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江の島の歴史
江の島歴史年表
江の島散策マップ
江の島の文化財
江の島を訪れた人々
資料種類しりょうしゅるい(大分類だいぶんるい):
資料種類しりょうしゅるい(中分類ちゅうぶんるい):
資料種類しりょうしゅるい(小分類しょうぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(大分類だいぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(中分類ちゅうぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(小分類しょうぶんるい):
作者さくしゃ(50音分類おんぶんるい):
作者さくしゃ:
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江戸時代(えどじだい)において錦絵(にしきえ)を売(う)っていた絵草紙(えぞうし)屋(や)(えぞうしや)の店先(みせさき)を描(えが)いた作品(さくひん)。店先(みせさき)には錦絵(にしきえ)が所狭(ところせま)しと陳列(ちんれつ)されており、江戸時代(えどじだい)においてどのように浮世絵(うきよえ)が売(う)られていたかを知(し)ることができます。店内(てんない)の商品(しょうひん)を見(み)ると、歌舞伎役者(かぶきやくしゃ)・美人(びじん)・相撲(すもう)の力士(りきし)が描(えが)かれた作品(さくひん)や、細長(ほそなが)い形(かたち)の柱絵(はしらえ)(はしらえ)と呼(よ)ばれる浮世絵(うきよえ)も見(み)られます。 本作(ほんさく)は浮世絵(うきよえ)が作(つく)られる工程(こうてい)から人々(ひとびと)の手(て)に渡(わた)るまでを田畑(たはた)の耕作(こうさく)の様子(ようす)に見立(みた)てて描(えが)いた一連(いちれん)の作品(さくひん)の内(うち)の一(いち)枚(まい)で、この作品(さくひん)の板元(はんもと)である鶴屋喜右衛門(つるやきえもん)の絵草紙(えぞうし)問屋(とんや)の店先(みせさき)が描(えが)かれていると考(かんが)えられます。
江戸(えど)名物(めいぶつ)錦(にしき)画(え)耕作(こうさく) 店先(みせさき)
制作(せいさく)時期(じき):享和(きょうわ)年間(ねんかん)(1801~04)頃(ころ)。板元(はんもと):鶴(つる)新(しん) この作品(さくひん)は1月(がつ)から12月(がつ)までの12枚(まい)揃(そろい)で制作(せいさく)されたもののうちの1枚(まい)で、表題(ひょうだい)はすべて同(おな)じです。12枚(まい)全部(ぜんぶ)は確認(かくにん)されず、現在(げんざい)わかっているものは、「陬月(すうげつ)〔正月(しょうがつ)〕)の大神楽(おおかぐら)」「睦月(むつき)(むつき〔正月(しょうがつ)〕)の女郎買(じょろかい)」「皐月(さつき)(〔5月(がつ)〕)の肴(さかな)売(うり)」「水無月(みなづき)(〔6月(がつ)〕)の水(みず)売(うり)」「初秋(しょしゅう)の多満(たま)祭(さい)」「名月(めいげつ)の遊興(ゆうきょう)」「霜月(しもつき)(〔11月(がつ)〕)の神詣(かみもうで)」「玄英(げんえい) (冬(ふゆ)の別名(べつめい))の雑司(ぞうし)谷(がや)」の9点(てん)です。 この作品(さくひん)は商家(しょうか)の女房(にょうぼう)が伴(とも)の若者(わかもの)を連(つ)れて江(え)の島(しま)詣(もうで)に出(で)かける姿(すがた)を描(えが)いたもので、菅笠(すげがさ)をかぶり黒(くろ)襟(えり)のコートを着(き)て手甲(てっこう)をした女房(にょうぼう)と天秤(てんびん)で荷物(にもつ)を振(ふ)り分(わ)けて肩(かた)にかけた従者(じゅうしゃ)の姿(すがた)は、当時(とうじ)の近場(ちかば)の旅(たび)の典型(てんけい)的(てき)なスタイルです。この作品(さくひん)は他(た)に所有(しょゆう)されているところは少(すく)なく、多少(たしょう)補色(ほしょく)した部分(ぶぶん)が見(み)うけられますが、貴重(きちょう)な資料(しりょう)であるといえます。
風流(ふりゅう)四季(しき)の遊(あそび) 弥生(やよい)の江之島(えのしま)詣(もうで)
中判(ちゅうばん)摺物(すりもの)1枚(まい) 縦(たて)19.9 横(よこ)26.8 板元(はんもと)印(しるし)なし 狂歌(きょうか)師(し)達(たち)が特別(とくべつ)な配(くば)り物(ぶつ)として作成(さくせい)した「摺物(すりもの)」と呼(よ)ばれる形式(けいしき)の作品(さくひん)です。波(なみ)、道(みち)、砂(すな)、富士(ふじ)の稜線(りょうせん)などに空摺(からず)りを入(い)れ、女性(じょせい)の帯(おび)の模様(もよう)には金泥(きんでい)・銀泥(ぎんでい)を使用(しよう)するなどの技巧(ぎこう)が施(ほどこ)されています。
金亀(きんき)山(ざん))
