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江の島の歴史
江の島歴史年表
江の島散策マップ
江の島の文化財
江の島を訪れた人々
資料種類しりょうしゅるい(大分類だいぶんるい):
資料種類しりょうしゅるい(中分類ちゅうぶんるい):
資料種類しりょうしゅるい(小分類しょうぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(大分類だいぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(中分類ちゅうぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(小分類しょうぶんるい):
作者さくしゃ(50音分類おんぶんるい):
作者さくしゃ:
フリーワード:
製作(せいさく)時期(じき):嘉永(かえい)4年(ねん)(1851)~嘉永(かえい)5年(ねん)(1852)。 板元(はんもと):村市(むらいち)(村田屋市五郎(むらたやいちごろう)) 東海道(とうかいどう)の始点(してん)である日本橋(にほんばし)の橋(はし)のたもと近(ちか)くの船着場(ふなつきば)の場面(ばめん)が描(えが)かれています。対岸(たいがん)には、たくさんの蔵(くら)が建(た)ち並(なら)んでいます。 歌川広重(うたがわひろしげ)は、生涯(しょうがい)で20種(しゅ)以上(いじょう)の東海道(とうかいどう)シリーズ作品(さくひん)を手(て)がけました。 今回(こんかい)展示(てんじ)する「五十三次(ごじゅうさんつぎ)」は、広重(ひろしげ)の円熟(えんじゅく)期(き)にあたる嘉永(かえい)5年(ねん)(1852)頃(ころ)に刊行(かんこう)された東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)です。 このシリーズ作品(さくひん)は、東海道(とうかいどう)の風景(ふうけい)を背景(はいけい)にして、人物(じんぶつ)の描写(びょうしゃ)が大(おお)きく扱(あつか)われていることから「人物(じんぶつ)東海道(とうかいどう)」とも呼(よ)ばれています。
五十三次(ごじゅうさんつぎ) 日本橋(にほんばし)(人物(じんぶつ)東海道(とうかいどう))
江戸(えど)後期(こうき) 紙本(しほん)淡彩(たんさい) 桐箱(きりばこ) 5巻(かん)
東海道(とうかいどう)五十三(ごじゅうさん)駅(えき)図(ず)巻(まき)
元禄(げんろく)3年(ねん)(1690) 全(ぜん)5巻(かん)
東海道(とうかいどう)分間之図(ぶんけんのず)
福神(ふくじん)である毘沙門天(びしゃもんてん)と弁財天(べんざいてん)との縁組(えんぐみ)騒動(そうどう)に端(たん)を発(はっ)する滑稽(こっけい)話(ばなし)を、江(え)の島(しま)由来(ゆらい)の話(はなし)に絡(から)めた黄表紙(きびょうし)(絵(え)を中心(ちゅうしん)とした簡単(かんたん)な読(よ)み物(もの))です。この作品(さくひん)での七福神(しちふくじん)は威厳(いげん)のある神様(かみさま)としてではなく、人間(にんげん)らしく面白(おもしろ)おかしく描(えが)かれています。 作者(さくしゃ)の十返舎(じっぺんしゃ)一九(いっく)は江戸(えど)後期(こうき)の代表(だいひょう)的(てき)な戯作者(げさくしゃ)で、『東海道中膝栗毛(とうかいどうちゅうひざくりげ)』シリーズの大(だい)ヒットにより、日本(にっぽん)で最初(さいしょ)に文筆(ぶんぴつ)のみで自活(じかつ)したといわれています。本作(ほんさく)のように、初期(しょき)の作品(さくひん)は作画(さくが)も自分(じぶん)で行(おこな)っています。
