ふりがな
江の島の歴史
江の島歴史年表
江の島散策マップ
江の島の文化財
江の島を訪れた人々
資料種類しりょうしゅるい(大分類だいぶんるい):
資料種類しりょうしゅるい(中分類ちゅうぶんるい):
資料種類しりょうしゅるい(小分類しょうぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(大分類だいぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(中分類ちゅうぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(小分類しょうぶんるい):
作者さくしゃ(50音分類おんぶんるい):
作者さくしゃ:
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狂歌(きょうか):乗(の)り合(あい)の ちいか雀(すずめ)の はなしには やき蛤(はまぐり)も 舌(した)をかくせり(楳の門鬼丸) 桑名宿(くわなしゅく)の西(にし)にある富田(とみた)の立場(たてば)が描(えが)かれています。街道(かいどう)沿(ぞ)いには名物(めいぶつ)の焼(や)き蛤(はまぐり)の店(みせ)が並(なら)び、店先(みせさき)では店(みせ)の女性(じょせい)が蛤(はまぐり)を焼(や)いています。
東海道五拾三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ) 桑名(くわな) 富田(とみたの)立場(たてば)之(の)図(ず)(狂歌(きょうか)入(い)り東海道(とうかいどう))
狂歌(きょうか):石薬師(いしやくし) 瓦(かわら)と黄金(こがね) まく人(ひと)は 瑠璃(るり)の玉(たま)とも 光(ひか)る旅宿(たびやど)(友垣真連) 問屋場(といやば)での人馬(じんば)継(つぎ)立(たて)(荷駄(にだ)の引継(ひきつ)ぎ)の場面(ばめん)を描(えが)いています。各(かく)宿場(しゅくば)には問屋場(とんやば)が設(もう)けられ、人(ひと)や荷物(にもつ)や書状(しょじょう)を送(おく)り継(つ)ぐために、人足(にんそく)や駄(だ)馬(ば)を差配(さはい)していました。画(が)中(ちゅう)でも、駄馬(だば)に荷(に)を積(つ)みなおしたり、出立(しゅったつ)の準備(じゅんび)が整(ととの)ったであろう人足(にんそく)、荷(に)の引継(ひきつ)ぎを終(お)えて一息(ひといき)つく人足(にんそく)などの姿(すがた)が描(えが)かれています。
東海道五拾三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ) 石薬師(いしやくし) 問屋場(とんやば)ノ図(ず)(狂歌(きょうか)入(い)り東海道(とうかいどう))
狂歌(きょうか):宿(やど)入(いり)に それとしらせて 名物(めいぶつ)の まづかうはしく(香(こう)ばしく) 見(み)ゆる焼(やき)米(まい)(浦廼門観湖) 街道(かいどう)を駆(か)け抜(ぬ)ける早(はや)駕籠(かご)と早飛脚(はやびきゃく)が描(えが)かれています。街道(かいどう)脇(わき)で農作業(のうさぎょう)をする人々(ひとびと)の穏(おだ)やかな「静(せい)」の風景(ふうけい)と対比(たいひ)して、駕籠(かご)かきの「動(どう)」のスピード感(かん)がより強調(きょうちょう)されています。
東海道五拾三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ) 庄野(しょうの)(狂歌(きょうか)入(い)り東海道(とうかいどう))
狂歌(きょうか):さえぎりて 長閑(のどか)に見(み)ゆる 亀山(かめやま)の 松(まつ)に羽(はね)をのす 鶴(つる)の一(いち)こゑ 旅人(たびびと)たちが坂道(さかみち)の街道(かいどう)を進(すす)んでいます。坂道(さかみち)の奥(おく)に見(み)えるのは、亀山城(かめやまじょう)の城門(じょうもん)です。画面(がめん)右側(みぎがわ)の遠景(えんけい)に低(ひく)い山(やま)が配(はい)されることによって亀山城(かめやまじょう)が立地(りっち)する高(たか)さがより表現(ひょうげん)されています。
東海道五拾三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ) 亀山(かめやま)(狂歌(きょうか)入(い)り東海道(とうかいどう))
