ふりがな
江の島の歴史
江の島歴史年表
江の島散策マップ
江の島の文化財
江の島を訪れた人々
資料種類しりょうしゅるい(大分類だいぶんるい):
資料種類しりょうしゅるい(中分類ちゅうぶんるい):
資料種類しりょうしゅるい(小分類しょうぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(大分類だいぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(中分類ちゅうぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(小分類しょうぶんるい):
作者さくしゃ(50音分類おんぶんるい):
作者さくしゃ:
フリーワード:
大正(たいしょう) 12 年(ねん)(1923)に東京(とうきょう)を中心(ちゅうしん)に関東(かんとう)一帯(いったい)を襲(おそ)った関東大震災(かんとうだいしんさい)は、日本(にっぽん)の歴史(れきし)史上(しじょう)の中(なか)でも特(とく)に被害(ひがい)の大(おお)きかった震災(しんさい)の1つとして今日(こんにち)まで語(かた)られています。この双六(すごろく)は震災(しんさい)から人々(ひとびと)が立(た)ち上(あ)がり、復興(ふっこう)するまでを辿(たど)ります。
大東京(だいとうきょう)復興(ふっこう)双六(すごろく)
初代(しょだい)広重(ひろしげ)の「六十余州名所図会(ろくじゅうよしゅうめいしょずえ)」の図(ず)を引用(いんよう)した双六(すごろく)です。元(もと)の図(ず)が大判(おおばん)錦絵(にしきえ)であるため、細(こま)かい部分(ぶぶん)は省略(しょうりゃく)されていますが、一(いち)画面(がめん)の中(なか)での構図(こうず)は元(もと)の図(ず)に忠実(ちゅうじつ)なものとなっています。
大日本(だいにっぽん)六(ろく)十(じゅう)余(よ)州(しゅう) 名所(めいしょ)一覧(いちらん)振分(ふりわけ)双六(すごろく)
歌川広重(うたがわひろしげ)が安政(あんせい)2年(ねん)(1855)年(ねん)に手掛(てが)けた「浮世(うきよ)道中(どうちゅう)膝栗毛(ひざくりげ)滑稽(こっけい)双六(すごろく)」を、明治(めいじ) 31 年(ねん)に三代(さんだい)歌川国貞(うたがわくにさだ)(さんだい うたがわくにさだ)が改(あらた)めて描(えが)いた図(ず)です。広重(ひろしげ)が手掛(てが)けた元(もと)の双六(すごろく)が人気(にんき)であったためか、復刻(ふっこく)のかたちで制作(せいさく)されたのでしょう。おもしろおかしい人々(ひとびと)の様子(ようす)がそっくりそのまま描(えが)かれています。江戸時代(えどじだい)とは異(こと)なった明治時代(めいじじだい)らしい強(つよ)い色(いろ)使(づか)いが目(め)を引(ひ)きます。
東海(とうかい)旧道(きゅうどう)膝栗毛(ひざくりげ)滑稽(こっけい)双六(すごろく)
十返舎(じっぺんしゃ)一九(いっく)(1765-1831)は江戸時代(えどじだい)後期(こうき)の戯作者(げさくしゃ)で、『東海道中膝栗毛(とうかいどうちゅうひざくりげ)』をはじめとする数々(かずかず)の人気(にんき)小説(しょうせつ)を手掛(てが)けました。本作(ほんさく)は、江戸時代(えどじだい)の印刷物(いんさつぶつ)には珍(めずら)しい両面(りょうめん)摺(す)りとなっていて、展示(てんじ)している面(めん)は、街道(かいどう)が隙間(すきま)なく記(しる)され、宿場(しゅくば)間(かん)の距離(きょり)が示(しめ)されています。裏面(うらめん)は、江戸城(えどじょう)を中心(ちゅうしん)に、江戸(えど)の町(まち)なみが俯瞰(ふかん)するように描(えが)かれています。
御江(おえ)都(ど)神社(じんじゃ)佛閣(ぶっかく)名所(めいしょ)并(ならびに)諸(しょ)所(しょ)道中(どうちゅう)旅(たび)雀(すずめ)
