制作時期:天保初期頃。
板元印なし
遠眼鏡で江の島からあたりを眺望しているところですが、「冨士大山道中雑記 附江之島鎌倉」(天保九年)に江の島の茶屋に休息して「此所都て絶景之所也、茶屋所々に有之、家毎遠眼鏡之、相州三浦三崎其外七里ヶ浜等眼下に見下し、漁舟、鮑取の舟、相見へ、極景色宣しき所也」とあり、遠眼鏡で絶景を眺めることがよく行われていたことがわかります。また図柄には波の線や岩肌、あるいは男の着物に銀泥を用いるなど、摺物らしい豪華さを出しています。そして岩にくだける荒波の描法は師匠北斎の「冨嶽三十六景」などの表現方法に共通していますし、その色調は同じく「神奈川沖波裏」のそれを連想させます。
江島記行は江の島に関する風物を描いた、揃物の摺物です。摺物とは、狂歌(狂歌→諧謔的な31文字で作られる詩)と歌に関する挿絵が描かれた版画作品です。狂歌師達によって作られた私家版の印刷物のため、採算を取ることが前提の売り物の浮世絵とは異なり、小さい画面の内にも繊細な彫りや摺り等の高い技術がふんだんに用いられていることが特徴です。
本作は画中に16枚続きの記載 がありますが、現在発見されているものは14点で、「高輪ふり出し」「鮫州」「大森」「蒲田」「六郷」「鶴見」「神奈川」「浜川」「下宮」「上宮」「本宮」「兒ヶ淵(稚児ヶ淵)」「俎岩」「竜洞」で、狂歌連(狂歌のグループ)が江の島旅行へ行った際に、記念として制作されたものと考えられています。
挿絵を担当した魚屋北渓は北斎の門人の一人で、摺物では北斎をしのぐ技巧をもつと評価されるほど、狂歌関連の作品を得意とした絵師です。