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江の島の歴史
江の島歴史年表
江の島散策マップ
江の島の文化財
江の島を訪れた人々
資料種類しりょうしゅるい(大分類だいぶんるい):
資料種類しりょうしゅるい(中分類ちゅうぶんるい):
資料種類しりょうしゅるい(小分類しょうぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(大分類だいぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(中分類ちゅうぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(小分類しょうぶんるい):
作者さくしゃ(50音分類おんぶんるい):
作者さくしゃ:
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製作(せいさく)時期(じき):嘉永(かえい)4年(ねん)(1851)。 板元(はんもと)印(しるし)なし この作品(さくひん)は、折本(おりほん)の「東海道(とうかいどう)名所(めいしょ)画帖(がちょう)」(広重(ひろしげ)画(が)、1851年(ねん)(嘉永(かえい)4年(ねん))刊(かん)、全(ぜん)23図(ず))に掲載(けいさい)されている図(ず)の1枚(まい)です。 雪景色(ゆきげしき)が美(うつく)しい遊行寺(ゆぎょうじ)山門(さんもん)を描(えが)いた作品(さくひん)で、現在(げんざい)よりも急(きゅう)な参道(さんどう)の突(つ)き当(あ)たりには重厚(じゅうこう)な仁王門(におうもん)が描(えが)かれ、初代(しょだい)広重(ひろしげ)ならではの絶妙(ぜつみょう)の画面(がめん)構成(こうせい)といえます。 この門(もん)は江戸時代(えどじだい)に遊行寺(ゆぎょうじ)が発行(はっこう)した境内(けいだい)絵図(えず)にも描(えが)かれていますが、明治(めいじ)13年(ねん)(1880)年(ねん))の藤沢宿(ふじさわしゅく)の大火(たいか)で焼失(しょうしつ)しました。
東海道(とうかいどう)名所(めいしょ) 藤沢(ふじさわ) 遊行寺(ゆぎょうじ)
製作(せいさく)時期(じき):嘉永(かえい)4年(ねん)(1851)~嘉永(かえい)5年(ねん)(1852)。 板元(はんもと):村市(むらいち)(村田屋市五郎(むらたやいちごろう)) このシリーズは、人物(じんぶつ)を大(おお)きく中心(ちゅうしん)に描(えが)いているため、一般(いっぱん)に人物(じんぶつ)東海道(とうかいどう)と呼(よ)ばれます。 図柄(ずがら)は旅(たび)姿(すがた)等(など)の女性(じょせい)が多(おお)く、小判(こばん)ですがアップに描(えが)いているので、女性(じょせい)等(など)の表情(ひょうじょう)や仕草(しぐさ)がよくわかります。 藤沢(ふじさわ)のこの図(ず)はめずらしい雪景色(ゆきげしき)で、左(ひだり)に見(み)える欄干(らんかん)は大鋸橋(おおぎりばし) (現(げん)遊行寺橋(ゆぎょうじばし))です。
五十三次(ごじゅうさんつぎ) 藤沢(ふじさわ)(人物(じんぶつ)東海道(とうかいどう))
製作(せいさく)時期(じき):天保(てんぽう)14年(ねん)(1843)~弘化(こうか)4年(ねん)(1847)。 板元(はんもと):伊場屋久兵衛(いばやきゅうべえ) 本作(ほんさく)に描(えが)かれている京都(きょうと)の「三条大橋(さんじょうおおはし)」は東海道(とうかいどう)の西端(せいたん)です。義経(よしつね)はその南(みなみ)にある「五条大橋(ごじょうおおはし)」で、忠臣(ちゅうしん)・弁慶(べんけい)と出会(であ)ったという逸話(いつわ)が知(し)られています。 絵(え)には少女(しょうじょ)を連(つ)れた女性(じょせい)の姿(すがた)が描(えが)かれており、少女(しょうじょ)は貴族(きぞく)の姿(すがた)をした京都(きょうと)の人形(にんぎょう)を持(も)っています。女性(じょせい)の着物(きもの)も模様(もよう)が華(はな)やかで、髪型(かみがた)も「先笄(さきこうがい)」という京都(きょうと)で好(この)まれたスタイルとなっています。 このシリーズは、初代(しょだい)広重(ひろしげ)、三代(さんだい)豊国(とよくに)、国芳(くによし)の3人(にん)の当時(とうじ)代表的(だいひょうてき)人気(にんき)浮世絵師(うきよえし)が分担(ぶんたん)して描(えが)いたものです。 風景(ふうけい)は少(すく)なく人物(じんぶつ)を主(おも)とし、下(した)3分(ぶん)の2が画面(がめん)で、それぞれの宿(やど)にちなんだ伝説(でんせつ)、史跡(しせき)、著名(ちょめい)な出来事(できごと)等(など)を描(えが)き、上(うえ)3分(ぶん)の1に下(した)の絵(え)の説明(せつめい)がなされています。
