Fujisawa Net Museum

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江戸(えど)・木屋宗次郎(きやそうじろう)版(ばん)
弘化(こうか)~安政(あんせい)4年(ねん)(1844-1857年(ねん))

発句(ほっく)とは連歌(れんが)の発端(ほったん)となる五(ご)七(なな)五(ご)の句(く)のことです。振(ふ)り出(だ)しの日本橋(にほんばし)から大津(おおつ)まで、各(かく)宿場(しゅくば)の風景(ふうけい)に2~3の句(く)が添(そ)えられ、振(ふ)り出(だ)しの日本橋(にほんばし)では6つ、京(きょう)には9つの句(く)があげられています。
 上(あ)がりの京(きょう)では、数(かず)の余(あま)りがあると上(あ)がれないルールで、「一(ひと)ツ余(あま)れば 大津(おおつ)へ戻(もど)ル 二(ふた)ツ 〃 草津(くさつ)へ戻(もど)ル 三(み)ツ 〃 石部(いしべ)へ戻(もど)ル 四(よっ)ツ 〃 水口(みなくち)へ戻(もど)ル 五(いつ)ツ 〃 宮(みや)へ戻(もど)ル」と記載(きさい)があります。
 藤沢(ふじさわ)の絵(え)は四(よ)ツ谷(や)の立(た)て場(ば)の風景(ふうけい)、平塚(ひらつか)は花水川(はなみずがわ)をはさんだ高麗山(こまやま)の風景(ふうけい)となっています。藤沢(ふじさわ)の1句(く)目(め)を詠(よ)んでいる尾張(おわり)・服部(はっとり)李曠(りこう)(1861年(ねん)没(ぼつ))、2句(く)目(め)の江戸(えど)・村井(むらい)鳳洲(おうしゅう)(1814-1874年(ねん))や平塚(ひらつか)3句(く)目(め)の京(きょう)・中島(なかじま)黙池(もくち)(1881年(ねん)没(ぼつ))などは、いずれも著名(ちょめい)な俳人(はいじん)です。

東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)発句(ほっく)双六(すごろく)

大坂(おおさか)・綿屋(わたや)喜兵衛(きへえ)版(ばん) 天保(てんぽう)~嘉永(かえい)(1830-1854年(ねん))頃(ごろ)

東海道(とうかいどう)の道中双六(どうちゅうすごろく)には、様々(さまざま)な要素(ようそ)が取(と)り込(こ)まれましたが、享和(きょうわ)2年(ねん)(1802年(ねん))に出版(しゅっぱん)された十返舎(じっぺんしゃ)一九(いっく)の『東海道中膝栗毛(とうかいどうちゅうひざくりげ)』が大(だい)流行(りゅうこう)すると、その内容(ないよう)を盛(も)り込(こ)んだ双六(すごろく)が多(おお)く現(あらわ)れました。この双六(すごろく)もその一(ひと)つで、それぞれのマスに描(えが)かれている情景(じょうけい)が、『膝栗毛(ひざくりげ)』のワンシーンであったり、出発(しゅっぱつ)地(ち)が東海道(とうかいどう)の起点(きてん)の日本橋(にほんばし)ではなく、『膝栗毛(ひざくりげ)』の主人公(しゅじんこう)が住(す)む神田(かんだ)八丁堀(はっちょうぼり)になっていたりと、随所(ずいしょ)に物語(ものがたり)と双六(すごろく)の内容(ないよう)を関連(かんれん)づけるような工夫(くふう)が見(み)られます。出版(しゅっぱん)(版元(はんもと))の綿屋(わたや)喜兵衛(きへえ)は大坂(おおさか)の本屋(ほんや)で、作者(さくしゃ)(絵師(えし))の歌川(うたがわ)国(こく)升(ます)も大坂(おおさか)の浮世絵師(うきよえし)です。

五十三駅(ごじゅうさんつぎ)滑稽(こっけい)膝栗毛(ひざくりげ)道中図(どうちゅうず)会(え)(双六(すごろく))



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