Fujisawa Net Museum

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作者(さくしゃ)、制作(せいさく)年代(ねんだい)不詳(ふしょう)

 表題(ひょうだい)は表紙(ひょうし)に墨書(ぼくしょ)されている名称(めいしょう)で、行幸(ぎょうこう)(天皇(てんのう)や上皇(じょうこう)の外出(がいしゅつ)のこと)を指(さ)し、外出(がいしゅつ)に際(さい)し、たどるであろう道筋(みちすじ)を仮定(かてい)したものと思(おも)われます。東海道(とうかいどう)を題材(だいざい)にしていますが、単色(たんしょく)刷(ず)りで古(ふる)い形態(けいたい)のものと思(おも)われ、京都(きょうと)から先(さき)の大坂(おおさか)までの京街道(きょうかいどう)の宿々(しゅくじゅく)や宿(しゅく)の間(あいだ)の観光(かんこう)スポットも含(ふく)んだ、100を超(こ)えるマス(地名(ちめい))が記載(きさい)されています。
「ふりはじめ」(振(ふ)り出(だ)し)は大坂(おおさか)で、草津宿(くさつしゅく)から東海道(とうかいどう)と中山道(なかせんどう)に分(わ)かれ、途中(とちゅう)、伊勢(いせ)や江(え)の島(しま)・鎌倉(かまくら)などの観光(かんこう)スポットを回遊(かいゆう)しながら江戸(えど)に至(いた)るものです。
サイコロは通常(つうじょう)の1~6の目(め)ではなく、五(ご)・十(じゅう)・三(さん)・つ・き・■の六(ろく)面(めん)を用(もち)いていていたようで、
五(ご) やく(役(やく))あるは、しるし有(あり)
   印(しるし)なきは、かず(数(かず))の通行(つうこう)
十(じゅう) 右(みぎ)同断(どうだん)
三(さん) 右(みぎ)同断(どうだん)
つ やく有(あり)は、しるしあり
   印(しるし)なきは、一(ひと)ツ行(いく)
き やく有(あり)は、印(しるし)あり
   印(しるし)なきは、二(ふた)ツ行(いく)
■ 此(この)(この)目(め)にても、一度(いちど)ツヽ
   やすみ(休(やす)み)
と図(ず)中(ちゅう)に解説(かいせつ)があります。
藤沢宿(ふじさわしゅく)からは砂州(さす)をかたどった道(みち)が「江(え)のしま」に伸(の)び、さらに、大(おお)ほとけ(大仏(だいぶつ))、ゆきの下(した)(雪ノ下(ゆきのした))、ゆいがはま(由比ヶ浜(ゆいがはま))、かまくら(鎌倉(かまくら))、つるがおか(鶴岡(つるがおか))、くわうめうじ(光明寺(こうみょうじ))、かなさは(金沢(かなざわ))、よくみ山(やま)(能見台(のうけんだい))を経(へ)て神奈川宿(かながわしゅく)に至(いた)るルートが記(しる)されています。

題名不詳(だいめいふしょう)(五十三(ごじゅうさん)つき双六(すごろく))(みゆき双六(すごろく))

作者不詳(さくしゃふしょう)
天保(てんぽう)14年(ねん)‐弘化(こうか)4年(ねん)(1843-47)

江戸時代(えどじだい)の四季(しき)の行事(ぎょうじ)や風物(ふうぶつ)を主題(しゅだい)とした双六(すごろく)で、サイコロの目(め)によって様々(さまざま)なコマへ飛(と)び移(うつ)る「飛(と)び双六(すごろく)」です。画面(がめん)下(した)の振(ふ)り出(だ)しで、サイコロを振(ふ)り、1は恵方参(えほうまいり)、2は福引(ふくびき)、3は初(はつ)卯(う)(正月(しょうがつ)最初(さいしょ)の卯(う)の日(ひ)の神社(じんじゃ)詣(もうで))、4は梅見(うめみ)、5は初午(はつうま)(二月(にがつ)最初(さいしょ)の午(うま)の日(ひ)の稲荷社(いなりしゃ)の祭(まつり))、6は隅田川(すみだがわ)(行楽(こうらく))に進(すす)み、最後(さいご)に画面(がめん)上(じょう)の「初春(しょしゅん)」まで行(い)けば、あがりとなります。
振(ふ)り出(だ)しの左上(ひだりうえ)には「江(え)の嶋(しま)」のコマがあり、女性(じょせい)たちが初夏(しょか)の頃(ころ)に江の島(えのしま)へ向(む)かう様子(ようす)が描(えが)かれています。江の島(えのしま)詣(もうで)が江戸時代(えどじだい)の四季(しき)の風物(ふうぶつ)の一(ひと)つとして浸透(しんとう)していたことが分(わ)かる資料(しりょう)となっています。

