ふりがな
江の島の歴史
江の島歴史年表
江の島散策マップ
江の島の文化財
江の島を訪れた人々
資料種類しりょうしゅるい(大分類だいぶんるい):
資料種類しりょうしゅるい(中分類ちゅうぶんるい):
資料種類しりょうしゅるい(小分類しょうぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(大分類だいぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(中分類ちゅうぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(小分類しょうぶんるい):
作者さくしゃ(50音分類おんぶんるい):
作者さくしゃ:
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源頼朝(みなもとのよりとも)による「富士の牧(巻)狩(ふじのまきがり)」は史書(ししょ)の『吾妻鏡(あずまかがみ)』(鎌倉時代(かまくらじだい)の歴史書(れきししょ))にも記(しる)されていますが、頼朝(よりとも)が征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)たる権威(けんい)を誇示(こじ)するためや軍事演習(ぐんじえんしゅう)などの目的(もくてき)があったとされています。国久(くにひさ)の描(えが)く「牧狩の図(まきがりのず)」では、特(とく)に中央(ちゅうおう)に描(えが)かれた新田(にった)(仁田(にった))四郎忠常(しろうただつね)の猪退治(いのししたいじ)が強調(きょうちょう)されています。この勇猛(ゆうもう)な仁田四郎(にたんしろう)のイメージが、のちの「人穴(ひとあな)」探検譚(たんけんたん)に結(むす)びついていったようです。
源頼朝(みなもとのよりとも)公(こう)富士裾野(ふじすその)牧(まき)狩(がり)之(の)図(ず)
本作品(ほんさくひん)は『役者見立東海道五十三駅(やくしゃみたてとうかいどうごじゅうさんつぎ)(The series Fifty-three Stations of the Tokaido)』の絵柄(えがら)を、各宿場(かくしゅくば)のマスに描(えが)いた双六(すごろく)です。一(ひと)つ一(ひと)つは小(ちい)さい絵(え)ながら、頭髪(とうはつ)等(とう)の彫(ほ)りも丁寧(ていねい)になされており、大判(おおばん)作品(さくひん)の絵柄(えがら)が見事(みごと)に再現(さいげん)されています。「上(あが)リ」の京都(きょうと)に描(えが)かれているのは、石川五右衛門(いしかわごえもん)と真柴久吉(ましばしさよし)(羽柴秀吉(はしばひでよし))で、「絶景(ぜっけい)かな、絶景(ぜっけい)かな」の台詞(せりふ)で知(し)られる「楼門五山桐(さんもんごさんのきり)」の一場面(いちばめん)となっています。
五(ご)十三駅(じゅうさんつぎ)看(み)立(たて)双六(すごろく)
将軍(しょうぐん)家茂(いえもち)による上洛(じょうらく)の二年後(にねんご)に作(つく)られた作品(さくひん)で、東海道(とうかいどう)の道(みち)のりが一(ひと)つの画面(がめん)に収(おさ)められた双六(すごろく)です。旗(はた)の立(た)っている場所(ばしょ)が行列(ぎょうれつ)の通(かよ)っている目印(めじるし)となっています。 七番目(ななばんめ)のマスである藤沢宿(ふじさわしゅく)には旅籠(はたご)と思(おも)われる建物(たてもの)が立(た)ち並(なみ)でいます。その左上(ひだりうえ)の江の島(えのしま)には、島(しま)入(い)り口(ぐち)の鳥居(とりい)や江戸時代(えどじだい)には存在(そんざい)していた三重塔(さんじゅうのとう)といった、細部(さいぶ)に至(いた)る描写(びょうしゃ)がみられます。
新版(しんぱん)東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)行列(ぎょうれつ)双六(すごろく)
東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)の道筋(みちすじ)をコンパクトにまとめた摺(す)りものです。全体(ぜんたい)を覆(おお)うように富士山(ふじさん)が大(おお)きく描(えが)かれています。左端(ひだりはし)の句(く)は「けふ(きょう)も見(み)え きのふ(きのう)みへ(見(み)え)けるふじの山(やま)」と書(か)かれています。
