Fujisawa Net Museum

資料一覧

製作時期(せいさくじき):安政(あんせい)3(ねん)(1856)。
板元(はんもと):山口藤兵衛(やまぐちとうべえ)

(せき)・・・一休宗純(いっきゅうそうじゅん)
一休宗純(いっきゅうそうじゅん)は「一休(いっきゅう)さん」の愛称(あいしょう)(した)しまれています。(せき)には、一休(いっきゅう)地蔵(じぞう)開眼(かいがん)したという逸話(いつわ)(のこ)っています。

坂之下(さかのした)・・・鈴鹿川(すずかがわ)
坂之下宿(さかのしたしゅく)は、鈴鹿峠(すずかとうげ)(ひか)えた宿場(しゅくば)であったので、(おお)くの旅人(たびびと)利用(りよう)されました。

土山(つちやま)・・・鈴鹿峠(すずかとうげ)
坂之下宿(さかのしたしゅく)土山宿(つちやましゅく)(あいだ)位置(いち)する鈴鹿峠(すずかとうげ)景色(けしき)です。画面(がめん)(みぎ)(おく)にみえる建物(たてもの)土山宿(つちやましゅく)でしょうか。

水口(みずぐち)・・・大井子(おおいこ)力石(ちからいし)
(おお)きな(いし)(かつ)ぐのは、怪力(かいりき)女性(じょせい)大井子(おおいこ)」です。当館所蔵(とうかんしょぞう)歌川国芳(うたがわくによし)作品(さくひん)にも、同様(どうよう)大井子(おおいこ)(えが)かれており、水口(みずぐち)ゆかりの説話(せつわ)であることが()かります。

広重(ひろしげ)風景(ふうけい)中心(ちゅうしん)とした東海道(とうかいどう)ものを(おお)(えが)いていますが、この()(よう)(こと)なったタイプのシリーズも(のこ)しています。これは一般(いっぱん)張交東海道(はりまぜとうかいどう)といわれるもので、1(まい)(なか)に3~5宿(しゅく)風景(ふうけい)名産(めいさん)物語(ものがたり)(とう)挿入(そうにゅう)されています。

東海道張交図会 関 坂の下 土山 水口(山藤版)

東海道(とうかいどう)(はり)(まぜ)図会(ずえ) (せき) (さか)(した) 土山(つちやま) 水口(みなくち)山藤(やまふじ)(ばん)

製作時期(せいさくじき):天保(てんぽう)10年頃(ねんごろ)(1839)。
板元(はんもと):佐野喜(さのきち)(佐野屋喜兵衛(さのやきへえ))

背景(はいけい)広重(ひろしげ)保永堂版東海道(ほえいどうばんとうかいどう)藤沢(ふじさわ) 遊行寺(ゆぎょうじ)」を下敷(したじ)きにしています 。
女性(じょせい)(うし)ろにあるのは、大鋸橋(だいぎりばし)現在(げんざい)遊行寺橋(ゆぎょうじばし))と、かつてその(きわ)にあった江の島(えのしま)一ノ鳥居(いちのとりい)で、女性(じょせい)頭上(ずじょう)(やま)のように(えが)かれているのが遊行寺(ゆぎょうじ)です。

(おお)きな木太刀(きだち)御神酒枠(おみきわく)(かつ)いだ大山詣(おおやままい)りの一行(いっこう)は、広重(ひろしげ)作品(さくひん)では(はし)(うえ)にいますが、国貞(くにさだ)()では鳥居(とりい)(まえ)まで()ています。手前(てまえ)女性(じょせい)旅立(たびだ)ちのため(おび)()めているところでしょうか。
足元(あしもと)には煙草入(たばこい)れ、風呂敷包(ふろしきづつ)み、菅笠(すげがさ)といった(たび)道具(どうぐ)()かれています。板元(はんもと)佐野屋喜兵衛(さのやきへえ)

国貞(くにさだ)の「美人(びじん)東海道(とうかいどう)」の()(した)しまれている本作(ほんさく)は、背景(はいけい)東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)宿場(しゅくば)風景(ふうけい)が、手前(てまえ)には美人(びじん)各地(かくち)関連(かんれん)した風俗(ふうぞく)(えが)かれます。
東海道(とうかいどう)景色(けしき)歌川広重(うたがわひろしげ)代表作(だいひょうさく)保永堂版東海道(ほえいどうばんとうかいどう)」を下敷(したじ)きにして(えが)いている(てん)特徴(とくちょう)ですが、宮宿(みやしゅく)から京都(きょうと)まで(四日市(よっかいち)(のぞ)く)は国貞(くにさだ)のオリジナルの絵柄(えがら)となっています。

