Fujisawa Net Museum

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平成(へいせい)8(ねん)(1996)3月1日(がつついたち)指定(してい)(たて)90.0㎝、(よこ)38.5㎝/一遍(いっぺん)(あと)をうけ遊行(ゆぎょう)(つづ)けた時宗(じしゅう)二祖(にそ)他阿真教(たあしんきょう)肖像画(しょうぞうが)です。室町時代(むろまちじだい)(さく)推定(すいてい)されています。素足(すあし)上畳(あげだたみ)(うえ)()合掌(がっしょう)する姿(すがた)で、ねずみ(いろ)(ふすま)防寒用具(ぼうかんようぐ))をはおっています。肉身(にくしん)肉色(にくいろ)()り、(きわ)めて(ほそ)墨線(すみせん)でくくり、(くち)(あわ)(しゅ)をさし、衣紋線(えもんせん)(すみ)細線(さいせん)使用(しよう)して、上畳(あげだたみ)緑青(ろくしょう)(えん)(しろ)(すみ)(えが)()しで花文(かもん)(あらわ)しています。全国的(ぜんこくてき)には、類似(るいじ)像容(ぞうよう)何本(なんぼん)存在(そんざい)しますが、面貌(めんぼう)にやや損傷(そんしょう)があるものの、一時代(いちじだい)作風(さくふう)(つた)える真教像(しんきょうぞう)善本(ぜんぽん)といえます。所有管理者(しょゆうかんりしゃ)清浄光寺(しょうじょうこうじ)遊行寺(ゆぎょうじ)

絹本(けんぽん)(ちょく)(しょく)二祖(にそ)他阿(たあ)(しん)(きょう)(ぞう)

平成(へいせい)10(ねん)(1998)2(がつ)12(にち)指定(してい)(たて)76.0cm、(よこ)32.5cm/遊行遊行(ゆぎょう)14(だい)太空上人(たいくうしょうにん)(えが)いた肖像画(しょうぞうが)です。(ふすま)防寒用具(ぼうかんようぐ))をはおり、数珠(じゅず)をもって合掌(がっしょう)する姿(すがた)で、一遍像(いっぺんぞう)他阿真教像(たあしんきょうぞう)同様(どうよう)六字名号(ろくじみょうごう)(しる)しています。ただ、時宗(じしゅう)高僧画像(こうそうがぞう)としては(めずら)しく、椅子(いす)()した頂相(ちんぞう)禅僧(ぜんそう)肖像画(しょうぞうが))の形式(けいしき)になっています。画絹(えぎぬ)欠失(けっしつ)目立(めだ)ちますが、(さいわ)像容(ぞうよう)はよく(のこ)っており、室町時代(むろまちじだい)(さく)推定(すいてい)されています。太空(たいくう)は、上杉禅秀(うえすぎぜんしゅう)(らん)落命(らくめい)した人畜(じんちく)(ひと)しく供養(くよう)した敵御方供養塔(てきみかたくようとう)(清浄光寺境内(しょうじょうこうじけいだい))を造立(ぞうりゅう)したことでも()られています。所有管理者(しょゆうかんりしゃ)清浄光寺(しょうじょうこうじ)遊行寺(ゆぎょうじ)

絹本(けんぽん)著色(ちゃくしょく)(たい)(くう)上人(しょうにん)(ぞう)

昭和(しょうわ)2(ねん)(1927)4(がつ)25(にち)指定(してい)像高(ぞうこう)90.5cm、檜材寄木造(ひのきざいよせぎづくり)漆箔(しっぱく)玉眼(ぎょくがん)養命寺(ようめいじ)本尊(ほんぞん)です。男性的(だんせいてき)面貌(めんぼう)堂々(どうどう)とした体躯(たいく)()れのよい衣文彫出(えもんほりだし)など、鎌倉初期(かまくらしょき)関東彫刻(かんとうちょうこく)(ふか)()ざした運慶様(うんけいよう)受容(じゅよう)したきわめて貴重(きちょう)(ぞう)です。玉眼(ぎょくがん)使用(しよう)東国(とうごく)では早期(そうき)作例(さくれい)(ひと)つです。胎内(たいない)建久(けんきゅう)8(ねん)(1197)の墨書銘(ぼくしょめい)があり、造立(ぞうりゅう)ないし供養(くよう)(とし)(かんが)えられています。養命寺(ようめいじ)は16世紀(せいき)創建(そうけん)(つた)え、14世紀(せいき)大庭(おおば)薬師堂(やくしどう)のあったことが()られているので、(もと)はその本尊(ほんぞん)であった可能性(かのうせい)(たか)いものです。大正(たいしょう)関東大地震(かんとうだいじしん)罹災(りさい)し、昭和(しょうわ)3(ねん)修復(しゅうふく)され、また平成(へいせい)28年度(ねんど)再度(さいど)修復(しゅうふく)(おこな)われました。※12(ねん)一度(いちど)寅年(とらどし)開帳(かいちょう)所有管理者(しょゆうかんりしゃ)養命寺(ようめいじ)現在(げんざい)鎌倉国宝館(かまくらこくほうかん)寄託中(きたくちゅう)