歌川広重(うたがわひろしげ)自身(じしん)が手掛(てが)けた大(だい)ヒットシリーズ「東海道五拾三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)(保永(ほえい)堂(どう)版(ばん))」の双(すご)六(ろく)版(はん)です。元(もと)のシリーズが非常(ひじょう)に人気(にんき)であったため、その約(やく)10年後(ねんご)にこういった双六(すごろく)が手掛(てが)けられたのでしょう。
五(ご)十三駅(じゅうさんつぎ)東海道(とうかいどう)富士見(ふじみ)双六(すごろく)
右下(みぎした)が振(ふ)り出(だ)し(スタート)でサイコロの目(め)の数(かず)だけ進(すす)み、真(ま)ん中(なか)の上(あ)がり(ゴール)を目指(めざ)す「回(まわ)り双六(すごろく)」で、道中双六(どうちゅうすごろく)ではよく見(み)られる型(かた)です。こちらの双六(すごろく)は「弥次喜多(やじきた)」と呼(よ)ばれる江戸時代(えどじだい)に人気(にんき)のあったキャラクターの物語(ものがたり)を題材(だいざい)をしています。弥次喜多(やじきた)については、別(べつ)のコーナーで詳(くわ)しく解説(かいせつ)します。
東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)道中双六(どうちゅうすごろく) 名物(めいぶつ)入(いり)
鳥瞰図(ちょうかんず)の名手(めいしゅ)であった鍬形(くわがた)蕙(けい)斎(さい)は絵手本(えでほん)でも評価(ひょうか)を高(たか)めました。「略画(りゃくが)式(しき)」にはいくつかシリーズがあり、どれも少(すく)ない筆(ひっ)線(せん)で対象物(たいしょうぶつ)を的確(てきかく)に捉(とら)えています。本(ほん)資料(しりょう)は明治時代(めいじじだい)の復刻版(ふっこくばん)で、名所(めいしょ)を題材(だいざい)としています。『山水(さんすい)略画(りゃくが)式(しき)』では江戸(えど)や東海道(とうかいどう)、近江八景(おうみはっけい)(滋賀県(しがけん)の琵琶湖(びわこ)付近(ふきん)の名勝(めいしょう)8つをまとめた総称(そうしょう)。中国(ちゅうごく)の瀟湘八景(しょうしょうはっけい)に由来(ゆらい)する。)、京都(きょうと)といった名所(めいしょ)を取(と)り上(あ)げ、「江島(えのしま)鎌倉(かまくら)」も収録(しゅうろく)されています。
山水(さんすい)略画(りゃくが)式(しき)
制作(せいさく) 1931年(ねん) 定山渓鉄道(じょうざんけいてつどう) 初(はつ)三(さぶ)郎(ろう)の鳥瞰図(ちょうかんず)の中(なか)には、現代(げんだい)には残(のこ)ってない幻(まぼろし)となった名所(めいしょ)や鉄道(てつどう)も描(えが)かれており、本図(ほんず)もその一(ひと)つです。定山渓鉄道(じょうざんけいてつどう)は国鉄(こくてつ)千歳(ちとせ)線(せん)・東札幌駅(ひがしさっぽろえき)から定山渓温泉(じょうざんけいおんせん)を結(むす)び、かつて自然(しぜん)豊(ゆた)かな景色(けしき)や温泉(おんせん)、スキー場(じょう)といった観光地(かんこうち)を網羅(もうら)しています。さらに、鉱石(こうせき)や石炭(せきたん)、木材(もくざい)輸送(ゆそう)にも大(おお)きく貢献(こうけん)しましたが、昭和(しょうわ) 44 年(ねん)(1969)に全線(ぜんせん)が廃止(はいし)されています。 本図(もとず)の裏(うら)(土地(とち)に関(かん)する解説(かいせつ)ガイドのような文章(ぶんしょう)が書(か)かれている)にある初(はつ)三(さぶ)郎(ろう)の「絵(え)に添(そ)えて一筆(いっぴつ)」(解説(かいせつ)ガイドの一角(いっかく)を占(し)める鳥瞰図(ちょうかんず)を描(えが)いた絵師(えし)によるコーナー)には、初(はじ)めて初三(はつさぶ)郎(ろう)がこの地(ち)を訪(おとず)れた頃(ころ)はまだ定山渓鉄道(じょうざんけいてつどう)が建設(けんせつ)途中(とちゅう)であったものの、十(じゅう)数(すう)年(ねん)後(ご)に訪(おとず)れると鉄道(てつどう)が完成(かんせい)し、活気(かっき)溢(あふ)れる観光(かんこう)地(ち)へと発展(はってん)した光景(こうけい)に感激(かんげき)を受(う)けた旨(むね)が記(しる)されています。
定山渓(じょうざんけい)電鉄(でんてつ)沿線(えんせん)名所(めいしょ)図絵(ずえ)