国貞(くにさだ)(三代豊国(さんだいとよくに)の前名(まえな))(えが)くこの東海道(とうかいどう)シリーズは、各宿(かくやど)風景(ふうけい)をバックにして前面(ぜんめん)()姿(すがた)美人(びじん)(えが)いたもので、(ぜん)シリーズを(とお)し、バックの風景画(ふうけいが)広重(ひろしげ)保永堂版東海道(ほえいどうばんとうかいどう)非常(ひじょう)によく()ています。
保永堂(ほえいどう)(えが)かれた時間(じかん)(すこ)(すす)めたような(かん)じで、(はし)(うえ)(えが)かれた(おお)きな木太刀(きだち)(かつ)いだ大山詣(おおやままいり)一行(いっこう)(はし)()り、客引(きゃくひ)きの女性(じょせい)二人(ふたり)だけが(のこ)っています。

東海道五拾三次之内 藤沢図

東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)()(うち) 藤沢(ふじさわ)()

製作時期(せいさくじき):天保(てんぽう)10年頃(ねんごろ)(1839)。
板元(はんもと):佐野喜(さのきち)(佐野屋喜兵衛(さのやきへえ))

背景(はいけい)広重(ひろしげ)保永堂版東海道(ほえいどうばんとうかいどう)品川(しながわ) 日之出(ひので)」の()をほぼ(うつ)していますが、国貞(くにさだ)作品(さくひん)では縦画面(たてがめん)()かすため、より俯瞰的(ふかんてき)構図(こうず)となっています。
日本橋(にほんばし)出立(しゅったつ)した大名行列(だいみょうぎょうれつ)一行(いっこう)品川(しながわ)(まち)(とお)()ぎて()くところが(えが)かれており、挟箱(はさみばこ)(かつ)いだ中間(ちゅうげん)雑務(ざつむ)などを(おこな)った下級(かきゅう)武士(ぶし))の(よこ)には宿場(しゅくば)境界(きょうかい)(しめ)した榜示杭(ぼうじぐい)()られます。

手前(てまえ)(えが)かれている女性(じょせい)は、(おお)くの(かんざし)(くし)()していることから遊女(ゆうじょ)であることがわかります。
品川宿(しながわしゅく)江戸(えど)一番(いちばん)(ちか)宿場(しゅくば)として、(あし)()ばす(ひと)(おお)く、また岡場所(おかばしょ)幕府(ばくふ)非公認(ひこうにん)遊郭街(ゆうかくまち))があったため、大変(たいへん)繁華(はんか)宿場(しゅくば)でありました。

国貞(くにさだ)(三代豊国(さんだいとよくに)前名(まえな))(えが)くこの東海道(とうかいどう)シリーズは、各宿(かくやど)風景(ふうけい)をバックにして前面(ぜんめん)()姿(すがた)美人(びじん)(えが)いたもので、(ぜん)シリーズを(とお)し、バックの風景画(ふうけいが)広重(ひろしげ)保永堂版東海道(ほえいどうばんとうかいどう)非常(ひじょう)によく()ています。

東海道五拾三次之内 品川之図

東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)()(うち) 品川(しながわ)()()

製作時期(せいさくじき):天保(てんぽう)10年頃(ねんごろ)(1839)。
板元(はんもと):佐野喜(さのきち)(佐野屋喜兵衛(さのやきへえ))

背景(はいけい)広重(ひろしげ)保永堂版東海道(ほえいどうばんとうかいどう)神奈川(かながわ) 台之景(だいのけい)」の構図(こうず)(もち)いています。神奈川宿(かながわしゅく)大型船(おおがたせん)寄港(きこう)できる「神奈川湊(かながわみなと)」があり、その中心(ちゅうしん)であった台町(だいまち)には(みなと)一望(いちぼう)できる二階建(にかいだ)ての茶店(ちゃみせ)(のき)(つら)ねていました。
茶屋(ちゃや)(おんな)による客引(きゃくひ)きも(さか)んだったようで、本作(ほんさく)でも(みち)中央(ちゅうおう)で、二人(ふたり)()れの旅人(たびびと)一人(ひとり)(そで)を、客引(きゃくひ)きの女性(じょせい)がしっかりと(にぎ)っています。
手前(てまえ)(えが)かれている女性(じょせい)(かんざし)(おび)()した懐紙(かいし)などの様子(ようす)から宿(やど)芸妓(げいぎ)(おも)われます。

