Fujisawa Net Museum

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製作時期(せいさくじき):慶応(けいおう)3(ねん)(1867)。
板元(はんもと):伊勢鉄(いせてつ)

ちりめん()一見(いっけん)(ちい)さな錦絵(にしきえ)のように()えますが、(じつ)和紙(わし)()った普通(ふつう)(おお)きさの錦絵(にしきえ)を、(ぼう)()きつけ(ちぢ)めて(つく)ったものです。 (ちか)くで()ると、ちりめんに()(こま)かい(しわ)があります。ちりめん()外国(がいこく)()けのものとして量産(りょうさん)され、クレープ・ジャポン(ちりめん(おり)をフランス()でクレープと()ぶ)、(りゃく)してクレポンと()ばれました。
当時(とうじ)比較的(ひかくてき)安価(あんか)()えたものであったらしく、画家(がか)のゴッホもちりめん()(おお)(あつ)めていたとされます。

人気(にんき)歌舞伎役者(かぶきやくしゃ)をゆかりの宿場(しゅくば)背景(はいけい)(えが)いたシリーズ。「一眼(ひとめ)(())千両(せんりょう)」とは、一目(ひとめ)()ただけで千両(せんりょう)という大金(たいきん)(はら)価値(かち)があるというたとえです。
上部(じょうぶ)風景(ふうけい)二代広重(にだいひろしげ)下部(かぶ)人物(じんぶつ)国周(くにちか)分担(ぶんたん)して()いています。

人物(じんぶつ)白波五人男(しらなみごにんおとこ)一人(ひとり)()(しま)(藤沢(ふじさわ))ゆかりの弁天小僧菊之助(べんてんこぞうきくのすけ)で、(ふん)するは四代市村家橘(よんだいいちむらかきつ)(のちの五代尾上菊五郎(ごだいおのえきくごろう))です。()女装(じょそう)した弁天小僧(べんてんこぞう)見栄(みえ)()って、有名(ゆうめい)な「()らざ()()って()かせやしょう」のセリフを()おうというところ。
背景(はいけい)藤沢宿(ふじさわしゅく)風景(ふうけい)は、初代広重(しょだいひろしげ)保永堂版(ほえいどうばん)東海道(とうかいどう)構図(こうず)使(つか)っています。右上(みぎうえ)文章(ぶんしょう)戯作者(げさくしゃ)山々亭有人(さんさんていありんど)()いています。

東海道一卜眼千両 藤沢 弁天小僧菊之助

東海道(とうかいどう)()()()(せん)(りょう) 藤沢(ふじさわ) 弁天小僧菊之助(べんてんこぞうきくのすけ)

製作時期(せいさくじき):慶応元年(けいおうがんねん)(1865)。
板元(はんもと):相ト(あいと)

このシリーズは全版(ぜんはん)(とお)右上部(みぎじょうぶ)(えが)かれた(おうぎ)(なか)末廣五十三次(すえひろごじゅうさんつぎ)()かれているため「末広東海道(すえひろとうかいどう)」と()ばれています。慶応元年(けいおうがんねん)五月(ごがつ)将軍家茂(しょうぐんいえもち)は、第二次長州出兵(だいにじちょうしゅうしゅっぺい)のため、江戸(えど)出発(しゅっぱつ)しました。「末広東海道(すえひろとうかいどう)」は、この(とき)将軍(しょうぐん)()(したが)って上洛(じょうらく)する幕府軍(ばくふぐん)姿(すがた)(かく)宿(しゅく)風景(ふうけい)(なか)(えが)いたものです。
芳年(よしとし)二代国輝(にだいくにてる)三代広重(さんだいひろしげ)(など)幕末(ばくまつ)代表(だいひょう)する浮世絵師(うきよえし)各宿(かくしゅく)分担(ぶんたん)しています。

()藤沢宿(ふじさわしゅく)()ぎて南湖(なんご)松並木(まつなみき)(なか)()行列(ぎょうれつ)で、構図(こうず)(まつ)のかたちまで、初代広重(しょだいひろしげ)(えが)く「竪絵東海道(たてえとうかいどう)」のものとほとんど(おな)じです。

末廣五十三次 藤沢 南湖の松原

末廣(すえひろ)五十三次(ごじゅうさんつぎ) 藤沢(ふじさわ) 南湖(なんご)松原(まつばら)



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