四季(しき)楽(たの)しみ双六(すごろく)

大阪(おおさか)の船着(ふなつ)き場(ば)「大坂(おおさか)八軒(はちけん)家(や)(屋(や))」を振(ふ)り出(だ)し、江戸(えど)を上(のぼ)りとする道中双六(どうちゅうすごろく)です。東海道(とうかいどう)の各(かく)宿(やど)の名所(めいしょ)・名物(めいぶつ)に所縁(しょえん)のある歌舞伎役者(かぶきやくしゃ)や浪速(なにわ)と尾張(おわり)で活躍(かつやく)していた狂歌(きょうか)師(し)の詩歌(しか)が各(かく)マスに挿入(そうにゅう)されています。刊行(かんこう)情報(じょうほう)によると、この双六(すごろく)はお正月(しょうがつ)に販売(はんばい)するために改(あらた)めて彫(ほ)られたもので、心斎橋(しんさいばし)を住所(じゅうしょ)に持(も)つ版元(はんもと)が芳(よし)幾(いく)に依頼(いらい)したものだと思(おも)われます。

藤沢(ふじさわ)のマスは歌舞伎役者(かぶきやくしゃ)の十一代目守田勘彌(じゅういちだいめもりたかんや)の「御(ご)病気(びょうき)のわざか 時々(ときどき)お休(やす)みも 藤沢(ふじさわ)寺(てら)へ 車(くるま)とどめる」という狂歌(きょうか)が記(しる)されています。藤沢(ふじさわ)寺(てら)は遊行寺(ゆぎょうじ)のことで、遊行寺(ゆぎょうじ)ゆかりの伝説(でんせつ)上(じょう)の人物(じんぶつ)「小栗判官(おぐりはんがん)」が病気(びょうき)のため土車(どしゃ)に乗(の)せられて熊野(くまの)へ向(む)かうストーリーを連想(れんそう)させます。

東海道(とうかいどう)宿々(しゅくしゅく)名所(めいしょ)名物(めいぶつ)寄(よせ)俳優(はいゆう)芸道(げいどう)細見図(さいけんず)

仮名垣魯文(かながきろぶん) 作(さく) 歌川国政(うたがわくにまさ) 画(え)
明治12年(めいじじゅうにねん)(1879)
第(だい)18代(だい)アメリカ大統領(だいとうりょう)ユリシーズ・S・グラントの幼少(ようしょう)から明治12年(めいじじゅうにねん)の日本(にっぽん)来訪(らいほう)までが集約(しゅうやく)されたものです。第(だい)三(さん)編(へん)では、インドや中国(ちゅうごく)を巡(めぐ)り、最終目的地(さいしゅうもくてきち)である日本(にっぽん)までの旅路(たびじ)とともに、来訪(らいほう)時(じ)に開催(かいさい)されたさまざまな行事(ぎょうじ)の様子(ようす)が紹介(しょうかい)されています。
明治(めいじ)には西洋人(せいようじん)を題材(だいざい)とした物語(ものがたり)が多(おお)く出版(しゅっぱん)されました。その内容(ないよう)は、偉人(いじん)の伝記(でんき)とともに文化(ぶんか)、地理(ちり)、政治(せいじ)・歴史(れきし)といった幅広(はばひろ)い要素(ようそ)が組(く)み込(こ)まれたものでした。「格蘭氏伝倭文賞(ぐらんどしでんやまとぶんしょう)」もそのひとつで、幕末(ばくまつ)から明治(めいじ)初期(しょき)に活躍(かつやく)した戯作者(げさくしゃ)、仮名垣(かながき)魯文(ろぶん)によって書(か)かれました。

格蘭氏伝倭文賞(ぐらんどしでんやまとぶんしょう)



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