東海道(とうかいどう)五(ご)十(じゅう)三(さん)対(つい) 京(きょう)
製作(せいさく)時期(じき):天保(てんぽう)14年(ねん)(1843)~弘化(こうか)4年(ねん)(1847)。 版元(はんもと):伊勢屋市兵衛(いせやいちべえ) 石部(いしべ)は、「お半(はん)長衛門(ちょうえもん)」の通称(つうしょう)で知(し)られる『桂川連理柵(かつらがわれんりのしがらみ)』の舞台(ぶたい)となっています。 14歳(さい)の娘(むすめ)・お半(はん)は、伊勢参(いせまい)りの際(さい)に隣家(りんか)に住(す)む38歳(さい)の長衛門(ちょうえもん)と偶然(ぐうぜん)出会(であ)い、同(おな)じ宿(やど)に泊(と)まったのを機(き)に契(ちぎ)り(関係(かんけい))を結(むす)び、その後(ご)二人(ふたり)は桂川(かつらがわ)で心中(しんじゅう)します。 年若(としわか)い少女(しょうじょ)の風貌(ふうぼう)で描(えが)かれているのがお半(はん)を表(あらわ)しているものと思(おも)われます。朝(あさ)、寝起(ねお)きに、房(ぼう)楊枝(ようじ)で歯(は)を磨(みが)く姿(すがた)が描(えが)かれています。前髪(まえがみ)の赤(あか)い小布(こぎれ)が幼(おさな)さを印象(いんしょう)付(つ)けています。 このシリーズは、初代(しょだい)広重(ひろしげ)、三代(さんだい)豊国(とよくに)、国芳(くによし)の3人(にん)の当時(とうじ)代表的(だいひょうてき)人気(にんき)浮世絵師(うきよえし)が分担(ぶんたん)して描(えが)いたものです。 風景(ふうけい)は少(すく)なく人物(じんぶつ)を主(おも)とし、下(した)3分(ぶん)の2が画面(がめん)で、それぞれの宿(やど)にちなんだ伝説(でんせつ)、史跡(しせき)、著名(ちょめい)な出来事(できごと)等(など)を描(えが)き、上(うえ)3分(ぶん)の1に下(した)の絵(え)の説明(せつめい)がなされています。
東海道(とうかいどう)五(ご)十(じゅう)三(さん)対(つい) 石部(いしべ)
製作(せいさく)時期(じき):天保(てんぽう)14年(ねん)(1843)~弘化(こうか)4年(ねん)(1847)。 板元(はんもと):伊場屋久兵衛(いばやきゅうべえ) 「大井(おおい)子(こ)」という力持(ちからも)ちの女性(じょせい)が描(えが)かれた作品(さくひん)です。 大井(おおい)子(こ)が村人(むらびと)と田畑(たはた)へ引(ひ)く水(みず)について争(あらそ)った際(さい)、村人(むらびと)は大井(おおい)子(こ)を女性(じょせい)と侮(あなど)り、水田(すいでん)への水(みず)を止(と)めてしまいました。大井(おおい)子(こ)はその夜(よる)、仕返(しかえ)しとして巨大(きょだい)な石(いし)を置(お)き、村人(むらびと)の田(た)に水(みず)がいかないようにし、その石(いし)は、翌日(よくじつ)村人(むらびと)数(すう)人(にん)がかりで石(いし)を動(うご)かそうとしてもびくともしませんでした。 村人(むらびと)たちは大井(おおい)子(こ)に謝(あやま)り、その後(ご)大井(おおい)子(こ)はいとも簡単(かんたん)にその岩(いわ)を動(うご)かしたということです。 絵(え)では煙管(きせる)を持(も)った大井(おおい)子(こ)が、旅人(たびびと)たちが慌(あわ)てているところを、笑(わら)いながら窺(うかが)っている様子(ようす)が描(えが)かれています。 このシリーズは、初代(しょだい)広重(ひろしげ)、三代(さんだい)豊国(とよくに)、国芳(くによし)の3人(にん)の当時(とうじ)代表的(だいひょうてき)人気(にんき)浮世絵師(うきよえし)が分担(ぶんたん)して描(えが)いたものです。 風景(ふうけい)は少(すく)なく人物(じんぶつ)を主(おも)とし、下(した)3分(ぶん)の2が画面(がめん)で、それぞれの宿(やど)にちなんだ伝説(でんせつ)、史跡(しせき)、著名(ちょめい)な出来事(できごと)等(など)を描(えが)き、上(うえ)3分(ぶん)の1に下(した)の絵(え)の説明(せつめい)がなされています。
東海道(とうかいどう)五(ご)十(じゅう)三(さん)対(つい) 水口(みなくち)
