杉山和一の墓
杉山和一の墓 |
杉山和一の
墓
解説
西浦霊園内に杉山和一の墓があります。
杉山和一(1610~94)は慶長 15 年、伊勢国に生まれました。幼くして失明し、鍼 術を志して江戸へ出ましたが成功せず、帰郷の途中に江の島の岩屋に籠もって管鍼術を創案したと言われています。貞享 2年( 1685)5代将軍綱吉の病を治した功績により江戸の本所一ツ目に邸(現在は江島杉山神社。墨田区千歳1丁目)を賜り、元禄 5年( 1692 )には関東総検校に任ぜられました。幕府の命令で鍼治講習所を開き、多くの門生を養成しています。江の島弁財天信仰が篤く、下之宮社殿改修、護摩堂・三重塔などを建立寄進しています。元禄 7年に没し根岸の弥勒寺に葬られましたが、翌年の命日に江の島にも墓が造立されました。昭和 38 年( 1963 ) 3 月 25 日に藤沢市指定文化財に指定されました。
柳沢吉保室奉納灯籠
杉山検校に鍼治療を受けた側用人柳沢吉保の室が元禄 13 年( 1700 )に奉納しました。
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青面金剛庚申供養塔
江の島市民の家の敷地内にあります。安政3年(1856)のもので、基礎台座には三猿像が浮き彫りになっています。
永野泉山還暦記念句碑
永野泉山(1841~1906)は恵比寿楼16代主人で、本名は政康。明治期の江の島俳壇で門下の育成に努め、間宮霞軒や福島漁村などを輩出させた。上段に泉山の句、下段に門下生の句が刻まれています。明治34年(1901)に建てられました。