Fujisawa Net Museum

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製作(せいさく)時期(じき):享和(きょうわ)4(ねん)(=文化(ぶんか)元年(がんねん),1804)。
板元(はんもと)(しるし)なし

北斎(ほくさい)東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)シリーズは大判(おおばん)のものは皆無(かいむ)で、大半(たいはん)小判(しょうばん)(よこ)ですが、景観(けいかん)描写(びょうしゃ)主眼(しゅがん)()いた初代(しょだい)広重(ひろしげ)作品(さくひん)(たい)し、(たび)(かく)宿駅(しゅくえき)風俗(ふうぞく)主眼(しゅがん)となっていて、独特(どくとく)(あじ)わいを(かん)じさせます。

板行(はんこう)当初(とうしょ)狂歌(きょうか)グループによって出板(しゅっぱん)された『春興(しゅんきょう)五十三駄(ごじゅうさんだ)()(うち)』と(だい)した摺物(すりもの)で、右側(みぎがわ)狂歌(きょうか)()られていました。画面(がめん)()(しま)(もうで)女性(じょせい)2人(ふたり)従者(じゅうしゃ)が、ちょうど藤沢宿(ふじさわしゅく)にあった(いち)鳥居(とりい)をくぐったところです。

標柱(ひょうちゅう)に「これよりゑのしま(みち)」「享和(きょうわ)(よん)甲子(きのえね)(ねん)正月(しょうがつ)吉日(きちじつ) 藤沢宿(ふじさわしゅく)」とあって、この年号(ねんごう)からこのシリーズの制作(せいさく)年代(ねんだい)判明(はんめい)しています。

藤沢宿 平塚へ三里半

藤沢(ふじさわ) 平塚(ひらつか)三里(さんり)(はん)

制作(せいさく)時期(じき):天保(てんぽう)2(ねん)(1831)(ころ)
板元(はんもと):永寿(えいじゅ)(どう)

北斎(ほくさい)代表(だいひょう)する揃物(そろいもの)作品(さくひん)冨嶽三十六景(ふがくさんじゅうろっけい)」のうちの(いち)()です。
七里ヶ浜(しちりがはま)景色(けしき)でありながら、浜辺(はまべ)省略(しょうりゃく)され、画面(がめん)中央(ちゅうおう)()(たか)(そび)える(しま)富士(ふじ)(おお)きく(えが)かれるという(めずら)しい構図(こうず)になっています。中央(ちゅうおう)()()えた(しま)()(しま)として(えが)かれたものか、小動岬(こゆるぎみさき)として(えが)かれたものは判然(はんぜん)としません。おそらく北斎(ほくさい)は、このシリーズにおいては実景(じっけい)(えが)くことよりも、富士(ふじ)印象的(いんしょうてき)()せる構図(こうず)(つく)()すことに意識(いしき)()いていたのでしょう。
また作品(さくひん)全体(ぜんたい)(あお)色調(しきちょう)()られた「(あい)()り」となっています。この青色(あおいろ)には舶来(はくらい)染料(せんりょう)、ベルリンブルー(通称(つうしょう)「ベロ(あい)」)が多用(たよう)されており、(あたら)しい時代(じだい)色彩(しきさい)(つく)()すという(こころ)みの作品(さくひん)でもあったと(かんが)えられます。

冨嶽三十六景(ふがくさんじゅうろっけい)シリーズのうちの1(まい)。いわゆる(あい)()りといわれるもので、しかも(かん)()(てき)要素(ようそ)(つよ)く、一般(いっぱん)(てき)浮世絵(うきよえ)とは感覚(かんかく)(こと)にしています。また制作(せいさく)年代(ねんだい)近頃(ちかごろ)研究(けんきゅう)で、従来(じゅうらい)文政(ぶんせい)年間(ねんかん)より(すこ)時代(じだい)()がる天保(てんぽう)2(ねん)定説(ていせつ)となりつつあります。