東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)道案内(みちあんない) 木曽(きそ)海道(かいどう)筋(すじ)
この作品(さくひん)は、東海道(とうかいどう)の各所(かくしょ)に吉原(よしはら)の遊女(ゆうじょ)と宿場(しゅくば)の風景(ふうけい)を配(はい)した揃物(そろいもの)の一枚(いちまい)です。 松島(まつしま)は、当時(とうじ)佐野松屋(さのまつや)で人気(にんき)の遊女(ゆうじょ)でした。画面(がめん)右(みぎ)の屏風(びょうぶ)には男物(おとこもの)の着物(きもの)がかけられています。火鉢(ひばち)に火(ひ)が入(い)れられているところから、肌寒(はだざむ)い朝(あさ)の様子(ようす)が表(あらわ)されています。
傾城(けいせい)道中(どうちゅう)双(すご)禄(ろく) 藤沢(ふじさわ) 見立(みたて)吉原(よしわら)五(ご)十(じゅう)三(さん)対(つい) 佐野(さの)松屋(まつや)内(ない) 松島(まつしま)
版元(はんもと):神山清七(かみやませいしち) 京都(きょうと)を振(ふ)りだし、東京(とうきょう)を上(あ)がりにしています。東海道(とうかいどう)の各宿(かくしゅく)(駅(えき))にゆかりの歌舞伎(かぶき)の外題(げだい)の当(あ)たり役(やく)の俳優(はいゆう)を描(えが)いた双六(すごろく)で、藤沢(ふじさわ)は青砥稿花紅彩画(あおとぞうしはなのにしきえ)(通称(つうしょう)、白波五人男(しらなみごにんおとこ))の弁天小僧菊之助(べんてんこぞうきくのすけ)で、演(えん)ずる尾上菊五郎(おのえきくごろう)、が描(えが)かれています。
東海道(とうかいどう)俳優(はいゆう)双(すご)禄(ろく)
版元(はんもと):恵比寿屋庄七(えびすやしょうしち) 日本橋(にほんばし)を振(ふ)り出(だ)し、京都(きょうと)が上(あ)がりとなっています。東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)の宿場(しゅくば)以外(いがい)をまわるルートがあり、四ツ谷追分(よつやおいわけ)などといった地点(ちてん)もマスの対象(たいしょう)とされていて、神奈川宿(かながわしゅく)の新町(しんまち)から杉田(すぎた)・金沢(かなざわ)・鎌倉(かまくら)・江の島(えのしま)を経(へ)て藤沢宿(ふじさわしゅく)へ戻(もど)るといったルートがあります。 藤沢宿(ふじさわしゅく)の名物(めいぶつ)は「砂糖漬(さとうづけ)」とあります。これは江戸時代(えどじだい)からあり、現在(げんざい)も和菓子屋(わがしや)を続(つづ)けている有名(ゆうめい)なお土産(みやげ)でした 。藤沢(ふじさわ)の隣(となり)のマス「四ツ谷追分(よつやおいわけ)」には、今(いま)も残(のこ)る「大山道(おおやまみち)」の道標(どうひょう)や、大山(おおやま)に奉納(ほうのう)する木太刀(きだち)や、奉納(ほうのう)の酒(さけ)や大山(おおやま)でいただいた神水(じんずい)を運(はこ)ぶための「御神酒枠(おみきわく)」をかついだ大山詣(おおやままいり)での姿(すがた)が描(えが)かれています。
東海道(とうかいどう)遊歴(ゆうれき)双六(すごろく)
版元(はんもと):丸屋清次郎(まるやせいじろう) 江戸(えど)深川(ふかわ)の永代寺(えいたいじ)で行(おこな)われた江の島弁財天(えのしまべんざいてん)の出開帳(でがいちょう)の賑(にぎ)わいを描(えが)いた作品(さくひん)。 安政三年(あんせいさんねん)(1856)の出開帳(でがいちょう)は、嵐(あらし)のため仮小屋(かりごや)が倒壊(とうかい)するなど天候不順(てんこうふじゅん)が原因(げんいん)と思(おも)われ、人出(ひとで)が少(すく)なかったことが文献(ぶんけん)に記録(きろく)されています。本作品(ほんさくひん)は、開帳(かいちょう)を見込(みこ)んで事前(じぜん)に出版(しゅっぱん)されており、想像上(そうぞうじょう)の群集(ぐんしゅう)を描(えが)いています。
江(え)の島(しま)弁財天(べざいてん)開帳(かいちょう)参詣(さんけい)群集(ぐんしゅう)之(の)図(ず)