ふりがな
江の島の歴史
江の島歴史年表
江の島散策マップ
江の島の文化財
江の島を訪れた人々
資料種類しりょうしゅるい(大分類だいぶんるい):
資料種類しりょうしゅるい(中分類ちゅうぶんるい):
資料種類しりょうしゅるい(小分類しょうぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(大分類だいぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(中分類ちゅうぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(小分類しょうぶんるい):
作者さくしゃ(50音分類おんぶんるい):
作者さくしゃ:
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根下(ねした)遺跡(いせき)はJR東海道線(とうかいどうせん)辻堂駅(つじどうえき)の北北東(ほくほくとう)約(やく)2km、引地川(ひきじがわ)に向(む)かって張(は)り出(だ)す低(てい)段丘(だんきゅう)の先端(せんたん)部(ぶ)に位置(いち)しています。 この遺跡(いせき)からは複数(ふくすう)時期(じき)の旧石器時代(きゅうせっきじだい)の文化(ぶんか)層(そう)が確認(かくにん)されていますが、その中(なか)でも第(だい)Ⅳ文化(ぶんか)層(そう)と名付(なづ)けられた場所(ばしょ)から市内(しない)最古(さいこ)の打(だ)製(せい)石斧(せきふ)が出土(しゅつど)しています。
根下(ねした)遺跡(いせき)
鵠沼(くげぬま)藤原(ふじわら)遺跡(いせき)は引地川(ひきじがわ)左岸(さがん)、小田急江ノ島線(おだきゅうえのしません)の本鵠沼駅(ほんくげぬまえき)から南西(なんせい)約(やく)900mに所在(しょざい)します。この遺跡(いせき)の発掘調査(はっくつちょうさ)は現在(げんざい)までにありませんが、昭和(しょうわ)40年(ねん)代(だい)に砂(すな)取(と)り工事(こうじ)がおこなわれた際(さい)、奈良時代(ならじだい)・平安時代(へいあんじだい)・鎌倉時代(かまくらじだい)の遺物(いぶつ)が採取(さいしゅ)されています。その中(なか)でも8世紀(せいき)後半(こうはん)の年代(ねんだい)が考(かんが)えられる土師器(はじき)の坏(つき)の一(ひと)つに「土甘(とがみ)」の文字(もじ)が刻(きざ)まれたものがあり、現在(げんざい)藤沢市(ふじさわし)の指定(してい)重要文化財(じゅうようぶんかざい)となっています。
鵠沼(くげぬま)藤原(ふじわら)遺跡(いせき)
一(いっ)斗(と)入(い)りのザルで、米(こめ)などの穀物(こくもつ)を洗(あら)ったり、研(みが)いだりするのに使用(しよう)した。
いっとざる
織機(おりき)の付属(ふぞく)具(ぐ)。経糸(たていと)の間(ま)に緯糸(よこいと)を通(とお)すのに用(もち)いる。中(なか)ほどの空間(くうかん)には、糸(いと)を巻(ま)き取(と)ったクダを入(い)れ、横(よこ)の穴(あな)から糸(いと)を引(ひ)き出(だ)す。
ひ
かんじきの一種(いっしゅ)。かつて市内(しない)に多(おお)くあった深田(ふかだ)・湿田(しつでん)での稲刈(いねか)りなどの作業(さぎょう)のとき足(あし)につける。
たげた
収穫(しゅうかく)した稲(いね)籾(もみ)や麦(むぎ)・豆類(まめるい)など天日(てんぴ)で乾燥(かんそう)させる際(さい)に、ムシロの上(うえ)に広(ひろ)げてこの道(どう)具(ぐ)でならした。ホシモノヒロゲともいう。
えぶり
標題(ひょうだい)(和文(わぶん)) (辻堂(つじどう)名所(めいしょ))日(ひ)の出(で)橋(ばし)上(じょう)より引地川(ひきじがわ)上流(じょうりゅう)を望(のぞ)む 地域(ちいき) 辻堂(つじどう) 商標(しょうひょう) ヨットと雲(くも) 発行(はっこう)元(もと)・製造元(せいぞうもと) 辻堂(つじどう)・巴(ともえ)屋(や) 年代(ねんだい) 昭和(しょうわ)10年代(ねんだい) 解説(かいせつ) 昭和(しょうわ)10 年(ねん)代(だい)当時(とうじ)の橋(はし)は板橋(いたばし)。護岸工事(ごがんこうじ)が施(ほどこ)されている。
(辻堂(つじどう)名所(めいしょ))日(ひ)の出(で)橋(ばし)上(じょう)より引地川(ひきじがわ)上流(じょうりゅう)を望(のぞ)む