Fujisawa Net Museum

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昭和(しょうわ)27年(ねん)(1952)3月(がつ)29日(にち)指定(してい)/各巻(かくかん)縦(たて)38.2㎝/原本(げんぽん)にある通(とお)り「一遍聖絵(いっぺんひじりえ)」の名(な)で知(し)られています。時宗(じしゅう)の宗祖(しゅうそ)・一遍(いっぺん)の生涯(しょうがい)をまとめた全(ぜん)12巻(かん)、48段(だん)の絵巻物(えまきもの)です。起草者(きそうしゃ)は一遍(いっぺん)の弟(おとうと)と伝(つた)える聖戒(しょうかい)、4人(にん)の公家(くげ)が詞書(ことばがき)(文章(ぶんしょう))を清書(せいしょ)し、円伊(えんい)を中心(ちゅうしん)とした絵師(えし)が絵(え)を担当(たんとう)して正安元年(しょうあんがんねん)(1299)に完成(かんせい)しました。一遍(いっぺん)は念仏(ねんぶつ)の修行(しゅぎょう)・布教(ふきょう)のために全国(ぜんこく)を遊行(ゆぎょう)しており、全巻(ぜんかん)を通(とお)して鎌倉時代(かまくらじだい)の各地(かくち)の情景(じょうけい)が描(えが)かれています。絵(え)は、全体的(ぜんたいてき)に見(み)て一遍(いっぺん)の行動(こうどう)だけでなく、その場面(ばめん)をとりまく風景(ふうけい)が重視(じゅうし)され、現実感(げんじつかん)あふれる画面構成(がめんこうせい)となっています。我(わ)が国(くに)美術史上(びじゅつしじょう)の傑作(けっさく)として名高(なだか)いもので国宝(こくほう)に指定(してい)されています。所有管理者(しょゆうかんりしゃ):清浄光寺(しょうじょうこうじ)(遊行寺(ゆぎょうじ))

絹本(けんぽん)著(ちゃく)色(しょく)一遍上人絵伝(いっぺんしょうにんえでん)

明治(めいじ)33年(ねん)(1900)4月7日(がつなのか)指定(してい)/縦(たて)94.2㎝、横(よこ)40.2㎝/後醍醐天皇(ごだいごてんのう)が礼服(れいふく)の上(うえ)に袈裟(けさ)をかけ、頭(あたま)に王冠(おうかん)を着(つ)け、右手(みぎて)に五鈷杵(ごこしょ)、左手(ひだりて)に五鈷鈴(ごこれい)をとり、礼盤(らいばん)の上(うえ)に坐(ざ)す図像(ずぞう)です。この御影(みかげ)は、おそらく後醍醐天皇(ごだいごてんのう)が伝法勧請(でんぼうかんじよう)(密教(みっきょう)の秘法(ひほう)を授(さづ)ける儀式(ぎしき))を受(う)ける姿(すがた)を表(あらわ)したものと考(かんが)えられ、数多(かずおお)い天皇肖像画(てんのうしょうぞうが)のなかでも異色(いしょく)のものといえます。制作(せいさく)は南北朝(なんぼくちょう)から室町時代(むろまちじだい)にかかる頃(ころ)とみられ、応永(おおえい)3年(ねん)(1396)醍醐寺(だいごじ)の杲尊(こうそん)から遊行(ゆぎょう)12代(だい)尊観(そんかん)に渡(わた)されたものと伝(つた)えられています。画面上辺(がめんうわべ)の伊勢(いせ)(天照皇大神(あまてらすすめおおかみ))、八幡(やはた)、春日(かすが)の三神名号(さんじんみょうごう)は、この三社託宣思想(さんしゃたくせんしそう)(三社(さんしゃ)のお告(つ)げを尊(とうと)ぶ思想(しそう))の盛(さか)んとなる室町時代(むろまちじだい)に入(はい)ってから貼(は)られたものとも考(かんが)えられます。所有管理者(しょゆうかんりしゃ):清浄光寺(しょうじょうこうじ)(遊行寺(ゆぎょうじ))

絹本著色後醍醐天皇御像(けんぽんちゃくしょくごだいごてんのうおんぞう)