福神(ふくじん)江(え)の島(しま)台(だい)
日本橋(にほんばし)から東海道(とうかいどう)を通(とお)って戸塚(とつか)、藤沢(ふじさわ)、江(え)の島(しま)への道程(どうてい)と、江(え)の島(しま)を中心(ちゅうしん)に名所旧跡(めいしょきゅうせき)を記(しる)した案内(あんない)記(き)。挿絵(さしえ)は谷文晁(たにぶんちょう)をはじめとした26人(にん)の画家(がか)によるもので、海産物(かいさんぶつ)などの江(え)の島(しま)の名産(めいさん)も描(えが)かれています。
江(え)の島(しま)詣(も)うで浜(はま)のさざ波(なみ)
材質(ざいしつ) 土(つち)
彩(さい)陶(とう)
平成(へいせい)31年(ねん)(2019)2月1日(がつついたち)指定(してい)/縦(たて)35.5cm、横(よこ)約(やく)764cm~1102cm/江島神社(えのしまじんじゃ)に伝来(でんらい)する縁起絵巻(えんぎえまき)(全(ぜん)5巻(かん))です。霞(かすみ)に金砂子(きんすなご)、岩(いわ)に金泥(こんでい)など金色(きんいろ)を多用(たよう)した、彩色(さいしき)豊(ゆた)かな絵巻(えまき)です。すでに市指定重要文化財(ししていじゅうようぶんかざい)に指定(してい)されている岩本楼本(いわもとろうぼん)の「江嶋縁起(えのしまえんぎ)」をもとに製作(せいさく)されたものと考(かんが)えられるが、細部(さいぶ)は相違(そうい)があります。絵師(えし)の狩野興也(かのうこうや)は、紀州徳川家(きしゅうとくがわけ)の絵師(えし)であった興以(こうい)の次男(じなん)で、水戸藩(みとはん)の御用絵師(ごようえし)です。江の島(えのしま)、江島神社(えのしまじんじゃ)の来歴(らいれき)を伝(つた)えるものとして、ともに昭和(しょうわ)59年(ねん)3月(がつ)に市(し)の指定文化財(していぶんかざい)に指定(してい)された「真名本江嶋縁起(まなぼんえのしまえんぎ)」(江島神社蔵(えのしまじんじゃぞう)、室町時代後期(むろまちじだいこうき)・16世紀(せいき))ともども重要(じゅうよう)であり、美術的(びじゅつてき)にも優(すぐ)れています。各巻(かくかん)の概要(がいよう):巻(まきの)1神代(じんだい)~武烈天皇(ぶれつてんのう) 狼藉(ろうぜき)、生贄(いけにえ)を食(く)らう五頭龍(ごずりゅう) 巻(まきの)2欽明天皇(きんめいてんのう) 弁才天(べんざいてん)(弁財天(べんざいてん))降臨(こうりん)、江の島(えのしま)を創造(そうぞう)、五頭龍(ごずりゅう)を龍ノ口(たつのくち)に鎮撫(ちんぶ)する 巻(まきの)3奈良時代(ならじだい) 役小角(えんのおづぬ)、泰澄(たいちょう)の江の島(えのしま)参籠(さんろう)、道智法師(ちとくほうし)が天女(てんにょ)に懸想(けそう)し追(お)われる 巻(まきの)4平安時代(へいあんじだい) 弘法大師(こうぼうたいし)空海参籠(くうかいさんろう)、岩屋本宮(いわやほんぐう)を創建(そうけん)。慈覚大師円仁(じかくだいしえんにんさんろう)の参籠(さんろう)。 巻(まきの)5平安(へいあん)~鎌倉(かまくら) 円仁(えんにん)の指示(しじ)で社殿(しゃでん)(上之宮(かみのみや)・中津宮(なかつみや))建立(こんりゅう)開始(かいし)、良真(りょうしん)の参籠(さんろう) 天女(てんにょ)が社殿荒廃(しゃでんこうはい)を嘆(なげ)き、良真(りょうしん)は下之宮(しものみや)(辺津宮(へつみや))を建設(けんせつ)。建永元年(けんえいがんねん)(1206)遷宮(せんぐう)。所有管理者(しょゆうかんりしゃ):江島神社(えのしまじんじゃ)
紙本(しほん)著(ちゃく)色(しょく)江嶋(えのしま)縁起(えんぎ)絵巻(えまき)