Fujisawa Net Museum



奥津おくつみや付近ふきん

奥津宮付近
奥津おくつみや付近ふきん

解説かいせつ

奥津おくつみやとなり龍宮たつみやがあり、そこから道標どうひょうにしたがってみぎけば稚児ちごふちひだり小道こみちけば恋人こいびとおかです。

恋人の丘

恋人こいびとおか

しま伝説でんせつ天女てんにょ五頭ごとうりゅう」にちなみ、岩屋いわや上部じょうぶ竜野たつのおか平成へいせいねん(1996)にもうけられました。りゅうれんかねがあり、あらたな名所めいしょとなっています。

(べつ)写真(しゃしん)

鳥居

鳥居とりい

嘉永かえいねん(1851)につくられ、大正たいしょうねん(1915)に修理しゅうりされました。

(べつ)写真(しゃしん)

岩屋道道標

岩屋いわやどう道標どうひょう

文政ぶんせいねん(1819)にてられました。「これより いわやみち おん岩屋いわやどう」とあり、江戸えど歌人かじん桑弓そうきゅうていかずたかの「これそこの はなこうのさくいはや もうつるひとのふくを のしま」の狂歌きょうかきざまれています。建立こんりゅう江戸えどしば(げん港区みなとく)の人々ひとびとです。

高木蒼梧句碑

高木たかぎ蒼梧そうご句碑くひ

高木たかぎ蒼梧そうご(1888~1970)は、愛知県あいちけんまれなが大和市下鶴間やまとししもつるまんだ俳人はいじん俳文はいぶん学者がくしゃ本名ほんみょう錠吉じょうきち通称つうしょうゆずるです。おおくの著作ちょさくがありますが、昭和しょうわ 35 ねん(1960)『俳諧はいかい人名じんめい辞典じてん』(明治書院めいじしょいん)により文部大臣もんぶだいじんしょう受賞じゅしょうしました。これをしゅくして親交しんこうのあったしま神社じんじゃ宮司ぐうじ相原あいはらなお八郎はちろう昭和しょうわ 36 ねん(1961)にてたもので、蒼梧そうご自筆じひつで「夏富なつとみばんらいかぜおと〕 かみちんしむる 蒼梧そうご山人さんじん」とあります。

龍宮(わだつみのみや)

龍宮わだつのみや

江島縁起えのしまえんぎによれば、しまりゅうむところです。龍神りゅうじん信仰しんこう弁財天べんざいてん信仰しんこう習合しゅうごうして信仰しんこうされてきました。


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