葛飾北斎 冨嶽三十六景 相州七里浜

()(がく)(さん)(じゅう)(ろっ)(けい) 相州(そうしゅう)七里(しちりが)(はま)

江戸(えど)辻岡屋(つじおかや)文助(ぶんすけ)(ばん) 慶応(けいおう)元年(がんねん)(1865(ねん)
たて72.0 よこ61.0
徳川将軍(とくがわしょうぐん)家茂(いえもち)上洛(じょうらく)(京都(きょうと)()くこと)を()に、これを題材(だいざい)としたいくつもの五十三次(ごじゅうさんつぎ)浮世絵(うきよえ)シリーズが発行(はっこう)されました。これらは「()上洛(じょうらく)東海道(とうかいどう)」「行列(ぎょうれつ)東海道(とうかいどう)」などと()ばれ、爆発(ばくはつ)(てき)()()きで(おお)くの(はん)(かさ)ね、当時(とうじ)庶民(しょみん)幕末(ばくまつ)状況(じょうきょう)(たい)する関心(かんしん)(たか)さを物語(ものがた)っています。
絵師(えし)歌川(うたがわ)(橋本(はしもと))貞秀(さだひで)は、鳥瞰(ちょうかん)(てき)視点(してん)から(えが)いた浮世絵(うきよえ)有名(ゆうめい)画家(がか)で、この「行列(ぎょうれつ)双六(すごろく)」もその本領(ほんりょう)発揮(はっき)したものと()えましょう。()()しの「第一(だいいち) 江戸(えど)」を出発(しゅっぱつ)した行列(ぎょうれつ)は、さまざまな(のぼり)(はた)()(なが)しなどを()てて「()がり」の(きょう)()かっていますが、この()では、さらに伏見(ふしみ)(よど)八幡(やはた)といった大坂(おおさか)までの大坂街道(おおさかかいどう)(京街道(きょうかいどう))の宿(やど)()(えが)()まれていて、「(ひと)(あま)れば 伏見(ふしみ)(ふた)ツ 〃 よど、(みっ)ツ 〃 ()はた、(よっ)ツ 〃 大坂(おおさか)」と(しる)されています。

新版(しんばん)東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)行列(ぎょうれつ)双六(すごろく)

蔦屋吉蔵(つたやきちぞう)(ばん)
安政(あんせい)4(ねん)(1857(ねん)

江戸時代(えどじだい)道中双六(どうちゅうすごろく)数多(かずおお)(つく)られましたが、その(なか)でも(とく)(おお)かったのが東海道(とうかいどう)道中双六(どうちゅうすごろく)でした。この「参宮(さんぐう)上京(じょうきょう)道中(どうちゅう)一覧(いちらん)双六(すごろく)」は、京都(きょうと)()かう途中(とちゅう)伊勢神宮(いせじんぐう)()()形式(けいしき)になっています。右下(みぎした)()()しの日本橋(にほんばし)(みぎ)(うえ)()がりの京都(きょうと)で、真中(まんなか)には富士山(ふじさん)実際(じっさい)地理(ちり)とは(こと)なりますが、ダイナミックな構図(こうず)です。当時(とうじ)一般(いっぱん)(てき)双六(すごろく)(こと)なり、マスを(なら)べたつくりになっておらず、また全体(ぜんたい)鳥瞰図(ちょうかんず)(かたち)(えが)かれていることも特徴(とくちょう)(てき)で、美術(びじゅつ)(てき)にも価値(かち)(たか)作品(さくひん)()われています。藤沢(ふじさわ)近辺(きんぺん)では、参詣(さんけい)()(観光(かんこう)スポット)として、遊行寺(ゆぎょうじ)七面山(しちめんやま)(片瀬(かたせ)現在(げんざい)龍口寺(りゅうこうじ)(ない))、さらには平塚(ひらつか)(さき)(こう)らい()(高麗寺(こうらいじ))も(しる)されています。

参宮(さんぐう)上京(じょうきょう)道中(どうちゅう)一覧(いちらん)双六(すごろく)



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