Fujisawa Net Museum

資料一覧

本図(ほんず)は大阪(おおさか)で発行(はっこう)された双六(すごろく)です。振(ふ)り出(だ)しのコマには「西京(さいきょう)」と書(か)いてあり、京(きょう)から日本橋(にほんばし)を目指(めざ)して進(すす)みます。
こまの図(ず)には洋装(ようそう)の人々(ひとびと)や汽車(きしゃ)など近代(きんだい)的(てき)な題材(だいざい)も多(おお)く取(と)り上(あ)げられていますが、各(かく)宿場(しゅくば)の名所(めいしょ)・名物(めいぶつ)など江戸時代(えどじだい)からの主題(しゅだい)も描(えが)かれています。日坂(にっさか)のコマのように両方(りょうほう)の要素(ようそ)を兼(か)ね備(そな)えた描写(びょうしゃ)のこまもあります。日坂(にっさか)のこまには江戸時代(えどじだい)の東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)でもよく描(えが)かれた街道(かいどう)の名物(めいぶつ)「夜泣(よな)き石(いし)」が描(えが)かれています。夜泣(よな)き石(いし)を見物(けんぶつ)している男性(だんせい)二(ふた)人(り)は洋装(ようそう)で、江戸時代(えどじだい)の画題(がだい)を踏襲(とうしゅう)しながらも近代(きんだい)的(てき)に描(えが)かれています。
上(あ)がりのこまにはそろいの着物(きもの)を着(き)た七福神(しちふくじん)が小判(こばん)の降(ふ)る中(なか)、踊(おど)っている様子(ようす)を描(えが)いています。まるでゴールを祝(いわ)ってくれているようです。

東海道五拾三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)之(の)図(ず)

制作(せいさく) 1931年(ねん) 定山渓鉄道(じょうざんけいてつどう)

初(はつ)三(さぶ)郎(ろう)の鳥瞰図(ちょうかんず)の中(なか)には、現代(げんだい)には残(のこ)ってない幻(まぼろし)となった名所(めいしょ)や鉄道(てつどう)も描(えが)かれており、本図(ほんず)もその一(ひと)つです。定山渓鉄道(じょうざんけいてつどう)は国鉄(こくてつ)千歳(ちとせ)線(せん)・東札幌駅(ひがしさっぽろえき)から定山渓温泉(じょうざんけいおんせん)を結(むす)び、かつて自然(しぜん)豊(ゆた)かな景色(けしき)や温泉(おんせん)、スキー場(じょう)といった観光地(かんこうち)を網羅(もうら)しています。さらに、鉱石(こうせき)や石炭(せきたん)、木材(もくざい)輸送(ゆそう)にも大(おお)きく貢献(こうけん)しましたが、昭和(しょうわ) 44 年(ねん)(1969)に全線(ぜんせん)が廃止(はいし)されています。
本図(もとず)の裏(うら)(土地(とち)に関(かん)する解説(かいせつ)ガイドのような文章(ぶんしょう)が書(か)かれている)にある初(はつ)三(さぶ)郎(ろう)の「絵(え)に添(そ)えて一筆(いっぴつ)」(解説(かいせつ)ガイドの一角(いっかく)を占(し)める鳥瞰図(ちょうかんず)を描(えが)いた絵師(えし)によるコーナー)には、初(はじ)めて初三(はつさぶ)郎(ろう)がこの地(ち)を訪(おとず)れた頃(ころ)はまだ定山渓鉄道(じょうざんけいてつどう)が建設(けんせつ)途中(とちゅう)であったものの、十(じゅう)数(すう)年(ねん)後(ご)に訪(おとず)れると鉄道(てつどう)が完成(かんせい)し、活気(かっき)溢(あふ)れる観光(かんこう)地(ち)へと発展(はってん)した光景(こうけい)に感激(かんげき)を受(う)けた旨(むね)が記(しる)されています。

絵図

定山渓(じょうざんけい)電鉄(でんてつ)沿線(えんせん)名所(めいしょ)図絵(ずえ)



Page Top