木造(もくぞう)薬師如来坐像(やくしにょらいざぞう)

2019(ねん)指定(してい)像高(ぞうこう)58.5㎝、寄木造(よせぎづくり)玉眼(ぎょくがん)八臂(はっぴ)・8本腕(ぽんうで))の弁才天坐像(べんざいてんざぞう)です。面相(めんそう)衣文(えもん)特色(とくしょく)などから鎌倉時代(かまくらじだい)(さく)(かんが)えられています。頭上(ずじょう)蛇身(じゃしん)宇賀神(うがじん)をいただき、まなじりの()()がった両目(りょうめ)(つよ)表情(ひょうじょう)をつくっています。8(ぽん)()には(ゆみ)()(けん)宝珠(ほうじゅ)輪宝(りんぽう)(げき)宝棒(ほうぼう)(かぎ)()っています。首内部(くびないぶ)墨書銘(ぼくしょめい)から永正(えいしょう)10(ねん)(1513)に彩色修理(さいしきしゅうり)されたことがわかります。かつて下之宮(しものみや)(辺津宮(へつみや)本殿(ほんでん)(たてまつ)られていました。弁才天(べんざいてん)は、元来(がんらい)インドの(かわ)(かみ)で、水神(すいじん)として尊崇(そんすう)されました。祠堂(しどう)(いけ)(かわ)のほとりに(おお)()られるのはそのためです。やがて言語(げんご)弁才(べんさい))の(かみ)、さらに財宝(ざいほう)をもたらす幸福(こうふく)(かみ)とされ、七福神(しちふくじん)一人(ひとり)とされました。
所有管理者(しょゆうかんりしゃ)江島神社(えのしまじんじゃ)

木造(もくぞう)彩色(さいしき)弁才天(べんざいてん)坐像(ざぞう)

平成元年(へいせいがんねん)(1989)12(がつ)25(にち)指定(してい)像高(ぞうこう)178.5㎝、檜材寄木造(ひのきざいよせぎづくり)玉眼(ぎょくがん)慈眼寺(じがんじ)本尊(ほんぞん)です。水晶(すいしょう)玉眼(ぎょくがん)をはめこみ、頭体(あたまからだ)とも四材矧(しざいは)ぎを基本(きほん)につくられています。頭上中央(ずじょうちゅうおう)仏頂面(ぶっちょうづら)十面(じゅうめん)化仏(けぶつ)(いただ)き、左手(ひだりて)蓮華(れんげ)をもつ通常(つうじょう)尊容(そんよう)です。量感(りょうかん)(ゆた)かな尊体(そんたい)顔立(かおだ)ちはゆったりとした反面(はんめん)知的(ちてき)()()まり、着衣(ちゃくい)表現(ひょうげん)巧緻(こうち)です。慶派系(けいはけい)作風(さくふう)(うかが)わせる本格的(ほんかくてき)良作(りょうさく)で、鎌倉後期(かまくらこうき)(さく)(かんが)えられています。解体修理(かいたいしゅうり)往古(おうこ)(すぐ)れた尊容(そんよう)(ふく)された(おり)胎内文書(たいないもんじょ)発見(はっけん)され、天正(てんしょう)11(ねん)(1583)に鎌倉仏師(かまくらぶっし)快円(かいえん)修理(しゅうり)(くわ)えたことなど、貴重(きちょう)事実(じじつ)(あら)たに確認(かくにん)されました。秘仏(ひぶつ)ですので通常(つうじょう)拝観(はいかん)はできません。所有管理者(しょゆうかんりしゃ)慈眼寺(じがんじ)

木造(もくぞう)(じゅう)(いち)(めん)観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)立像(りゅうぞう)



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