狂歌(きょうか):くゞつめ(傀儡(くぐつ)女(め))に 引(ひき)とめられて 定宿(じょうやど)の 言訳(いいわけ)くらき 関(せき)の旅人(たびびと)(森の屋御影) まだ薄暗(うすぐら)い早朝(そうちょう)に、大名行列(だいみょうぎょうれつ)が本陣(ほんじん)を出立(しゅったつ)する場面(ばめん)を鳥瞰(ちょうかん)的(てき)に描(えが)いています。本陣(ほんじん)とは、宿場(しゅくば)において大名(だいみょう)が休憩(きゅうけい)や宿泊(しゅくはく)をするための施設(しせつ)です。本陣(ほんじん)には紋(もん)入(い)りの幔幕(まんまく)が張(は)り巡(めぐ)らされています。画面(がめん)左(ひだり)手前(てまえ)では毛(け)槍(やり)や先箱(さきばこ)が、画面(がめん)左(ひだり)奥(おく)ではすでに大名(だいみょう)の乗(の)った駕籠(かご)がちょうど出立(しゅったつ)する場面(ばめん)が描(えが)かれています。
東海道五拾三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ) 関(せき)(狂歌(きょうか)入(い)り東海道(とうかいどう))
狂歌(きょうか):急(いそ)ぐとも 心(こころ)してゆけ すべりなば あと戻(もど)りせん 雨(あめ)の土山(つちやま)(柴の門茶女) 両側(りょうがわ)を崖(がけ)に囲(かこ)まれた険(けわ)しい鈴鹿(すずか)峠(とうげ)の山道(さんどう)を、旅人(たびびと)たちが行(い)きかっています。合羽(かっぱ)や蓑(みの)などの服装(ふくそう)から雨模様(あめもよう)であることも伺(うかが)えます。 土山(つちやま)は雨(あめ)が多(おお)いところとしても知(し)られており、他(た)の浮世絵(うきよえ)作品(さくひん)でも土山(つちやま)の場面(ばめん)では雨(あめ)の情景(じょうけい)が描(えが)かれていることが多(おお)いです。
東海道五拾三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ) 土山(つちやま) 鈴鹿山(すずかやま)之(の)図(ず)(狂歌(きょうか)入(い)り東海道(とうかいどう))
狂歌(きょうか):四(よっ)つ五(いつ)つ ふればあがると 子供(こども)等(ら)が みな口々(くちぐち)に いひてあそべり(梅花堂煉方) 水口宿(みなくちしゅく)のにぎやかな宿場(しゅくば)町(まち)の様子(ようす)を描(えが)いています。水口宿(みなくちしゅく)は、東海道(とうかいどう)が制定(せいてい)される以前(いぜん)より伊勢(いせ)参宮(さんぐう)街道(かいどう)の宿場町(しゅくばまち)として栄(さか)え、「街道(かいどう)一(いち)の留(とめ)め場(じょう)」と言(い)われるほど賑(にぎ)わっていました。 画(が)中(ちゅう)でも、旅籠(はたご)の留(とめ)女(おんな)が、旅人(たびびと)の腕(うで)や荷物(にもつ)を強引(ごういん)に引(ひ)っ張(ぱ)っている様子(ようす)が見(み)られます。旅人(たびびと)たちは逃(に)げたり、旅籠(はたご)に引(ひ)かれて行(い)ったり、様々(さまざま)な反応(はんのう)が見(み)られます。
東海道五拾三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ) 水口(みなくち)(狂歌(きょうか)入(い)り東海道(とうかいどう))
狂歌(きょうか):都(みやこ)女(おんな)の はらをかゝへて わらふめり はらみ村(むら)てふ こゝの名(な)どころ(頭巾亭鈴掛) 梅(うめ)が咲(さ)く中庭(なかにわ)から旅籠(はたご)の中(なか)の様子(ようす)が描(えが)かれています。それぞれ部屋(へや)で思(おも)い思(おも)いに過(す)ごす旅人(たびびと)の姿(すがた)が細(こま)かく描写(びょうしゃ)されています。石部(いしべ)は、東海道(とうかいどう)を京(きょう)から出発(しゅっぱつ)して1日(にち)目(め)の宿泊(しゅくはく)地(ち)とすることが多(おお)く、多(おお)くの旅籠(はたご)が軒(のき)を連(つら)ね繁盛(はんじょう)していました。
東海道五拾三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ) 石部(いしべ)(狂歌(きょうか)入(い)り東海道(とうかいどう))