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江の島の歴史
江の島歴史年表
江の島散策マップ
江の島の文化財
江の島を訪れた人々
資料種類しりょうしゅるい(大分類だいぶんるい):
資料種類しりょうしゅるい(中分類ちゅうぶんるい):
資料種類しりょうしゅるい(小分類しょうぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(大分類だいぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(中分類ちゅうぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(小分類しょうぶんるい):
作者さくしゃ(50音分類おんぶんるい):
作者さくしゃ:
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製作時期(せいさくじき):明治(めいじ)8年(ねん)。 板元(はんもと):山清(やませい)(山崎屋清七(やまざきやせいしち)) 三代広重(さんだいひろしげ)描(えが)くこのシリーズは、明治(めいじ)前期(ぜんき)の東海道各宿駅(とうかいどうかくしゅくえき)の風景(ふうけい)が華(はな)やかな色彩(しきさい)(幕末(ばくまつ)から明治初期(めいじしょき)に海外(かいがい)からあざやかな科学顔料(かがくがんりょう)が入(はい)り使用(しよう)される)で描(えが)かれています。 汐見(しおみ)坂(ざか)から遠州灘(えんしゅうなだ)を眺(なが)めている旅人(たびと)たちの中(なか)には、洋装(ようそう)の男性(だんせい)も描(えが)かれています。白須賀(しらすか)の手前(てまえ)の汐(しお)見坂(みざか)は、有名(ゆうめい)な景勝(けいしょう)地(ち)でした。京都(きょうと)から江戸(えど)への道(みち)では、初(はじ)めて海(うみ)が見(み)える場所(ばしょ)である一方(いっぽう)、江戸(えど)から京都(きょうと)への道(みち)では富士山(ふじさん)の見(み)える最後(さいご)の場所(ばしょ)でもあります。
東海(とうかい)名所(めいしょ) 改正(かいせい)道中(どうちゅう)記(き) 三(さん)十六(じゅうろく) 汐見(しおみ)坂(さか)の景(けい) 白須賀(しらすか) 二川(ふたがわ)迄(まで)一里(いちり)廿(にじゅう)四(よん)丁(ちょう)
製作時期(せいさくじき):明治(めいじ)8年(ねん) 。 板元(はんもと):山清(やませい)(山崎屋清七(やまざきやせいしち)) 三代広重(さんだいひろしげ)描(えが)くこのシリーズは、明治(めいじ)前期(ぜんき)の東海道各宿駅(とうかいどうかくしゅくえき)の風景(ふうけい)が華(はな)やかな色彩(しきさい)(幕末(ばくまつ)から明治初期(めいじしょき)に海外(かいがい)からあざやかな科学顔料(かがくがんりょう)が入(はい)り使用(しよう)される)で描(えが)かれています。 景勝(けいしょう)地(ち)として知(し)られていた堀(ほり)江村(えむら)(現(げん)・館山(かんざん)寺町(じちょう))の風景(ふうけい)が描(えが)かれています。左手(ひだりて)に小(ちい)さく見(み)えているのが館(かん)山寺(ざんじ)で、弘法大師(こうぼうだいし)の開山(かいざん)と伝(つた)えられています。ここでも洋(よう)傘(かさ)をさしている人物(じんぶつ)が描(えが)かれています。
東海(とうかい)名所(めいしょ) 改正(かいせい)道中(どうちゅう)記(き) 三十五(さんじゅうご) 浜名(はまな)の湖(みずうみ) あら井(い) 白須賀(しらすか)迄(まで)一里(いちり)廿(にじゅう)四(よん)丁(ちょう)