国貞(くにさだ)(三代豊国(さんだいとよくに)前名(まえな))(えが)くこの東海道(とうかいどう)シリーズは、各宿(かくやど)風景(ふうけい)をバックにして前面(ぜんめん)()姿(すがた)美人(びじん)(えが)いたもので、(ぜん)シリーズを(とお)し、バックの風景画(ふうけいが)広重(ひろしげ)保永堂版東海道(ほえいどうばんとうかいどう)非常(ひじょう)によく()ています。

東海道五拾三次之内 神奈川之図

東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)()(うち) 神奈川(かながわ)()()

製作時期(せいさくじき):天保(てんぽう)10年頃(ねんごろ)(1839)。
板元(はんもと):佐野喜(さのきち)(佐野屋喜兵衛(さのやきへえ))

背景(はいけい)には清水湊(しみずみなと)()え、(おお)くの(ふね)停泊(ていはく)している様子(ようす)(えが)かれます。
その(おく)には愛鷹山(あしたかやま)伊豆(いず)山々(やまやま)(つら)なっています。画面(がめん)(みぎ)()える砂嘴(さし)は、天女(てんにょ)羽衣伝説(はごろもでんせつ)有名(ゆうめい)三保の松原(みほのまつばら)です。
前景(ぜんけい)には蒔絵(まきえ)小箱(こばこ)をわきに(かか)えた、旅装束(たびしょうぞく)女性(じょせい)(はい)されています。

国貞(くにさだ)(三代豊国(さんだいとよくに)前名(まえな))(えが)くこの東海道(とうかいどう)シリーズは、各宿(かくやど)風景(ふうけい)をバックにして前面(ぜんめん)()姿(すがた)美人(びじん)(えが)いたもので、(ぜん)シリーズを(とお)し、バックの風景画(ふうけいが)広重(ひろしげ)保永堂版東海道(ほえいどうばんとうかいどう)非常(ひじょう)によく()ています。

東海道五拾三次之内 江尻之図

東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)()(うち) 江尻(えじり)()()

製作時期(せいさくじき):天保(てんぽう)10年頃(ねんごろ)(1833)。
板元(はんもと):佐野喜(さのきち)(佐野屋喜兵衛(さのやきへえ))

背景(はいけい)広重(ひろしげ)保永堂版東海道(ほえいどうばんとうかいどう)嶋田(しまだ) 大井川駿岸(おおいがわすんがん)」の構図(こうず)(もち)いています。
大井川(おおいがわ)島田宿(しまだしゅく)駿河国(するがこく))と金谷宿(かなやしゅく)遠江国(とおとうみこく))の(あいだ)(なが)れる大河(たいが)で、「箱根八里(はこねはちり)(うま)でも()すが()すに()されぬ大井川(おおいがわ)」と(うた)われたように、増水時(ぞうすいじ)川留(かわど)めも(おお)東海道中(とうかいどうちゅう)難所(なんしょ)のひとつでした。川岸(かわぎし)には、川越(かわごえ)えの準備(じゅんび)をする人々(ひとびと)様子(ようす)(えが)かれています。
手前(てまえ)女性(じょせい)は「法橋(ほっきょう)光琳(こうりん)」(尾形光琳(おがたこうりん))の落款(らっかん)のある小屏風(こびょうぶ)()(ふみ)()んで、物思(ものおも)いにふけっているところのようです。

国貞(くにさだ)(三代豊国(さんだいとよくに)前名(まえな))(えが)くこの東海道(とうかいどう)シリーズは、各宿(かくやど)風景(ふうけい)をバックにして前面(ぜんめん)()姿(すがた)美人(びじん)(えが)いたもので、(ぜん)シリーズを(とお)し、バックの風景画(ふうけいが)広重(ひろしげ)保永堂版東海道(ほえいどうばんとうかいどう)非常(ひじょう)によく()ています。

東海道五拾三次之内 嶋田ノ図

東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)()(うち) 嶋田(しまだ)()



Page Top