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江の島の歴史
江の島歴史年表
江の島散策マップ
江の島の文化財
江の島を訪れた人々
資料種類しりょうしゅるい(大分類だいぶんるい):
資料種類しりょうしゅるい(中分類ちゅうぶんるい):
資料種類しりょうしゅるい(小分類しょうぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(大分類だいぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(中分類ちゅうぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(小分類しょうぶんるい):
作者さくしゃ(50音分類おんぶんるい):
作者さくしゃ:
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板元(はんもと):丸蔦(まるつた) 江尻宿(えじりしゅく)は安宿(やすやど)でのひとこま。フンドシ一(ひと)つで寝(ね)ている二人(ふたり)の座頭(ざとう)(目(め)の不自由(ふじゆう)な人(ひと))の内(うち)の一人(ひとり)が、騒(さわ)ぐネズミを捕(つか)まえたつもりでフンドシの先(さき)で巾着(きんちゃく)(ヒモを尻尾(しっぽ)と勘違(かんちが)い)を押(お)さえています。逃(のが)れたネズミたちの「どうだ!」といったポーズが笑(わら)いを誘(さそ)います。歌川派(うたがわは)の多(おお)くの浮世絵師(うきよえし)が東海道(とうかいどう)五十三次(ごじゅうさんつぎ)シリーズを描(えが)いていますが、芳(よし)員(かず)が描(えが)いたこのシリーズは、各(かく)宿場(しゅくば)にまつわる伝説(でんせつ)や逸話(いつわ)を面白(おもしろ)おかしく紹介(しょうかい)しています。全般的(ぜんぱんてき)に横(よこ)小判(しょうばん)の絵(え)の中(なか)にはユーモラスな図柄(ずがら)が多(おお)いとも言(い)われます。
東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)之(の)内(うち) 江尻(えじり)
板元(はんもと):丸蔦(まるつた) 府中(ふちゅう)は、巨大(きょだい)なミミズが地面(じめん)より飛(と)び出(だ)していますが、七十二候(しちじゅうにこう)(季節(きせつ)を表(あらわ)す方式(ほうしき)の一(ひと)つ)「蚯蚓出(みみずいずる)(春(はる)と夏(なつ)の間(あいだ)頃(ごろ)の蚯蚓(みみず)が地上(ちじょう)に這出(はいで)る時期(じき))を表(あらわ)したものでしょうか。しかし、これはちょっと大袈裟(おおげさ)。 歌川派(うたがわは)の多(おお)くの浮世絵師(うきよえし)が東海道(とうかいどう)五十三次(ごじゅうさんつぎ)シリーズを描(えが)いていますが、芳(よし)員(かず)が描(えが)いたこのシリーズは、各(かく)宿場(しゅくば)にまつわる伝説(でんせつ)や逸話(いつわ)を面白(おもしろ)おかしく紹介(しょうかい)しています。全般的(ぜんぱんてき)に横(よこ)小判(しょうばん)の絵(え)の中(なか)にはユーモラスな図柄(ずがら)が多(おお)いとも言(い)われます。
東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)之(の)内(うち) 府中(ふちゅう)
板元(はんもと):丸蔦(まるつた) 鞠子(まりこ)の名物(めいぶつ)は「とろろ汁(じる)」。「山(やま)の芋(いも)ウナギになる」とは、あるはずのないことが時(とき)には起(お)こるというたとえですが、とろろ(山芋(やまいも))汁(じる)を食(た)べていたら、ありえないはずのことが…。 江戸時代(えどじだい)、藤枝(ふじえだ)の勝草橋(かつくさはし)周辺(しゅうへん)は東海道(とうかいどう)の渡河地点(とかちてん)でしたが、瀬戸川(せとがわ)には橋(はし)が架(か)けられず、瀬戸川(せとがわ)の徒渡(かちわた)りと言(い)われ知(し)られていました。画(が)中(ちゅう)の2人(ふたり)は、目(め)の不自由(ふじゆう)な座頭(ざとう)で、「どぶかっちり」という狂言(きょうげん)の演目(えんもく)から話(はなし)をとっているようです。 歌川派(うたがわは)の多(おお)くの浮世絵師(うきよえし)が東海道(とうかいどう)五十三次(ごじゅうさんつぎ)シリーズを描(えが)いていますが、芳(よし)員(かず)が描(えが)いたこのシリーズは、各(かく)宿場(しゅくば)にまつわる伝説(でんせつ)や逸話(いつわ)を面白(おもしろ)おかしく紹介(しょうかい)しています。全般的(ぜんぱんてき)に横(よこ)小判(しょうばん)の絵(え)の中(なか)にはユーモラスな図柄(ずがら)が多(おお)いとも言(い)われます。
東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)之(の)内(うち) 鞠子(まりこ)
