製作時期:明治8年。
板元:山清(山崎屋清七)
画面手前の江の島一の鳥居を通り江の島詣へ向かう人々、画面中央には遊行寺橋、画面右奥には遊行寺が見えます。初代広重も描いた藤沢宿のおなじみの景色ですが、太鼓橋だった遊行寺橋は、明治になると人力車や馬車の通行に対応するために、西洋式の平らな橋に架け替えられました。
画中にも、橋の上を通る人力車や馬が見えます。画面右の橋のたもとにある茶屋らしき建物には窓がつけられており、ところどころに文明開化の影響がみられます。
馬に乗っている人物は外国人の男性と思われます。
当時、横浜の居留地に滞在する外国人の外出は十里四方(約40km)以内との制限がありました。藤沢宿はその範囲内にあたるので、実際にもこのように外国人が通行する場面があったのかもしれません。
三代広重描くこのシリーズは、明治前期の東海道各宿駅の風景が華やかな色彩(幕末から明治初期に海外からあざやかな科学顔料が入り使用される)で描かれています。