ふりがな
江の島の歴史
江の島歴史年表
江の島散策マップ
江の島の文化財
江の島を訪れた人々
資料種類しりょうしゅるい(大分類だいぶんるい):
資料種類しりょうしゅるい(中分類ちゅうぶんるい):
資料種類しりょうしゅるい(小分類しょうぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(大分類だいぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(中分類ちゅうぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(小分類しょうぶんるい):
作者さくしゃ(50音分類おんぶんるい):
作者さくしゃ:
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旅人(たびびと)に便宜(べんぎ)を図(はか)る講(こう)である大船講(おおぶねこう)の【道中記(どうちゅうき)(講帳(こうちょう))】 諸国(しょこく)の街道(かいどう)について、簡略(かんりゃく)な名所案内(めいしょあんない)を交(まじ)えて、宿駅(しゅくえき)・里程(りてい)と、講(こう)に加盟(かめい)する宿屋(やどや)・休所(やすみどころ)の名(な)を列挙(れっきょ)しています。街道見出(かいどうみだ)しは、東海道定宿休所(とうかいどうじょうやどやすみどころ)、秋葉鳳来寺道(あきはほうらいじみち)、伊勢参宮道(いせさんぐうみち)など48項目(こうもく)で、全国(ぜんこく)に及(およ)んでいます。 江の島(えのしま)の定宿(じょうやど)は戎や吉右衛門(えびすやきちえもん)と北村や忠右衛門(きたむらやちゅうえもん)。藤沢宿(ふじさわしゅく)は蔦屋又兵衛(つたやまたべい)・たばこや庄右衛門(しょうえもん)・長尾や長右衛門(ながおやちょうえもん)。四ッ谷(よつや)は八(は)(羽(は))鳥(とり)や八左衛門(はちざえもん)。南湖(なんこ)は江戸や八郎右衛門(えどやはちろうえもん)が記(しる)されています。
大船(おおふな)講(こう) 日本国(にほんこく)中(じゅう)・定宿(ていしゅく)休(やすみ)所(どころ)
狂歌(きょうか):春風(しゅんぷう)に 池(いけ)の氷(こおり)の とけそめて 刎(はね)出(で)る鯉(こい)や 鮒(ふな)も花(はな)なる(狂歌亭真似言) 画面(がめん)右(みぎ)に宿場(しゅくば)の出入口(でいりぐち)を示(しめ)す牓(ぼう)示(じ)杭(くい)がみえることから、宿場(しゅくば)の入(い)り口(くち)を描(えが)いていることがわかります。また、同(どう)じく画面(がめん)右(みぎ)に、御幣(ごへい)をつけた馬(うま)を引(ひ)き連(つ)れる一行(いっこう)が見(み)えますが、これは八朔(はっさくの)御馬(おうま)進(しん)献(けん)という旧暦(きゅうれき)の毎年(まいとし)8月(がつ)に幕府(ばくふ)から御所(ごしょ)へ馬(うま)を献上(けんじょう)する一行(いっこう)を描(えが)いています。
東海道五拾三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ) 池鯉鮒(ちりゅう)(狂歌(きょうか)入(い)り東海道(とうかいどう))
狂歌(きょうか):すゞ(ず)か山(やま) ふる双六(すごろく)は たび人(びと)の さきへさきへと いそぐ駅路(えきろ)(森風亭波都賀) 坂(さか)下宿(したしゅく)の手前(てまえ)の筆(ふで)捨(すて)山(やま)の場面(ばめん)を描(えが)いています。この茶屋(ちゃや)は、鈴鹿(すずか)川(かわ)を挟(はさ)んだ対岸(たいがん)に望(のぞ)む筆(ふで)捨(すて)山(やま)の眺望(ちょうぼう)が評判(ひょうばん)でした。筆(ふで)捨(すて)山(やま)の名前(なまえ)は、室町時代(むろまちじだい)の絵師(えし)、狩(か)野(のう)元信(もとのぶ)がこの山(やま)を写(うつ)そうと筆(ふで)を取(と)ったところ天候(てんこう)の変化(へんか)に左右(さゆう)され思(おも)うように写(うつ)しきれず、ついに諦(あきら)めて筆(ふで)を捨(す)てたという故事(こじ)に由来(ゆらい)するものです。