昭和(しょうわ)28年(ねん)(1953)12月(がつ)22日(にち)指定(してい)/縦(たて)114.4cm、横(よこ)52.5㎝/二河白道(にがびゃくどう)とは唐(とう)の善導大師(ぜんどうだいし)が経典(きょうてん)の中(なか)に説(と)いた教(おし)えで、本図(ほんず)はこれを図示(ずし)したものです。画面右手(がめんみぎて)に立(た)つのは釈迦(しゃか)、左手(ひだりて)は阿弥陀(あみだ)で、両方(りょうほう)の足下(あしもと)を一筋(ひとすじ)の白(しろ)い直線(ちょくせん)が結(むす)んでいます。白線(はくせん)の上下(じょうげ)は水(みず)の河(かわ)・火(ひ)の河(かわ)で、この「二河(にが)」が、釈迦(しゃか)の立(た)つこの世(よ)と、阿弥陀(あみだ)の立(た)つ浄土(じょうど)を大(おお)きく隔(へだ)てています。人(ひと)が阿弥陀(あみだ)のいる彼岸(ひがん)に渡(わた)るには、白(しろ)く狭(せま)い一本道(いっぽんみち)しかありません。この絵(え)は、欲深(よくぶか)い心(こころ)を表(あらわ)す水(みず)の河(かわ)や、怒(いか)り憎(にく)む心(こころ)を表(あらわ)す火(ひ)の河(かわ)に落(お)ちずに、清浄(せいじょう)な心(こころ)で真(ま)ん中(なか)の「白道(びゃくどう)」を進(すす)めば、浄土(じょうど)に着(つ)くことができる、と説(と)いているのです。下辺(かへん)に描(えが)かれている人物(じんぶつ)はこの世(よ)で合掌(がっしょう)する善導(ぜんどう)です。南北朝時代(なんぼくちょうじだい)、14世紀(せいき)の作(さく)と考(かんが)えられています。所有管理者(しょゆうかんりしゃ):清浄光寺(しょうじょうこうじ)(遊行寺(ゆぎょうじ))

絹本(けんぽん)著(ちゃく)色(しょく)二河白道(にがびゃくどう)図(ず)

昭和(しょうわ)57年(ねん)(1982)2月9日(がつここのか)指定(してい)/各巻(かくかん)縦(たて)33.0㎝/宗俊(そうしゅん)によって編集(へんしゅう)された10巻(じゅっかん)の伝記絵巻(でんきえまき)です。内容(ないよう)は前半(ぜんはん)の4巻(かん)17段(だん)が宗祖(しゅうそ)一遍(いっぺん)の事跡(じせき)、後半(こうはん)の6巻(かん)36段(だん)が二祖(にそ)他阿真教(たあしんきょう)の事跡(じせき)にあてられています。遊行上人縁起絵(ゆぎょうしょうにんえんぎえ)は原本(げんぽん)が現存(げんそん)せず、現在(げんざい)20本(ぽん)ほどの写本(しゃほん)が確認(かくにん)されていますが、この縁起絵(えんぎえ)もその内(うち)の一(ひと)つです。絵(え)の部分(ぶぶん)は少(すく)なくとも3種類(しゅるい)の画風(がふう)に大別(たいべつ)され、数人(すうにん)の絵師(えし)によって描(えが)かれたと考(かんが)えられています。南北朝(なんぼくちょう)から江戸時代(えどじだい)までの画風(がふう)の特徴(とくちょう)がみられ、制作年代(せいさくねんだい)の特定(とくてい)が困難(こんなん)ですが、室町時代(むろまちじだい)の作(さく)とされています。所有管理者(しょゆうかんりしゃ):清浄光寺(しょうじょうこうじ)(遊行寺(ゆぎょうじ))

紙本(しほん)著(ちゃく)色(しょく)遊行上人(ゆぎょうしょうにん)縁起(えんぎ)絵巻(えまき)

平成(へいせい)7年(ねん)(1995)2月14日(がつじゅうよっか)指定(してい)/縦(たて)57.1cm、横(よこ)24.3cm/鎌倉時代(かまくらじだい)の作(さく)と推定(すいてい)される一遍(いっぺん)の肖像画(しょうぞうが)です。阿弥衣(あみえ)を着(つ)け、手(て)に念仏札(ねんぶつふだ)を持(も)って口(くち)を開(ひら)く立(た)ち姿(すがた)で、念仏(ねんぶつ)を称(とな)えながら念仏札(ねんぶつふだ)を人々(ひとびと)に配(くば)ろうとする様子(ようす)を描(えが)いています。遊行(ゆぎょう)・賦算(ふさん・念仏札(ねんぶつ)配(くば)り)・称名(しょうみょう)に生(い)きた一遍(いっぺん)の特色(とくしょく)を表現(ひょうげん)しています。左半分(ひだりはんぶん)に蓮台(れんだい)と天蓋(てんがい)を配(はい)し、中(なか)に一遍流(いっぺんりゅう)の六字名号(ろくじみょうごう)を金字(こんじ)で付(ふ)し、上部右側(じょうぶみぎがわ)の色紙形(しきしがた)には六字無生頌(ろくじむしょうじゅ)を書(か)いていますが、後半(こうはん)の2行(ぎょう)は絹(きぬ)の欠損(けっそん)のため判読(はんどく)できません。彩色(さいしき)は口唇(くちびる)に朱(しゅ)を入(い)れる他(ほか)は墨色(すみいろ)を主体(しゅたい)に描(えが)かれ、画面上下(がめんじょうげ)には牡丹(ぼたん)の描表装(かきびょうそう)を施(ほどこ)しています。所有管理者(しょゆうかんりしゃ):清浄光寺(しょうじょうこうじ)(遊行寺(ゆぎょうじ))