製作時期(せいさくじき):明治(めいじ)8年(ねん)。 板元(はんもと):山清(やませい)(山崎屋清七(やまざきやせいしち)) 堀留運河(ほりどめうんが)を通(とお)って着(つ)く浜名湖(はまなこ)の西岸(せいがん)の山道(やまみち)からみえる景色(けしき)を描(えが)いています。 山道(やまみち)の上(うえ)から浜名湖(はまなこ)の景色(けしき)に見入(みい)る洋服姿(ようふくすがた)の二人(ふたり)の男性(だんせい)と、山道(やまみち)を登(のぼ)ってくる旅姿(たびすがた)の男性(だんせい)二人(ふたり)の姿(すがた)が見(み)えます。 三代広重(さんだいひろしげ)描(えが)くこのシリーズは、明治(めいじ)前期(ぜんき)の東海道各宿駅(とうかいどうかくしゅくえき)の風景(ふうけい)が華(はな)やかな色彩(しきさい)(幕末(ばくまつ)から明治初期(めいじしょき)に海外(かいがい)からあざやかな科学顔料(かがくがんりょう)が入(はい)り使用(しよう)される)で描(えが)かれています。
東海(とうかい)名所(めいしょ) 改正(かいせい)道中(どうちゅう)記(き) 三十三(さんじゅうさん) 下(した) 日野岡(ひのおか) 新所(しんしょ)の景(けい)
製作時期(せいさくじき):明治(めいじ)8年(ねん)。 板元(はんもと):山清(やませい)(山崎屋清七(やまざきやせいしち)) 明治(めいじ)4(1871)年(ねん)に開通(かいつう)した堀留運河(ほりどめうんが)の東側(ひがしがわ)の乗降場(じょうこうじょう)の場面(ばめん)を描(えが)いています。 堀留運河(ほりどめうんが)は、浜松(はままつ)から舞坂(まいさか)・荒井(あらい)・白須賀(しらすか)を通(とお)らずに、浜名湖(はまなこ)西岸(せいがん)の新所(しんじょ)まで通行(つうこう)でき、新(あたら)しい航路(こうろ)として非常(ひじょう)に賑(にぎ)わいました。 三代広重(さんだいひろしげ)描(えが)くこのシリーズは、明治(めいじ)前期(ぜんき)の東海道各宿駅(とうかいどうかくしゅくえき)の風景(ふうけい)が華(はな)やかな色彩(しきさい)(幕末(ばくまつ)から明治初期(めいじしょき)に海外(かいがい)からあざやかな科学顔料(かがくがんりょう)が入(はい)り使用(しよう)される)で描(えが)かれています。
東海(とうかい)名所(めいしょ) 改正(かいせい)道中(どうちゅう)記(き) 三十三(さんじゅうさん) 堀(ほり)とめのわたし 通船(つうせん)立場(たてば)
製作時期(せいさくじき):明治(めいじ)8年(ねん)。 板元(はんもと):山清(やませい)(山崎屋清七(やまざきやせいしち)) 三代広重(さんだいひろしげ)描(えが)くこのシリーズは、明治(めいじ)前期(ぜんき)の東海道各宿駅(とうかいどうかくしゅくえき)の風景(ふうけい)が華(はな)やかな色彩(しきさい)(幕末(ばくまつ)から明治初期(めいじしょき)に海外(かいがい)からあざやかな科学顔料(かがくがんりょう)が入(はい)り使用(しよう)される)で描(えが)かれています。 初代(しょだい)広重(ひろしげ)による行書(ぎょうしょ)東海道(とうかいどう)の浜松(はままつ)図(ず)とよく似(に)た構図(こうず)で描(えが)かれています。松(まつ)を鑑賞(かんしょう)する人物(じんぶつ)の一人(ひとり)は、洋傘(ようがさ)を持(も)っています。ざざんざの松(まつ)とは、海岸(かいがん)近(ちか)くの松(まつ)のことを言(い)い、昔(むかし)、将軍(しょうぐん)足利(あしかが)義政(よしまさ)が、この松(まつ)の下(した)で宴(うたげ)を開(ひら)いて、「浜松(はままつ)の音(おと)はざざんさ」とうたったことから、この名(な)がついたと言(い)われています。
東海(とうかい)名所(めいしょ) 改正(かいせい)道中(どうちゅう)記(き) 三(さん)十二(じゅうに) 名所(めいしょ)ざざんざの松(まつ) 浜松(はままつ) 舞坂(まいさか)迄(まで)三(さん)里(り)
