たび)姿(すがた)の女性(じょせい)や海女(あま)、海(うみ)に向(む)かって銭(ぜに)を投(な)げる女性(じょせい)とそれを取(と)ろうと海(うみ)に入(はい)る子供(こども)、従者(じゅうしゃ)を連(つ)れて牛(うし)に乗(の)り鎌倉(かまくら)へ向(む)かう女性(じょせい)など、さまざまな人々(ひとびと)の情景(じょうけい)が描(えが)かれています。

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江嶋(えのしま)図(ず)押絵(おしえ)額(がく)

室町時代(むろまちじだい)後期(こうき)、太田道灌(おおたどうかん)は武蔵(むさし)守護代(しゅごだい)扇谷(おうぎがやつ)上杉(うえすぎ)(おうぎがやつうえすぎ)家(け)の家宰(かさい)として家政(かせい)を取(と)り仕切(しき)り、文明(ぶんめい)8-12年 (1476-80)の長尾景春(ながおかげはる)の乱(らん)などで活躍(かつやく)した武将(ぶしょう)です。江戸城(えどじょう)を築(きず)いたことで有名(ゆうめい)で、大庭城(おおばじょう)を築城(ちくじょう)したとの伝説(でんせつ)もあります。武将(ぶしょう)としても学者(がくしゃ)としても一流(いちりゅう)という定評(ていひょう)がありましたが、謀殺(ぼうさつ)された悲劇(ひげき)の武将(ぶしょう)としても有名(ゆうめい)です。伊勢原市内(いせはらしない)に首塚(くびづか)があり、伊勢原市役所(いせはらしやくしょ)前(まえ)には銅像(どうぞう)が立(た)っています。
 この作品(さくひん)は、武蔵国(むさしのくに)での道灌(どうかん)の故事(こじ)が描(えが)かれています。鷹(たか)狩(が)りの最中(さいちゅう)に俄雨(にわかあめ)に降(ふ)られた道灌(どうかん)は近(ちか)くの農家(のうか)を訪(たず)ねて蓑(みの)(みの)を借(か)りようとしましたが、家(いえ)の娘(むすめ)が差(さ)し出(だ)したのは蓑(みの)ではなく一輪(いちりん)の山吹(やまぶき)の花(はな)でした。怒(おこ)って帰(かえ)った道灌(どうかん)はその夜(よる)、娘(むすめ)が本当(ほんとう)は蓑(みの)もない貧(まず)しさを実(み)の(蓑(みの))ならない山吹(やまぶき)に例(たと)えたことに気(き)づき、自(みずか)らを恥(は)じます。この日(ひ)を境(さかい)に道灌(どうかん)は歌道(かどう)に精進(しょうじん)するようになったといいます。画面(がめん)上(じょう)には富士山(ふじさん)と江戸城(えどじょう)が描(えが)かれています。

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雪月花(せつげっか) 武蔵(むさし) 高田(たかだの)花(はな) 太田道灌(おおたどうかん) 山吹(やまぶき)乃(の)古事(こじ)



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