絹本(けんぽん)著(ちゃく)色(しょく)一遍上人(いっぺんしょうにん)像(ぞう)

平成(へいせい)7年(ねん)(1995)2月14日(がつじゅうよっか)指定(してい)/縦(たて)51.0cm、横(よこ)30.5cm/室町時代(むろまちじだい)の作(さく)と推定(すいてい)される一遍(いっぺん)の肖像画(しょうぞうが)です。右半分(みぎはんぶん)に「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」の六字名号(ろくじみょうごう)を墨書(ぼくしょ)し、上部左側(じょうぶひだりがわ)に「六字之中 本無生死 一声之間 即証無生(ろくじのうち もとせいしなし いっせいのあいだ すなわちむしょうをさとる)」の六字無生頌(ろくじむしょうじゅ)を書(か)いています。この頌(しょう)は一遍(いっぺん)が悟(さと)りを得(え)たことを表(あらわ)した詩(し)です。一遍(いっぺん)は阿弥衣(あみえ)を着(つ)け、手(て)に数珠(じゅず)を下(さ)げ念仏札(ねんぶつふだ)を持(も)って、口(くち)を開(ひら)いて立(た)っています。なお、「一遍聖絵(いっぺんひじりえ)」の最後(さいご)の場面(ばめん)で、没後(ぼつご)に兵庫(ひょうご)の御影堂(みえいどう)に祀(まつ)られた一遍立像(いっぺんりゅうぞう)が描(えが)かれていますが、現存(げんそん)する一遍画像(いっぺんがぞう)の古作(こさく)も同様(どうよう)にみな立像(りゅうぞう)です。所有管理者(しょゆうかんりしゃ):清浄光寺(しょうじょうこうじ)(遊行寺(ゆぎょうじ))

紙本(しほん)墨画(ぼくが)淡彩(たんさい)一遍上人(いっぺんしょうにん)像(ぞう)

昭和(しょうわ)46年(ねん)(1971)7月5日(がついつか)指定(してい)/縦(たて)76.4㎝、横(よこ)128.2㎝/江戸後期(えどこうき)の絵師(えし)・酒井抱一(さかいほういつ)が枠付(わくつ)きの桐板(きりいた)に正面(しょうめん)向(む)きの亀(かめ)を力強(ちからづよ)い線(せん)で描(えが)いた絵(え)です。桐材(きりざい)に金箔(きんぱく)を押(お)し、胡粉(ごふん)、緑青(ろくしょう)、丹(たん)(赤(あか))で彩色(さいしき)されていましたが、今(いま)は亀(かめ)の甲(こう)3ヵ所(かしょ)に緑青(ろくしょう)、また口(くち)と目(め)の周辺(しゅうへん)に丹(たん)がわずかに残(のこ)っているだけです。右上横(みぎうえよこ)に「維時享和三年龍集昭陽(これとききょうわさんねんりゅうしゅうしょうよう) 大淵献夏林鐘之月(たいえんけんなつりんしょうのつき) 抱一製(ほういつせい)」の墨書銘(ぼくしょめい)があり、享和(きょうわ)3年(ねん)(1803)の作(さく)とわかります。奥津宮楼門(おくつみやろうもん)の天井(てんじょう)の中央(ちゅうおう)に奉納(ほうのう)された原画(げんが)は損傷(そんしょう)が激(はげ)しく、野沢提翆(のざわはんてい)(抱一(ほういつ)の末流(まつりゅう))による模写(もしゃ)が掲(かか)げられています。所有管理者(しょゆうかんりしゃ):江島神社(えのしまじんじゃ)

原画

八方睨(はっぽうにら)みの亀(かめ)の絵(え)



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