製作時期:天保10年頃(1839)。
板元:佐野喜(佐野屋喜兵衛)
宮宿からは、四日市宿を除き、広重の保永堂版東海道の図を用いない背景へと変化します。
これについては、国貞の作品が広重の作品に先行して出版されるようになったためではないかと推察されています。
本作の背景は『東海道名所図会』巻之三(寛政9年[1797]刊)より「宮駅 浜鳥居」を参考にしていると考えられますが、帆を広げようとしている船の図案などは、国貞のオリジナルと思われます。宮宿は熱田神宮の門前町で、画面左手にある鳥居が浜鳥居です。
手前の女性は右手に神事で用いる神楽鈴を持ち、熱田神宮の巫女に扮したものでしょう。板元は森屋治兵衛。
国貞(三代豊国の前名)描くこの東海道シリーズは、各宿の風景をバックにして前面に立ち姿の美人を描いたもので、全シリーズを通し、バックの風景画は広重の保永堂版東海道に非常によく似ています。