Fujisawa Net Museum

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鶴屋(つるや)金助(きんすけ) 板行(はんこう) 文化(ぶんか)9年(ねん)(1812) 書名(しょめい):団(だん)七黒(しちくろ)茶碗(ぢゃわん) 釣船(つりふね)之(の)花入(はないれ) 朝(あさ)茶湯(ちゃのゆ)一寸(ちょっと)口切(くちきり) 浄瑠璃(じょうるり)「夏祭(なつまつり)浪花(なみわ)鑑(かがみ)」(並木(なみき)千柳(せんりゅう)・三好(みよし)松(しょう)洛(らく)・竹田(たけだ)小出雲(いずも)合作(がっさく)。延享(えんてい)二年(ねん))を元(もと)ネタとした物語(ものがたり)の読(よ)み物(もの)。遊女(あそびめ)と馴(な)れ初(そ)め、家(いえ)を勘当(かんどう)された武家(ぶけ)の跡取(あとと)りが、もとは父(ちち)の家臣(かしん)であった魚屋(さかなや)を商(あきな)う団七(だんしち)のもとに身(み)を寄(よ)せながら功(こう)をたて帰参(きさん)する機会(きかい)をうかがうストーリーです。「夏祭(なつまつり)浪花(なにわ)鑑(かがみ)」の登場(とうじょう)人物(じんぶつ)の一寸(ちょっと)徳兵衛(とくべえ)を大阪(おおさか)の人形(にんぎょう)師(し)として登場(とうじょう)させることで、そのつながりから本作(ほんさく)の挿(さし)絵(え)を描(か)いている歌川豊国(うたがわとよくに)の亡父(ぼうふ)の倉橋(くらはし)五郎兵衛(ごろべえ)が役者(やくしゃ)似顔(にがお)の人形(にんぎょう)師(し)として名人(めいじん)であったことを紹介(しょうかい)し、今(いま)の豊国(とよくに)が役者(やくしゃ)似顔(にがお)の浮世絵(うきよえ)の名人(めいじん)であることは親子(おやこ)である必定(ひつじょう)として巻頭(かんとう)で説(と)いています。豊国(とよくに)の生涯(しょうがい)を知(し)る上(うえ)で貴重(きちょう)な記録(きろく)としても知(し)られる作品(さくひん)です。

朝(あさ)茶湯(ちゃのゆ)一寸(ちょっと)口切(くちきり)

蔦屋重三郎(つたやじゅうざぶろう)は、吉原(よしわら)に創業(そうぎょう)した版本(はんぽん)の小売店(こうりてん)から身(み)を起(お)こしました。固定客(こていきゃく)が見込(みこ)める吉原(よしわら)細見(さいけん)や富本節(とみもとぶし)などの版本(はんぽん)の販売(はんばい)する権利(けんり)を得(え)ながら店舗(てんぽ)を拡大(かくだい)していきました。 吉原(よしわら)細見(さいけん) 吉原(よしわら)細見(さいけん)は、吉原(よしわら)のガイド本(ぼん)として販売(はんばい)されていました。展示(てんじ)の吉原(よしわら)細見(さいけん)は天保(てんぽう)期(き)の発刊(はっかん)です。 富本節(とみもとぶし)正本(せいほん)「道行(みちゆき)野辺(のべ)之(の)書置(かきおき)」 富本節(とみもとぶし)は、三味線(しゃみせん)を演奏(えんそう)しながら物語(ものがたり)に節(ふし)をつけて唄(うた)う浄瑠璃(じょうるり)から派生(はせい)した謡曲(ようきょく)の一種(いっしゅ)です。義太夫(ぎだゆう)とも呼(よ)ばれます。正本(せいほん)は歌詞(かし)や節(ふし)の上(あ)げ下(さ)げなどを記述(きじゅつ)した譜面(ふめん)の役割(やくわり)であり、富本節(とみもとぶし)正本(せいほん)は義太夫(ぎだゆう)ブームを背景(はいけい)にかなりの販売(はんばい)数(すう)を誇(ほこ)り、蔦屋(つたや)の運営(うんえい)上(じょう)の基盤(きばん)となる主力(しゅりょく)商品(しょうひん)でした。「道行(みちゆき)野辺(のべ)之(の)書置(かきおき)」は、鶴屋(つるや)南北(なんぼく)の「心(しん)中天(じゅうてん)之(の)網島(あみしま)」から派生(はせい)した通称(つうしょう)「紙治(かみじ)物(もの)」と呼(よ)ばれる、紙屋(かみや)治兵衛(じへえ)とこはるの心中(しんじゅう)話(はなし)の富本節(とみもとぶし)での別称(べっしょう)のひとつです。展示(てんじ)中(ちゅう)の版本(はんぽん)は、三代目(だいめ)富本(とみもと)豊前太夫(ぶぜんだゆう)による正本(せいほん)で、文化(ぶんか)年間(ねんかん)頃(ごろ)の版行(はんこう)です。蔦屋(つたや)の在所(ざいしょ)も通(とおり)油町(あぶらちょう)から移転(いてん)し浅草寺(せんそうじ)雷(らい)門前(もんまえ)並木町(なみきちょう)東側(ひがしがわ)になっています。

蔦屋重三郎(つたやじゅうざぶろう)の発展(はってん)の足掛(あしが)かりとなった版本(はんぽん)



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