東海道五拾三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ) 阪之下(さかのした)筆(ふで)捨(すて)山(やま)之(の)図(ず)(狂歌(きょうか)入(い)り東海道(とうかいどう))
制作(せいさく)時期(じき):明治(めいじ) 18 年(ねん)(1885)。 豊原国周(とよはらくにちか)(1835 - 1900)は、三代(さんだい)豊国(とよくに)に入門(にゅうもん)しましたが、終生(しゅうせい)、歌川(うたがわ)を称(しょう)さず、豊原(とよはら)を名乗(なの)りました。 芳年(ほうねん)、芳(よし)幾(いく)と合(あ)わせて明治(めいじ)浮世絵(うきよえ)界(かい)の三傑(さんけつ)とも称(しょう)されました。 作品(さくひん)は河竹黙阿弥(かわたけもくあみ)作(さく)の歌舞伎(かぶき)狂言(きょうげん)「青砥稿花紅彩画(あおとぞうしはなのにしきえ)」のハイライト、「稲瀬川(いなせがわ)勢揃(せいぞろ)い」で、大見得(おおみえ)を切(き)る5人(にん)の口(くち)から述(の)べられる口上(こうじょう)が、ずらりと記(しる)されています。
しら浪(なみ)五(ご)人(にん)男(おとこ)
製作(せいさく)時期(じき):安政(あんせい)2年(にねん)(1855)。板元(はんもと):蔦屋吉蔵(つたやきちぞう) 鞠子宿(まりこしゅく)内(ない)の様子(ようす)が描(えが)かれています。鞠子(まりこ)はとろろ汁(じる)で有名(ゆうめい)な宿場(しゅくば)でした。両側(りょうがわ)に続(つづ)く茶屋(ちゃや)には「とろろ汁(じる)」の看板(かんばん)がいくつもかかっています。左(ひだり)手前(てまえ)の店先(みせさき)で客(きゃく)がとろろ汁(じる)をすすっています。また茶屋(ちゃや)の壁(かべ)には浮世絵(うきよえ)と思(おも)われる絵画(かいが)が飾(かざ)ってあり、当時(とうじ)浮世絵(うきよえ)が一般的(いっぱんてき)に普及(ふきゅう)していたことが伺(うかが)える作品(さくひん)でもあります。 このシリーズが竪(たて)型(がた)版(ばん)であるため、一般(いっぱん)に竪(たて)絵(え)東海道(とうかいどう)と呼(よ)ばれ、広重(ひろしげ)晩年(ばんねん)(59 才(さい))の作品(さくひん)です。広重(ひろしげ)の東海道(とうかいどう)ものは大体(だいたい)において、横型(よこがた)の風景画(ふうけいが)が多(おお)いなかで、竪(たて)型(がた)物(ぶつ)もいくつかあります。この名所図会(めいしょずえ)シリーズではほとんどの宿(やど)が鳥瞰図(ちょうかんず)で描(えが)かれ、町並(まちな)み等(とう)に遠近法(えんきんほう)を用(もち)い、横(よこ)判(ばん)では見(み)られない雰囲気(ふんいき)をかもし出(だ)しています。
五十三次(ごじゅうさんつぎ)名所図会(めいしょずえ) 二十一(にじゅういち) 鞠子(まりこ) 駅中(えきちゅう)名物(めいぶつ)とろゝ汁(しる)をひさく(竪(たて)絵(え)東海道(とうかいどう))
