Fujisawa Net Museum

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東京(とうきょう)(つじ)岡屋(おかや)亀吉(かめきち)(ばん) 明治(めいじ)3(ねん)(1870(ねん)

明治(めいじ)になると、首都(しゅと)東京(とうきょう)(うつ)ったため、双六(すごろく)東京(とうきょう)()きが「()がり」となりますが、この双六(すごろく)では、まだ東京(とうきょう)日本橋(にほんばし)()()し、西京(さいきょう)(京都(きょうと))を()がりとしています。
日本橋(にほんばし)馬車(ばしゃ)文明開化(ぶんめいかいか)をイメージさせますが、それ以外(いがい)のマスはほとんど江戸時代(えどじだい)情景(じょうけい)()わりありません。(かく)宿(やど)名所(めいしょ)名物(めいぶつ)中心(ちゅうしん)(えが)き、ところどころに(だい)ヒットした十返舎(じっぺんしゃ)一九(いっく)東海道中膝栗毛(とうかいどうちゅうひざくりげ)』の情景(じょうけい)挿入(そうにゅう)されています。
藤沢宿(ふじさわしゅく)のマスは()()けてか「富士山(ふじさん)」。ひとつ(まえ)戸塚(とつか)は、焼餅(やきもち)(ざか)()由来(ゆらい)となった「()(もち)」の()です。
また、明治(めいじ)になると、浮世絵(うきよえ)双六(すごろく)色彩(しきさい)江戸(えど)()のものと()わってきます。(とく)にドギツイ赤色(あかいろ)紫色(むらさきいろ)特徴(とくちょう)(てき)ですが、これは幕末(ばくまつ)から輸入(ゆにゅう)されるようになったアニリン(あか)(洋紅(ようこう))や(むらさき)ムラコといわれるもので、明治(めいじ)人々(ひとびと)にとって、これらの(あざ)やかな色彩(しきさい)文明開化(ぶんめいかいか)(いろ)であったのでしょう。

東海道中(とうかいどうちゅう)名処(めいしょ)名物(めいぶつ)滑稽(こっけい)双六(すごろく)

井上茂兵衛(いのうえもへえ)(ばん) 明治(めいじ)初期(しょき)
この双六(すごろく)は、江戸(えど)後期(こうき)渓斎英泉(けいさいえいせん)()佐野屋喜兵衛(さのやきへえ)(ばん)(どう)版図(はんと)があり、明治(めいじ)になってから井上茂兵衛(いのうえもへえ)再版(さいはん)発行(はっこう)したものです。英泉(えいせん)佐野屋喜兵衛(さのやきへえ)のコンビといえば美人画(びじんが)のシリーズなどで有名(ゆうめい)ですが、この双六(すごろく)()(ちゅう)人物(じんぶつ)などが丁寧(ていねい)(えが)かれていて人気(にんき)(たか)かったものだったのでしょう。新鐫(しんせん)とは、新版(しんぱん)のことです。
(かく)マスの()(うえ)に、道中(どうちゅう)()(旅行(りょこう)案内(あんない)(しょ))に(しる)されているような各地(かくち)名所(めいしょ)(とう)記載(きさい)され、藤沢(ふじさわ)では、大山(おおやま)(まい)りの人々(ひとびと)((そろ)いの(かさ)をかぶり、木太刀(きだち)御神酒(おみき)(わく)をかついでいる)の()(うえ)に、「(ひだり)()のしま(どう)」「(みぎ) 大山(おおやま)(いし)(みこと)みち」「ゆぎやう(遊行(ゆぎょう))(てら) おぐりはんくわん(小栗判官(おぐりはんがん))の()せき((あと))」「十人(じゅうにん)のせきひ(石碑(せきひ))あり」、平塚宿(ひらつかしゅく)との()には「ばにう(馬入(ばにゅう))(かわ) (ふな)わたし((わた)し)」と(しる)されています。

東海道(とうかいどう)五十三(ごじゅうさん)(えき)名所(めいしょ)旧跡行程記(きゅうせきこうていき)新鐫道中(しんせんどうちゅう)双六(すごろく)



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