製作時期(せいさくじき):明治(めいじ)8年(ねん)。 板元(はんもと):山清(やませい)(山崎屋清七(やまざきやせいしち)) その急流(きゅうりゅう)さから「暴(あば)れ天竜(てんりゅう)」として知(し)られ、舟渡(ふなわた)しが行(おこな)われていた天竜川(てんりゅうがわ)にも橋(はし)が架(か)かりました。 三代広重(さんだいひろしげ)描(えが)くこのシリーズは、明治(めいじ)前期(ぜんき)の東海道各宿駅(とうかいどうかくしゅくえき)の風景(ふうけい)が華(はな)やかな色彩(しきさい)(幕末(ばくまつ)から明治初期(めいじしょき)に海外(かいがい)からあざやかな科学顔料(かがくがんりょう)が入(はい)り使用(しよう)される)で描(えが)かれています。
東海(とうかい)名所(めいしょ) 改正(かいせい)道中(どうちゅう)記(き) 三(さん)十一(じゅういち) 天龍川(てんりゅうがわ)仮橋(かりばし) 見附(みつけ) はま松(しょう)迄(まで)四(よん)里(り)
製作時期(せいさくじき):明治(めいじ)8年(ねん)。 板元(はんもと):山清(やませい)(山崎屋清七(やまざきやせいしち)) 三代広重(さんだいひろしげ)描(えが)くこのシリーズは、明治(めいじ)前期(ぜんき)の東海道各宿駅(とうかいどうかくしゅくえき)の風景(ふうけい)が華(はな)やかな色彩(しきさい)(幕末(ばくまつ)から明治初期(めいじしょき)に海外(かいがい)からあざやかな科学顔料(かがくがんりょう)が入(はい)り使用(しよう)される)で描(えが)かれています。 画面(がめん)右端(みぎはし)に描(えが)かれた傍示(ぼうじ)杭(くい)(境界(きょうかい)のしるしに立(た)てられた標柱(ひょうちゅう))には、「東(ひがし) 袋井(ふくろい)駅(えき)、ここより可睡斎(かすいさい)三(さん)尺(じゃく)坊(ぼう)迄(まで)十八(じゅうはっ)町(ちょう)」と書(か)かれています。そのそばでは、人力車(じんりきしゃ)が客待(きゃくま)ちをしています。可睡斎(かすいさい)とは、明治(めいじ)6年(ねん)(1873)に廃(はい)された秋葉(あきは)寺(てら)から本尊(ほんぞん)の三(やま)尺(じゃく)坊(ぼう)大(だい)権現(ごんげん)が移(うつ)された曹洞宗(そうとうしゅう)の名刹(めいさつ)です。三(さん)尺(じゃく)坊(ぼう)大(だい)権現(ごんげん)は、火除(ひよ)けの神(かみ)として広(ひろ)く信仰(しんこう)を集(あつ)めており、名所(めいしょ)のひとつになっています。
東海(とうかい)名所(めいしょ) 改正(かいせい)道中(どうちゅう)記(き) 三(さん)十(じゅう) 繩手(なわて)道(みち) 袋井(ふくろい) 見附(みつけ)迄(まで)一(いち)り廿(にじっ)丁(ちょう)
製作時期(せいさくじき):明治(めいじ)8年(ねん)。 板元(はんもと):山清(やませい)(山崎屋清七(やまざきやせいしち)) 三代広重(さんだいひろしげ)描(えが)くこのシリーズは、明治(めいじ)前期(ぜんき)の東海道各宿駅(とうかいどうかくしゅくえき)の風景(ふうけい)が華(はな)やかな色彩(しきさい)(幕末(ばくまつ)から明治初期(めいじしょき)に海外(かいがい)からあざやかな科学顔料(かがくがんりょう)が入(はい)り使用(しよう)される)で描(えが)かれています。 金谷(かなや)から日坂(にっさか)へ向(む)かう途(と)中(なか)にある峠(とうげ)、小夜(さよ)の中山(なかやま)は、急勾配(きゅうこうばい)の坂(さか)が続(つづ)く東海道(とうかいどう)の難所(なんしょ)として知(し)られています。茶屋(ちゃや)の前(まえ)では、妊婦(にんぷ)殺(ごろ)しの伝説(でんせつ)で有名(ゆうめい)な夜泣(よな)き岩(いわ)を旅人(たびびと)たちがかこんで眺(なが)めています。江戸時代(えどじだい)とかわらぬ姿(すがた)の旅人(たびびと)たちにまじって、坂(さか)を登(のぼ)る洋装(ようそう)の男性(だんせい)がさりげなく描(えが)かれています。
東海(とうかい)名所(めいしょ) 改正(かいせい)道中(どうちゅう)記(き) 二十(にじゅう)八(はち) 小夜(さよ)の中山(なかやま) 日坂(にっさか) かけ川(がわ)迄(まで)一(いち)り二十(にじゅう)五(ご)丁(ちょう)