板元(はんもと):丸蔦(まるつた) 岡部(おかべ)では、岡部宿(おかべしゅく)と鞠子宿(まりこしゅく)の間(あいだ)にある立場(たてば)(宿駅(しゅくえき)の出入口(でいりぐち)にあった休息所(きゅうそくじょ)、宇津山(うつやま)の茶屋(ちゃや)の様子(ようす)が描(えが)かれています。名物(めいぶつ)は十団子(じゅうだんご)。小(ちい)さな団子(だんご)(餅(もち)を丸(まる)めたもの)を放(ほう)り投(な)げて食(た)べる遊(あそ)びをしているところを、やって来(き)た旅人(たびびと)が見(み)て驚(おどろ)いています。 歌川派(うたがわは)の多(おお)くの浮世絵師(うきよえし)が東海道(とうかいどう)五十三次(ごじゅうさんつぎ)シリーズを描(えが)いていますが、芳(よし)員(かず)が描(えが)いたこのシリーズは、各(かく)宿場(しゅくば)にまつわる伝説(でんせつ)や逸話(いつわ)を面白(おもしろ)おかしく紹介(しょうかい)しています。全般的(ぜんぱんてき)に横(よこ)小判(しょうばん)の絵(え)の中(なか)にはユーモラスな図柄(ずがら)が多(おお)いとも言(い)われます。
東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)之(の)内(うち) 岡部(おかべ)
板元(はんもと):丸蔦(まるつた) 歌川派(うたがわは)の多(おお)くの浮世絵師(うきよえし)が東海道(とうかいどう)五十三次(ごじゅうさんつぎ)シリーズを描(えが)いていますが、芳(よし)員(かず)が描(えが)いたこのシリーズは、各(かく)宿場(しゅくば)にまつわる伝説(でんせつ)や逸話(いつわ)を面白(おもしろ)おかしく紹介(しょうかい)しています。全般的(ぜんぱんてき)に横(よこ)小判(しょうばん)の絵(え)の中(なか)にはユーモラスな図柄(ずがら)が多(おお)いとも言(い)われます。
東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)之(の)内(うち) 藤枝(ふじえだ)
板元(はんもと):丸蔦(まるつた) 島田(しまだ)は大井川(おおいがわ)の川渡(かわわた)し。旅人(たびびと)が一人(ひとり)の場合(ばあい)は、人(ひと)が担(かつ)いで渡(わた)る徒渡(かちわた)しでした。女相撲(おんなずもう)の力士(りきし)を担(かつ)ごうとした渡(わた)しの人(ひと)がつぶれています。江戸時代(えどじだい)の一般的(いっぱんてき)な女性(じょせい)の髪形(かみがた)の名称(めいしょう)「島田(しまだ)」にひっかけた洒落(しゃれ)でしょうか。 歌川派(うたがわは)の多(おお)くの浮世絵師(うきよえし)が東海道(とうかいどう)五十三次(ごじゅうさんつぎ)シリーズを描(えが)いていますが、芳(よし)員(かず)が描(えが)いたこのシリーズは、各(かく)宿場(しゅくば)にまつわる伝説(でんせつ)や逸話(いつわ)を面白(おもしろ)おかしく紹介(しょうかい)しています。全般的(ぜんぱんてき)に横(よこ)小判(しょうばん)の絵(え)の中(なか)にはユーモラスな図柄(ずがら)が多(おお)いとも言(い)われます。
東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)之(の)内(うち) 嶋田(しまだ)
板元(はんもと):丸蔦(まるつた) 金谷宿(かなやしゅく)は東海道(とうかいどう)最大(さいだい)の難所(なんしょ)「大井川(おおいがわ)」の渡渉地(としょうち)(渡(わた)り場所(ばしょ))として栄(さか)えた場所(ばしょ)です。宿(やど)には飯盛(めしも)り女(おんな)と呼(よ)ばれる酌婦(しゃくふ)が付(つ)き物(もの)だったようで、鏡(かがみ)の前(まえ)で化粧(けしょう)に余念(よねん)のない女性(じょせい)たちが描(えが)かれています。 歌川派(うたがわは)の多(おお)くの浮世絵師(うきよえし)が東海道(とうかいどう)五十三次(ごじゅうさんつぎ)シリーズを描(えが)いていますが、芳(よし)員(かず)が描(えが)いたこのシリーズは、各(かく)宿場(しゅくば)にまつわる伝説(でんせつ)や逸話(いつわ)を面白(おもしろ)おかしく紹介(しょうかい)しています。全般的(ぜんぱんてき)に横(よこ)小判(しょうばん)の絵(え)の中(なか)にはユーモラスな図柄(ずがら)が多(おお)いとも言(い)われます。
東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)之(の)内(うち) 金谷(かなや)
板元(はんもと):丸蔦(まるつた) 歌川派(うたがわは)の多(おお)くの浮世絵師(うきよえし)が東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)シリーズを描(えが)いていますが、芳員(よしかず)が描(えが)いたこのシリーズは、各(かく)宿場(しゅくば)にまつわる伝説(でんせつ)や逸話(いつわ)を面白(おもしろ)おかしく紹介(しょうかい)しています。全般的(ぜんぱんてき)に横小判(よここばん)の絵(え)の中(なか)にはユーモラスな図柄(ずがら)が多(おお)いとも言(い)われます。
東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)之(の)内(うち) 日坂(にっさか)