Fujisawa Net Museum

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製作(せいさく)時期(じき):天保(てんぽう)14(ねん)(1843)~弘化(こうか)4(ねん)(1847)。
板元(はんもと):伊勢屋市兵衛(いせやいちべえ)

このシリーズは、初代(しょだい)広重(ひろしげ)三代(さんだい)豊国(とよくに)国芳(くによし)3人(さんにん)当時(とうじ)代表的(だいひょうてき)人気(にんき)浮世絵師(うきよえし)分担(ぶんたん)して(えが)いたものです。

風景(ふうけい)(すく)なく人物(じんぶつ)(おも)とし、(した)3(ぶん)の2が画面(がめん)で、それぞれの宿(やど)にちなんだ伝説(でんせつ)史跡(しせき)著名(ちょめい)出来事(できごと)(など)(えが)き、(うえ)3(ぶん)の1に(した)()説明(せつめい)がなされています。
藤沢(ふじさわ)国芳(くによし)()による小栗判官(おぐりはんがん)照手(てるて)(ひめ)で、いったん地獄(じごく)()ちた小栗(おぐり)熊野(くまの)本復(ほんぷく)した様子(ようす)(えが)いています。

(いわ)()()げているのが小栗(おぐり)で、しゃがんで(おどろ)いた様子(ようす)をしている女性(じょせい)照手(てるて)(ひめ)小栗(おぐり)後方(こうほう)(たき)那智(なち)(たき)で、()かって(ひだり)()える(くるま)(つな)土車(つちぐるま)()せられて東海道(とうかいどう)(のぼ)ったという物語(ものがたり)暗示(あんじ)しています。

東海道五十三対 藤沢

東海道(とうかいどう)()(じゅう)(さん)(つい) 藤沢(ふじさわ)

制作(せいさく)時期(じき):明治(めいじ)25(ねん)(1892)7(がつ)1(にち)出版(しゅっぱん)
()(さく)(けん)発行人(はっこうにん):矢島(やじま)知三郎(ともさぶろう)

画題(がだい)弁天娘(べんてんむすめ)」とあるとおり、遠景(えんけい)富士(ふじ)()(しま)(ひだり)肩越(かたごし)()せて窓辺(まどべ)(すわ)(げい)伎を弁財天(べざいてん)見立(みた)てた作品(さくひん)です。
(かみ)島田(しまだ)()扇子(せんす)(ひろ)げて()見返(みかえ)年若(としわか)(むすめ)(かた)には(かた)あげがあります。場所(ばしょ)片瀬(かたせ)東浜(ひがしはま)あたりの茶屋(ちゃや)二階(にかい)から()風景(ふうけい)(おも)われます。

この石版(せきはん)()(すみ)一色(いっしょく)()り、()から()彩色(さいしき)した作品(さくひん)で、明治(めいじ)15(ねん)から25(ねん)(1882-1892(ねん))(ころ)にかけて流行(りゅうこう)した額絵(がくえ)一種(いっしゅ)(おも)われます。額絵(がくえ)平均(へいきん)(てき)に44.7×37.0cmの西洋(せいよう)()使(つか)い、35.0×27.0cm程度(ていど)画面(がめん)貴顕(きけん)美人(びじん)風景(ふうけい)風俗(ふうぞく)歴史(れきし)小児(しょうに)(など)画題(がだい)として(すみ)一色(いっしょく)印刷(いんさつ)し、(あと)()彩色(さいしき)したもので、一部(いちぶ)色刷(いろず)りするものもあったと()われます。

作者不詳 弁天娘

弁天娘(べんてんむすめ)



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