Fujisawa Net Museum

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制作(せいさく)時期(じき):享和(きょうわ)年間(ねんかん)(1801~04)頃(ころ)。
板元(はんもと):鶴(つる)新(しん)

この作品(さくひん)は1月(がつ)から12月(がつ)までの12枚(まい)揃(そろい)で制作(せいさく)されたもののうちの1枚(まい)で、表題(ひょうだい)はすべて同(おな)じです。12枚(まい)全部(ぜんぶ)は確認(かくにん)されず、現在(げんざい)わかっているものは、「陬月(すうげつ)〔正月(しょうがつ)〕)の大神楽(おおかぐら)」「睦月(むつき)(むつき〔正月(しょうがつ)〕)の女郎買(じょろかい)」「皐月(さつき)(〔5月(がつ)〕)の肴(さかな)売(うり)」「水無月(みなづき)(〔6月(がつ)〕)の水(みず)売(うり)」「初秋(しょしゅう)の多満(たま)祭(さい)」「名月(めいげつ)の遊興(ゆうきょう)」「霜月(しもつき)(〔11月(がつ)〕)の神詣(かみもうで)」「玄英(げんえい) (冬(ふゆ)の別名(べつめい))の雑司(ぞうし)谷(がや)」の9点(てん)です。
この作品(さくひん)は商家(しょうか)の女房(にょうぼう)が伴(とも)の若者(わかもの)を連(つ)れて江(え)の島(しま)詣(もうで)に出(で)かける姿(すがた)を描(えが)いたもので、菅笠(すげがさ)をかぶり黒(くろ)襟(えり)のコートを着(き)て手甲(てっこう)をした女房(にょうぼう)と天秤(てんびん)で荷物(にもつ)を振(ふ)り分(わ)けて肩(かた)にかけた従者(じゅうしゃ)の姿(すがた)は、当時(とうじ)の近場(ちかば)の旅(たび)の典型(てんけい)的(てき)なスタイルです。この作品(さくひん)は他(た)に所有(しょゆう)されているところは少(すく)なく、多少(たしょう)補色(ほしょく)した部分(ぶぶん)が見(み)うけられますが、貴重(きちょう)な資料(しりょう)であるといえます。

喜多川歌麿 風流四季の遊 弥生の江之島詣

風流(ふりゅう)四季(しき)の遊(あそび) 弥生(やよい)の江之島(えのしま)詣(もうで)

「奈智(なち)瀧(たき)祈誓(ちかいの)文覚(もんがく)」は九代目(きゅうだいめ)市川(いちかわ)団十郎(だんじゅうろう)によって明治(めいじ)22年(ねん)(1889)6月(がつ)に中村座(なかむらざ)で上演(じょうえん)されました。誤(あやま)って同僚(どうりょう)の妻(つま)を殺(ころ)してしまった遠藤(えんどう)盛遠(もりとお)が出家(しゅっけ)し文覚(もんがく)となり、厳寒(げんかん)の那智(なち)の滝(たき)で荒行(あらぎょう)を行(おこな)っていると、矜羯羅(こんがら)童子(どうじ)と制(せい)多伽(たか)童子(どうじ)を従(したが)えた不動明王(ふどうみょうおう)が現(あらわ)れます。演目(えんもく)では、団十郎(だんじゅうろう)演(えん)じる文覚(もんがく)が那智(なち)の滝壺(たきつぼ)に飛(と)び込(こ)み、早替(はやがわ)りで不動明王(ふどうみょうおう)になるという演出(えんしゅつ)を行(おこな)いました。九代目(きゅうだいめ)団十郎(だんじゅうろう)も成田山(なりたさん)信仰(しんこう)を受(う)け継(つ)ぎ、不動明王(ふどうみょうおう)を演(えん)じる際(さい)は成田山(なりたさん)新勝寺(しんしょうじ)へ参詣(さんけい)し自筆(じひつ)の不動明王(ふどうみょうおう)像(ぞう)を寄進(きしん)(お寺(てら)や神社(じんじゃ)に物(もの)や金銭(きんせん)を寄付(きふ)すること)していました。

奈智(なち)瀧(のたき)祈誓(ちかいの)文覚(もんがく)

粉河寺(こかわでら)縁起(えんぎ)絵巻(えまき)の写本(しゃほん)です。粉河寺(こかわでら)とは現在(げんざい)の和歌山県(わかやまけん)紀(き)の川市(かわし)粉河(こかわ)にあり、日本(にほん)最古(さいこ)の観音(かんのん)巡礼(じゅんれい)とされる西国(さいこく)三十三所(さんじゅうさんしょ)巡礼(じゅんれい)の第(だい)3番(ばん)霊場(れいじょう)です。粉河寺(こかわでら)の本尊(ほんぞん)にまつわる縁起(えんぎ)で、観音堂(かんのんどう)が設立(せつりつ)された由来(ゆらい)と河内(かわち)の長者(ちょうじゃ)の娘(むすめ)の病(やまい)を観音(かんのん)菩薩(ぼさつ)の化身(けしん)が癒(いや)し、深(ふか)く感謝(かんしゃ)した一族(いちぞく)が粉河寺(こかわでら)の別当(べっとう)(寺社(じしゃ)を管理(かんり)する役職(やくしょく))になったという霊験(れいげん)物語(ものがたり)が描(えが)かれています。 展示(てんじ)されているのは、京都(きょうと)生(う)まれの日本(にほん)画家(がか)、猪飼(いがい)嘯(しょう)谷(こく)(1881-1939)によって写(うつ)されました。人々(ひとびと)の信仰(しんこう)を描(えが)いたものとして貴重(きちょう)な資料(しりょう)のひとつです。

粉河寺(こかわでら)絵巻(えまき)(写本(しゃほん))



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