制作時期:弘化4年~嘉永5年(1844~1853)頃。
板元:住政
江戸後期になると江の島は江戸に近い手頃な行楽地として、弁財天信仰と合わせて人気を集め、江戸の人々の間で講中を組んで参詣することが盛んになり、特に6年に一度の開帳の時は多数の参詣人で賑ったといわれます。この同じ住吉屋政五郎から出版された作品として「相州江の嶋弁才天開帳詣本宮岩屋の図」があり、「江の嶋弁才天開帳詣」と合わせて開帳三部作の一つです。
江の島参詣に向う4組の女講中を揃いの日傘で描き分けています。まず中央の列の先頭は三本の杵の江戸長唄杵屋、それに続く菱に三つ柏は清元節、その左は角木瓜の常磐津節、画面右の桜草の紋の一群は富本節の人々と考えられます。いずれも音曲の連中の、粋で艶やかな行列です。『武江年表』に嘉永4年(1851年)辛亥の2月28日より百日間窟弁財天の開帳があり江戸より参詣人多しとあります。まさにその賑わいを見せるような作品です。