製作(せいさく)時期(じき):安政(あんせい)2年(にねん)(1855)。板元(はんもと):蔦屋吉蔵(つたやきちぞう) 竪(たて)絵(え)では、鴫(しぎ)立沢(たつさわ)とその奥(おく)に広(ひろ)がる相模湾(さがみわん)の景色(けしき)を描(えが)いています。鳥瞰(ちょうかん)的(てき)に描(えが)かれていることで、より画面(がめん)に広(ひろ)がりが出(で)ています。 このシリーズが竪(たて)型(がた)版(ばん)であるため、一般(いっぱん)に竪(たて)絵(え)東海道(とうかいどう)と呼(よ)ばれ、広重(ひろしげ)晩年(ばんねん)(59 才(さい))の作品(さくひん)です。広重(ひろしげ)の東海道(とうかいどう)ものは大体(だいたい)において、横型(よこがた)の風景画(ふうけいが)が多(おお)いなかで、竪(たて)型(がた)物(ぶつ)もいくつかあります。この名所図会(めいしょずえ)シリーズではほとんどの宿(やど)が鳥瞰図(ちょうかんず)で描(えが)かれ、町並(まちな)み等(とう)に遠近法(えんきんほう)を用(もち)い、横(よこ)判(ばん)では見(み)られない雰囲気(ふんいき)をかもし出(だ)しています。
五十三次(ごじゅうさんつぎ)名所図会(めいしょずえ) 九(く) 大磯(おおいそ) 鴫(しぎ)立沢(たつざわ)西行(さいぎょう)庵(あん)(竪(たて)絵(え)東海道(とうかいどう))
製作(せいさく)時期(じき):天保(てんぽう)14年(ねん)(1843)~弘化(こうか)4年(ねん)(1847)。板元(はんもと):伊場仙(いばせん)(伊場(いば)屋(や)仙三郎(せんざぶろう)) 振(ふ)り返(かえ)って富士(ふじ)を仰(あお)ぎ見(み)る女性(じょせい)は、歌舞伎(かぶき)の『仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)』の登場人物(とうじょうじんぶつ)、腰元(こしもと)のおかるです。恋人(こいびと)の早野(はやの)勘平(かんぺい)と落(お)ち延(の)びてゆく途中(とちゅう)の、戸塚(とつか)の坂道(さかみち)での場面(ばめん)が描(えが)かれております。 『仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)』は江戸時代(えどじだい)に起(お)きた事件(じけん)を元(もと)にした物語(ものがたり)ですが、江戸時代(えどじだい)は当時(とうじ)の話(はなし)を歌舞伎(かぶき)にすることは禁止(きんし)されていたため、“鎌倉時代(かまくらじだい)の物語(ものがたり)”として上演(じょうえん)されました。 このシリーズは、初代(しょだい)広重(ひろしげ)、三代(さんだい)豊国(とよくに)、国芳(くによし)の3人(にん)の当時(とうじ)代表的(だいひょうてき)人気(にんき)浮世絵師(うきよえし)が分担(ぶんたん)して描(えが)いたものです。風景(ふうけい)は少(すく)なく人物(じんぶつ)を主(おも)とし、下(した)3分(ぶん)の2が画面(がめん)で、それぞれの宿(やど)にちなんだ伝説(でんせつ)、史跡(しせき)、著名(ちょめい)な出来事(できごと)等(など)を描(えが)き、上(うえ)3分(ぶん)の1に下(した)の絵(え)の説明(せつめい)がなされています。
東海道(とうかいどう)五(ご)十(じゅう)三(さん)対(つい) 戸塚(とつか)
製作(せいさく)時期(じき):万延(まんえん)元年(がんねん)(1860)。板元(はんもと):當世屋(とうせいや)(品川屋久助(しながわやきゅうすけ)) このシリーズは大(だい)ヒットした十返舎(じっぺんしゃ)一九(いっく)の『東海道中膝栗毛(とうかいどうちゅうひざくりげ)』を摸(も)して作(つく)られています。各(かく)宿(やど)には弥次(やじ)さん、喜多(きた)さんが登場(とうじょう)し、芳幾(よしいく)が二人(ふたり)のくりひろげる道中(どうちゅう)模様(もよう)をユーモラスに描(えが)き、魯文(ろぶん)が各(かく)宿(やど)のテーマとなる文章(ぶんしょう)、狂歌(きょうか)一句(いっく)と二人(ふたり)の会話(かいわ)をおもしろおかしく記(しる)しています。
東海道(とうかいどう)中(ちゅう)栗毛(くりげ)彌次馬(やじうま) 序(じょ)2