製作(せいさく)時期(じき):天保(てんぽう)14年(ねん)(1843)~弘化(こうか)4年(ねん)(1847)。 板元(はんもと):遠州屋又兵衛(えんしゅうやまたべえ) 鈴鹿(すずか)神社(じんじゃ)の由来(ゆらい)の一(いち)場面(ばめん)が描(えが)かれています。 天武天皇(てんむてんのう)が継承(けいしょう)争(あらそ)いの中(なか)で、鈴鹿山(すずかやま)で翁(おきな)とその娘(むすめ)に匿(かくま)われる場面(ばめん)です。 天武天皇(てんむてんのう)は奈良時代(ならじだい)の人物(じんぶつ)ですが、天皇(てんのう)も娘(むすめ)も江戸時代(えどじだい)の装束(しょうぞく)で描(えが)かれています。 外(そと)で翁(おきな)が担(かつ)いでいるは、燃料(ねんりょう)となる粗朶(そだ)(山野(さんや)に自生(じせい)する雑木(ざつぼく)等(など))です。 このシリーズは、初代(しょだい)広重(ひろしげ)、三代(さんだい)豊国(とよくに)、国芳(くによし)の3人(さんにん)の当時(とうじ)代表的(だいひょうてき)人気(にんき)浮世絵師(うきよえし)が分担(ぶんたん)して描(えが)いたものです。 風景(ふうけい)は少(すく)なく人物(じんぶつ)を主(おも)とし、下(した)3分(ぶん)の2が画面(がめん)で、それぞれの宿(やど)にちなんだ伝説(でんせつ)、史跡(しせき)、著名(ちょめい)な出来事(できごと)等(など)を描(えが)き、上(うえ)3分(ぶん)の1に下(した)の絵(え)の説明(せつめい)がなされています。
東海道(とうかいどう)五(ご)十(じゅう)三(さん)対(つい) 坂(さか)の下(した)
製作(せいさく)時期(じき):天保(てんぽう)14年(ねん)(1843)~弘化(こうか)4年(ねん)(1847)。 板元(はんもと):海老屋林之助(えびやりんのすけ) 左(ひだり)の男性(だんせい)は室町時代(むろまちじだい)に実在(じつざい)した僧侶(そうりょ)の一休宗純(いっきゅうそうじゅん)です。右側(みぎがわ)の女性(じょせい)は地獄太夫(じごくだゆう)という室町時代(むろまちじだい)の堺(さかい)の遊女(ゆうじょ)で、一休(いっきゅう)とは歌(うた)の師弟(してい)関係(かんけい)にあたります。 一流(いちりゅう)の遊女(ゆうじょ)には、どんな相手(あいて)にも恥(は)ずかしくない教養(きょうよう)が必要(ひつよう)とされていました。 太夫(だゆう)の着物(きもの)には、閻魔(えんま)や獄卒(ごくそつ)の鬼(おに)が描(えが)かれています。 このシリーズは、初代(しょだい)広重(ひろしげ)、三代(さんだい)豊国(とよくに)、国芳(くによし)の3人(にん)の当時(とうじ)代表的(だいひょうてき)人気(にんき)浮世絵師(うきよえし)が分担(ぶんたん)して描(えが)いたものです。 風景(ふうけい)は少(すく)なく人物(じんぶつ)を主(おも)とし、下(した)3分(ぶん)の2が画面(がめん)で、それぞれの宿(やど)にちなんだ伝説(でんせつ)、史跡(しせき)、著名(ちょめい)な出来事(できごと)等(など)を描(えが)き、上(うえ)3分(ぶん)の1に下(した)の絵(え)の説明(せつめい)がなされています。
東海道(とうかいどう)五(ご)十(じゅう)三(さん)対(つい) 関(せき)
製作(せいさく)時期(じき):天保(てんぽう)14年(ねん)(1843)~弘化(こうか)4年(ねん)(1847)。 板元(はんもと):伊場屋久兵衛(いばやきゅうべえ) 亀山(かめやま)の仇討(あだう)ちという事件(じけん)の一部(いちぶ)を描(えが)いています。寝(ね)ている女性(じょせい)は石井(いしい)源之丞(げんのじょう)の妻(つま)お松(まつ)。夢(ゆめ)の中(なか)で、父(ちち)の仇(かたき)を討(う)ったと告(つ)げる源之丞(げんのじょう)の姿(すがた)に喜(よろこ)んでいましたが、実際(じっさい)は返(かえ)り討(う)ちに遭(あ)っていました。 画面(がめん)左上(ひだりうえ)のコマには、亀山城(かめやまじょう)の前(まえ)で本懐(ほんかい)を遂(と)げる兄弟(きょうだい)の姿(すがた)が影(かげ)で描(えが)かれています。 この物語(ものがたり)の仇討(あだうち)の相手(あいて)(仇(かたき))が、実(じつ)は「藤川(ふじかわ)」に登場(とうじょう)した藤川(ふじかわ)水右衛門(みずえもん)です。 このシリーズは、初代(しょだい)広重(ひろしげ)、三代(さんだい)豊国(とよくに)、国芳(くによし)の3人(にん)の当時(とうじ)代表的(だいひょうてき)人気(にんき)浮世絵師(うきよえし)が分担(ぶんたん)して描(えが)いたものです。 風景(ふうけい)は少(すく)なく人物(じんぶつ)を主(おも)とし、下(した)3分(ぶん)の2が画面(がめん)で、それぞれの宿(やど)にちなんだ伝説(でんせつ)、史跡(しせき)、著名(ちょめい)な出来事(できごと)等(など)を描(えが)き、上(うえ)3分(ぶん)の1に下(した)の絵(え)の説明(せつめい)がなされています。
東海道(とうかいどう)五(ご)十(じゅう)三(さん)対(つい) 亀山(かめやま)