ふりがな
江の島の歴史
江の島歴史年表
江の島散策マップ
江の島の文化財
江の島を訪れた人々
資料種類しりょうしゅるい(大分類だいぶんるい):
資料種類しりょうしゅるい(中分類ちゅうぶんるい):
資料種類しりょうしゅるい(小分類しょうぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(大分類だいぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(中分類ちゅうぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(小分類しょうぶんるい):
作者さくしゃ(50音分類おんぶんるい):
作者さくしゃ:
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標題(ひょうだい)(和文(わぶん)) 相州(そうしゅう)江(え)の島(しま) 洲(す)鼻(ばな)の景(けい) 標題(ひょうだい)(欧文(おうぶん)) View of Subana Enoshima. 商標(しょうひょう) 鳩(はと) 発行(はっこう)元(もと)・製造元(せいぞうもと) 東京(とうきょう) 日新(にっしん)社(しゃ) 年代(ねんだい) 不明(ふめい) 備考(びこう) 中型(ちゅうがた)和船(わせん)
相州(そうしゅう)江(え)の島(しま) 洲鼻(すばな)の景(けい)
百日咳(ひゃくにちぜき)の呪(のろ)いの杓子(しゃくし)。家(いえ)の入口(いりぐち)に打(う)ち付(つ)けておいて、悪(わる)い病気(びょうき)が入(はい)ってくるのを防(ふせ)ぐ呪(のろ)いとする。
しゃくし
制作(せいさく) 年代(ねんだい)不詳(ふしょう) 林田(はやしだ)乗合自動車(のりあいじどうしゃ)
林田(はやしだ)温泉(おんせん)鳥瞰図(ちょうかんず)
大正時代(たいしょうじだい)の旅行(りょこう)ブームは、全国各地(ぜんこくかくち)で旅行(りょこう)団体(だんたい)が誕生(たんじょう)しました。発行(はっこう)元(もと)の大阪(おおさか)旅行(りょこう)クラブもその一(ひと)つだと考(かんが)えられます。赤(あか)い短冊(たんざく)には名所(めいしょ)が記(しる)され、間(あいだ)を縫(ぬ)うように鉄道(てつどう)が引(ひ)かれています。
大阪(おおさか)旅行(りょこう)クラブ関連(かんれん)遊覧(ゆうらん)略図(りゃくず)
鳥瞰図(ちょうかんず)的(てき)な構図(こうず)に秀(ひい)でていた貞秀(さだひで)には、富士山(ふじさん)を描(えが)いた作品(さくひん)が数多(かずおお)くありますが、これは富士山(ふじさん)をほぼ火口(かこう)の真上(まうえ)から描(えが)いた図(ず)です。よくみると火口(かこう)にはもう一枚(いちまい)の紙(かみ)が折(お)り畳(たた)まれていて、引(ひ)っ張(ぱ)ると立体的(りったいてき)に立(た)ち上(あ)がる仕組(しく)みになっています。また画面(がめん)左(ひだり)の山麓(さんろく)辺(あた)りにはもう一枚(いちまい)紙(し)が張(は)ってあり、それをめくると洞窟(どうくつ)が現(あらわ)れ、胎内巡(たいないめぐ)りをする人々(ひとびと)が描(えが)かれています。これは富士登山(ふじとざん)の行程(こうてい)のひとつである「胎内巡(たいないめぐ)り」を描(えが)いたもので、当時(とうじ)の人気(にんき)の程(ほど)が伺(うかが)えます。
富士山(ふじさん)真景(しんけい)全(ぜん)図(ず)
中判(ちゅうばん)摺物(すりもの)1枚(まい) 縦(たて)19.9 横(よこ)26.8 板元(はんもと)印(しるし)なし 狂歌(きょうか)師(し)達(たち)が特別(とくべつ)な配(くば)り物(ぶつ)として作成(さくせい)した「摺物(すりもの)」と呼(よ)ばれる形式(けいしき)の作品(さくひん)です。波(なみ)、道(みち)、砂(すな)、富士(ふじ)の稜線(りょうせん)などに空摺(からず)りを入(い)れ、女性(じょせい)の帯(おび)の模様(もよう)には金泥(きんでい)・銀泥(ぎんでい)を使用(しよう)するなどの技巧(ぎこう)が施(ほどこ)されています。
題名(だいめい)不詳(ふしょう)(江(え)の島(しま)金亀(きんき)山(ざん))
半切(はんせつ)横(よこ)1枚(まい) 縦(たて)15.2 横(よこ)21.6 制作(せいさく)時期(じき):天保(てんぽう)末期(まっき)。板元(はんもと)印(しるし)なし
相州(そうしゅう)名所(めいしょ) 江(え)之(の)嶋(しま)金亀(きんき)山(ざん)之(の)図(ず)
中(ちゅう)短冊(たんざく)1枚(まい) 縦(たて)25.3 横(よこ)12.6 制作(せいさく)時期(じき):天保(てんぽう)年間(ねんかん)(1830~44)頃(ころ)。板元(はんもと)印(しるし)なし 短冊(たんざく)絵(え)の形式(けいしき)で、短冊(たんざく)には大(だい)短冊(たんざく)、中(ちゅう)短冊(たんざく)、小(しょう)短冊(たんざく)の三(さん)種類(しゅるい)があり、これは中(ちゅう)短冊(たんざく)にあたります。起源(きげん)は寛延(かんえい)、宝暦(ほうれき)頃(ころ)といわれ、盛(さか)んになるのは享和(きょうわ)以降(いこう)のことです。画題(がだい)としては花鳥風月(かちょうふうげつ)が多(おお)いようですし、広重(ひろしげ)は浮世絵師(うきよえし)の中(なか)で最(もっと)も多(おお)くの短冊(たんざく)絵(え)をつくっています。この作品(さくひん)には漢詩(かんし)が添(そ)えられていて「楽山楽水(らくざんらくすい)情(じょう)末(まつ)休(きゅう)、清風明月(せいふうめいげつ)是(ぜ)悠々(ゆうゆう)」とあります。浮世絵(うきよえ)というより筆(ふで)で描(えが)く山水画(さんすいが)の形式(けいしき)を踏襲(とうしゅう)していて、構図(こうず)としては右手(みぎて)に岩屋(いわや)に至(いた)る江(え)の島(しま)の一部(いちぶ)を描(えが)き、その手前(てまえ)に打(う)ち寄(よ)せる大波(おおなみ)がアクセントをつくり、遠景(えんけい)の島々(しまじま)ははるかにかすみ、舟(ふね)の表現(ひょうげん)と共(とも)に水墨画(すいぼくが)の味(あじ)わいを画面(がめん)から感(かん)じさせてくれます。
相州(そうしゅう)江之島(えのしま)