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江の島の歴史
江の島歴史年表
江の島散策マップ
江の島の文化財
江の島を訪れた人々
資料種類しりょうしゅるい(大分類だいぶんるい):
資料種類しりょうしゅるい(中分類ちゅうぶんるい):
資料種類しりょうしゅるい(小分類しょうぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(大分類だいぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(中分類ちゅうぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(小分類しょうぶんるい):
作者さくしゃ(50音分類おんぶんるい):
作者さくしゃ:
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製作時期(せいさくじき):明治(めいじ)8年(ねん)。 板元(はんもと):山清(やませい)(山崎屋清七(やまざきやせいしち)) 三代広重(さんだいひろしげ)描(えが)くこのシリーズは、明治(めいじ)前期(ぜんき)の東海道各宿駅(とうかいどうかくしゅくえき)の風景(ふうけい)が華(はな)やかな色彩(しきさい)(幕末(ばくまつ)から明治初期(めいじしょき)に海外(かいがい)からあざやかな科学顔料(かがくがんりょう)が入(はい)り使用(しよう)される)で描(えが)かれています。
東海(とうかい)名所(めいしょ) 改正(かいせい)道中(どうちゅう)記(き) 四十八(しじゅうはち) 石薬師(いしやくし)
製作時期(せいさくじき):明治(めいじ)8年(ねん)。 板元(はんもと):山清(やませい)(山崎屋清七(やまざきやせいしち)) 四日市(よっかいち)の港近(みなとちか)くの街並(まちな)みを描(えが)いています。 画面奥(がめんおく)には、四日市港(よっかいちこう)に停泊(ていはく)する船(ふね)の帆柱(ほばしら)が見(み)えます。 画面中央(がめんちゅうおう)に描(えが)かれた桜並木(さくらなみき)が目(め)を引(ひ)きます。このように、新(あたら)しい色材(しきざい)の「赤(あか)」を用(もち)いて描(えが)かれる桜(さくら)も、明治(めいじ)の浮世絵(うきよえ)の特徴(とくちょう)の一(ひと)つです。 三代広重(さんだいひろしげ)描(えが)くこのシリーズは、明治(めいじ)前期(ぜんき)の東海道各宿駅(とうかいどうかくしゅくえき)の風景(ふうけい)が華(はな)やかな色彩(しきさい)(幕末(ばくまつ)から明治初期(めいじしょき)に海外(かいがい)からあざやかな科学顔料(かがくがんりょう)が入(はい)り使用(しよう)される)で描(えが)かれています。
東海(とうかい)名所(めいしょ) 改正(かいせい)道中(どうちゅう)記(き) 四(よん)十(じゅう)七(なな) 四日市(よっかいち)
東海(とうかい)名所(めいしょ) 改正(かいせい)道中(どうちゅう)記(き) 四(よん)十六(じゅうろく) 桑名(くわな)
東海(とうかい)名所(めいしょ) 改正(かいせい)道中(どうちゅう)記(き) 四(よん)十(じゅう)五(ご) 宮(みや)
東海(とうかい)名所(めいしょ) 改正(かいせい)道中(どうちゅう)記(き) 四十四(よんじゅうよん) 鳴海(なるみ)
東海(とうかい)名所(めいしょ) 改正(かいせい)道中(どうちゅう)記(き) 四十三(よんじゅうさん) 池鯉鮒(ちりゅう)
製作時期(せいさくじき):明治(めいじ)8年(ねん)。 板元(はんもと):山清(やませい)(山崎屋清七(やまざきやせいしち)) 矢作橋(やはぎばし)は東海道一(とうかいどういち)の長(なが)さを誇(ほこ)り、名所(めいしょ)としても知(し)られていました。 幕末(ばくまつ)の安政(あんせい)2年(ねん)(1855)の大洪水(だいこうずい)により橋(はし)が流(なが)され、明治(めいじ)4年(ねん)(1871)の仮橋(かりばし)の架橋(かきょう)まで橋(はし)は架(か)けられていませんでした。 画(え)に描(えが)かれているのは、その仮橋(かりばし)でしょうか。人力車(じんりきしゃ)や洋装(ようそう)の人々(ひとびと)が行(い)きかっています。また、橋(はし)のたもとでは、洗濯(せんたく)をする女性(じょせい)や、水(みず)を汲(く)みに来(き)た男性(だんせい)の姿(すがた)も描(えが)かれています。 三代広重(さんだいひろしげ)描(えが)くこのシリーズは、明治(めいじ)前期(ぜんき)の東海道各宿駅(とうかいどうかくしゅくえき)の風景(ふうけい)が華(はな)やかな色彩(しきさい)(幕末(ばくまつ)から明治初期(めいじしょき)に海外(かいがい)からあざやかな科学顔料(かがくがんりょう)が入(はい)り使用(しよう)される)で描(えが)かれています。
東海(とうかい)名所(めいしょ) 改正(かいせい)道中(どうちゅう)記(き) 四(よん)十二(じゅうに) 岡崎(おかざき)
製作時期(せいさくじき):明治(めいじ)8年(ねん)。 板元(はんもと):山清(やませい)(山崎屋清七(やまざきやせいしち)) 藤川宿(ふじかわしゅく)の東(ひがし)にある山中村(やまなかむら)の景色(けしき)を描(えが)いています。 山中村(やまなかむら)は麻(あさ)を用(もち)いて作(つく)った道具(どうぐ)類(るい)が名物(めいぶつ)で、画中(がちゅう)でも道(みち)の両側(りょうがわ)に店(みせ)が並(なら)んでいるのが見(み)えます。 簡素(かんそ)な建物(たてもの)が並(なら)び、江戸時代(えどじだい)と変(か)わらぬ景色(けしき)に見(み)える村(むら)にも、電信柱(でんしんばしら)が設置(せっち)されています。 三代広重(さんだいひろしげ)描(えが)くこのシリーズは、明治(めいじ)前期(ぜんき)の東海道各宿駅(とうかいどうかくしゅくえき)の風景(ふうけい)が華(はな)やかな色彩(しきさい)(幕末(ばくまつ)から明治初期(めいじしょき)に海外(かいがい)からあざやかな科学顔料(かがくがんりょう)が入(はい)り使用(しよう)される)で描(えが)かれています。
東海(とうかい)名所(めいしょ) 改正(かいせい)道中(どうちゅう)記(き) 四十(よんじゅう)一(いち) 藤川(ふじかわ)