Fujisawa Net Museum

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本作(ほんさく)には、平塚宿(ひらつかしゅく)から大磯宿(おおいそしゅく)にかけての風景(ふうけい)が描(えが)かれます。画面(がめん)右下(みぎした)に記(しる)されている「唐土ヶ原(もろこしがはら)」(現在(げんざい)の唐ヶ原(とうがはら)は、5世紀(せいき)に朝鮮(ちょうせん)の人々(ひとびと)が集団移住(しゅうだんいじゅう)したと伝(つた)えられており、右上(みぎうえ)には見(み)える高麗寺山(こうらいじさん)は、高句麗(こうくり)から渡来(とらい)した高麗若人(こまのじゃっこう)を祀(まつ)った寺(てら)が地名(ちめい)の由来(ゆらい)となっています。そこから画面(がめん)奥(おく)に向(む)かい、大磯宿(おおいそしゅく)や鴫立沢(しぎたちざわ)が続(つづ)きます。

本作(ほんさく)は東海道(とうかいどう)の名所(めいしょ)風景(ふうけい)に、当代諸家(とうだいしょか)の発句集(ほっくしゅう)を配(はい)した絵俳書(えばいしょ)です。嘉永(かえい)4年(ねん)(1851)に版元(はんもと)の永楽屋丈助(えいらくやじょうすけ)より刊行(かんこう)された『東海道名所発句集(とうかいどうめいしょほっくしゅう)』の改題本(かいだいぼん)で、元(もと)は版本(はんぽん)として売(う)り出(だ)されたものが、江戸(えど)から伊豆(いず)にかけての風景(ふうけい)を画帖(がじょう) の形式(けいしき)で再版(さいはん)されたものらしく、各図(かくず)が独立(どくりつ)した一枚(いちまい)の絵(え)として鑑賞(かんしょう)できるようになっています。本作(ほんさく)を描(えが)いた時期(じき)、広重(ひろしげ)は天童藩(てんどうはん)からの依頼(いらい)により多数(たすう)の肉筆画(にくひつが)を描(えが)いており、自然(しぜん)な奥行(おくゆ)きを感(かん)じさせる構図(こうず)や、青(あお)みがかった淡(あわ)い色調(しきちょう)など、肉筆(にくひつ)(直接(ちょくせつ)に筆(ふで)で描(えが)いた作品(さくひん))の風景画(ふうけいが)に通(つう)じる表現(ひょうげん)も見(み)られます。

東海道(とうかいどう)名所(めいしょ) 大磯(おおいそ) 平塚(ひらつか)

石橋山合戦(いしばしやまがっせん)は、平安時代末期(へいあんじだいまっき)の治承(じしょう)4年(ねん)(1180年(ねん))に源頼朝(みなもとのよりとも)と大庭景親(おおばかげちか)ら平氏方(へいしかた)との間(あいだ)で行(おこな)われた戦(たたか)いです。伊豆(いず)で挙兵(きょへい)して湯河原(ゆがわら)辺(あた)りまで進出(しんしゅつ)した頼朝(よりとも)を、大庭景親(おおばかげちか)がいずれも藤沢周辺地域(ふじさわしゅうへんちいき)を領地(りょうち)としていた俣野景久(またのかげひさ)、渋谷重国(しぶやしげくに)、海老名 季員(えびな すえかず)ら3000余騎(よき)を率(ひき)いて迎撃(げいげき)に向(む)かった様子(ようす)が描(えが)かれています。『平家物語(へいけものがたり)』によると合戦(かっせん)に先立(さきだ)って、北条時政(ほうじょうときまさ)と大庭景親(おおばかげちか)が対峙(たいじ)し、景親(かげちか)は自(みずか)らが後三年(ごさんねん)の役(えき)で奮戦(ふんせん)した鎌倉景政(かまくらかげまさ)の子孫(しそん)であると名乗(なの)り、これに時政(ときまさ)がかつて源義家(みなもとのよりいえ)に従(したが)った景正(かげまさ)の子孫(しそん)ならば、なぜ頼朝公(よりともこう)に弓(ゆみ)を引(ひ)く(戦(いくさ)をしかける、反乱(はんらん)を起(お)こす)と言い返(いいかえ)し、これに対(たい)して景親(かげちか)は「昔(むかし)の主(しゅ)でも今(いま)は敵(てき)である。平家(へいけ)の御恩(ごおん)は山(やま)よりも高(たか)く、海(うみ)よりも深(ふか)い」と応(おう)じたといいます。

石橋(いしばし)山(やま)合戦(かっせん)

橋李囿(はしりえん) 序文(じょぶん)

江(え)の島(しま)の風光(ふうこう)を詠(よ)んだ【詩文(しぶん)】【田舎版(いなかばん)】。
現在(げんざい)の藤沢市北部(ふじさわしほくぶ)、御所見地区周辺(ごしょみちくしゅうへん)の人々(ひとびと)が詠(よ)んだ漢詩(かんし)と和歌(わか)の詩文集(しぶんしゅう)。八景(はっけい)は、金亀山秋月(きんきざんのしゅうげつ)、岩屋之晴嵐(いわやのせいらん)、小兒淵夜雨(しょうにえんのやう)、鵜嶋之落雁(うじまのらくがん)、東浦之帰帆(ひがしうらのきはん)、西浦之夕照(にしうらのゆうしょう)、両山之暮雪(ふたつやまのぼせつ)、江嶋寺晩鐘(こうとうじのばんしょう)。詠者(えいしゃ)の居所(いどころ)は、現(げん)藤沢市(ふじさわし)の遠藤(えんどう)、打戻(うちもどり)、宮原(みやはら)、用田(ようだ)に加(くわ)え、現(げん) 寒川町(さむかわまち)の小谷(こやと)、小動(こゆるぎ)、現(げん) 綾瀬市(あやせし)の吉岡(よしおか)となっています。詠者(えいしゃ)の中(なか)で、用田(ようだ)の烏東(うとう)は明和(めいわ)4年(ねん)(1766年(ねん))3月(がつ)、大磯鴫立庵(おおいそしぎたつあん)再興(さいこう)の記念集(きねんしゅう)として編(あ)まれた『湘海四時(しょうかいしじ)』に入句(にゅう)句(く)しています 。
この書(しょ)は版(はん)の摺(す)りにムラが多(おお)いのが目(め)に付(つ)きます。当時(とうじ)の出版(しゅっぱん)は江戸(えど)・大坂(おおさか)・京都(きょうと)が中心(ちゅうしん)で、それ以外(いがい)の地方(ちほう)で摺(す)られたものは「田舎版(いなかばん)」と呼(よ)ばれていますが、この書(しょ)はおそらく地元(じもと)の藤沢地域(ふじさわちいき)で摺(す)られたもので、内容(ないよう)とあわせ、非常(ひじょう)に貴重(きちょう)なものと言(い)えましょう。

江(え)之(の)嶋(しま)八景(はっけい)詩歌(しいか)



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