本作(ほんさく)は、舟遊(ふなあそ)びしている女性(じょせい)たちを七福神(しちふくじん)に見立(みた)てた絵(え)(古典的(こてんてき)主題(しゅだい)を江戸時代(えどじだい)当時(とうじ)の風俗(ふうぞく)に置(お)き換(か)えて描(えが)かれた絵(え)・見立絵(みたてえ))です。 画面(がめん)の人物(じんぶつ)は九(きゅう)人(にん)ですが、2人(ふたり)の子(こ)どもを除(のぞ)いた七(なな)人(にん)の美人(びじん)と若者(わかもの)が、それぞれ七福神(しちふくじん)に当(あ)てはめられ、様々(さまざま)な縁起物(えんぎもの)と共(とも)に描(えが)かれています。 落款(らっかん)(絵師(えし)のサイン)を見(み)ると「歌麿(うたまろ)書初(かきぞめ)」とあり、新春(しんしゅん)に向(む)けて描(えが)かれた、おめでたい絵(え)であることが伝(つた)わってきます。
(題名(だいめい)不詳(ふしょう))見立(みたて)七福神(しちふくじん)舟遊(ふなあそ)び
東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ) 藤沢(ふじさわ) 照天(てるて)姫(ひめ) 東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ) 平塚(ひらつか) 小栗(おぐり)
融通(ゆうずう)念仏(ねんぶつ)縁起(えんぎ)絵巻(えまき)の写本(しゃほん)です。日本(にほん)仏教(ぶっきょう)の宗派(しゅうは)の一(ひと)つである融通(ゆうずう)念仏宗(ねんぶつしゅう)の開祖(かいそ)(founder)、良忍(りょうにん)上人(しょうにん)の伝記(でんき)と合(あ)わせて融通(ゆうずう)念仏(ねんぶつ)の由来(ゆらい)や功徳(くどく)を描(えが)いたものです。融通(ゆうずう)念仏(ねんぶつ)とは、念仏(ねんぶつ)を口(くち)に出(だ)して唱(とな)えることで自分(じぶん)と他人(たにん)、あらゆるものが仏(ほとけ)の功徳(くどく)によって溶(と)け合(あ)い、現世(げんせ)(この世(よ))を極楽浄土(ごくらくじょうど)にすることができるという教(おし)えです。融通(ゆうずう)念(ねん)仏(ぶつ)の教(おし)えを広(ひろ)めるために多(おお)くの写本(しゃほん)がつくられました。展示(てんじ)作品(さくひん)は、京都(きょうと)生(う)まれの日本(にほん)画家(がか)、猪飼(いがい)嘯(しょう)谷(こく)(1881-1939)によって写(うつ)された写本(しゃほん)です。
融通(ゆうずう)念仏(ねんぶつ)縁起(えんぎ)絵巻(えまき)
「奈智(なち)瀧(たき)祈誓(ちかいの)文覚(もんがく)」は九代目(きゅうだいめ)市川(いちかわ)団十郎(だんじゅうろう)によって明治(めいじ)22年(ねん)(1889)6月(がつ)に中村座(なかむらざ)で上演(じょうえん)されました。誤(あやま)って同僚(どうりょう)の妻(つま)を殺(ころ)してしまった遠藤(えんどう)盛遠(もりとお)が出家(しゅっけ)し文覚(もんがく)となり、厳寒(げんかん)の那智(なち)の滝(たき)で荒行(あらぎょう)を行(おこな)っていると、矜羯羅(こんがら)童子(どうじ)と制(せい)多伽(たか)童子(どうじ)を従(したが)えた不動明王(ふどうみょうおう)が現(あらわ)れます。演目(えんもく)では、団十郎(だんじゅうろう)演(えん)じる文覚(もんがく)が那智(なち)の滝壺(たきつぼ)に飛(と)び込(こ)み、早替(はやがわ)りで不動明王(ふどうみょうおう)になるという演出(えんしゅつ)を行(おこな)いました。九代目(きゅうだいめ)団十郎(だんじゅうろう)も成田山(なりたさん)信仰(しんこう)を受(う)け継(つ)ぎ、不動明王(ふどうみょうおう)を演(えん)じる際(さい)は成田山(なりたさん)新勝寺(しんしょうじ)へ参詣(さんけい)し自筆(じひつ)の不動明王(ふどうみょうおう)像(ぞう)を寄進(きしん)(お寺(てら)や神社(じんじゃ)に物(もの)や金銭(きんせん)を寄付(きふ)すること)していました。
奈智(なち)瀧(のたき)祈誓(ちかいの)文覚(もんがく)
粉河寺(こかわでら)縁起(えんぎ)絵巻(えまき)の写本(しゃほん)です。粉河寺(こかわでら)とは現在(げんざい)の和歌山県(わかやまけん)紀(き)の川市(かわし)粉河(こかわ)にあり、日本(にほん)最古(さいこ)の観音(かんのん)巡礼(じゅんれい)とされる西国(さいこく)三十三所(さんじゅうさんしょ)巡礼(じゅんれい)の第(だい)3番(ばん)霊場(れいじょう)です。粉河寺(こかわでら)の本尊(ほんぞん)にまつわる縁起(えんぎ)で、観音堂(かんのんどう)が設立(せつりつ)された由来(ゆらい)と河内(かわち)の長者(ちょうじゃ)の娘(むすめ)の病(やまい)を観音(かんのん)菩薩(ぼさつ)の化身(けしん)が癒(いや)し、深(ふか)く感謝(かんしゃ)した一族(いちぞく)が粉河寺(こかわでら)の別当(べっとう)(寺社(じしゃ)を管理(かんり)する役職(やくしょく))になったという霊験(れいげん)物語(ものがたり)が描(えが)かれています。 展示(てんじ)されているのは、京都(きょうと)生(う)まれの日本(にほん)画家(がか)、猪飼(いがい)嘯(しょう)谷(こく)(1881-1939)によって写(うつ)されました。人々(ひとびと)の信仰(しんこう)を描(えが)いたものとして貴重(きちょう)な資料(しりょう)のひとつです。
粉河寺(こかわでら)絵巻(えまき)(写本(しゃほん))