Fujisawa Net Museum

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制作(せいさく)時期(じき):天保(てんぽう)2(ねん)(1831)(ころ)
板元(はんもと):永寿(えいじゅ)(どう)

北斎(ほくさい)代表(だいひょう)する揃物(そろいもの)作品(さくひん)冨嶽三十六景(ふがくさんじゅうろっけい)」のうちの(いち)()です。
七里ヶ浜(しちりがはま)景色(けしき)でありながら、浜辺(はまべ)省略(しょうりゃく)され、画面(がめん)中央(ちゅうおう)()(たか)(そび)える(しま)富士(ふじ)(おお)きく(えが)かれるという(めずら)しい構図(こうず)になっています。中央(ちゅうおう)()()えた(しま)()(しま)として(えが)かれたものか、小動岬(こゆるぎみさき)として(えが)かれたものは判然(はんぜん)としません。おそらく北斎(ほくさい)は、このシリーズにおいては実景(じっけい)(えが)くことよりも、富士(ふじ)印象的(いんしょうてき)()せる構図(こうず)(つく)()すことに意識(いしき)()いていたのでしょう。
また作品(さくひん)全体(ぜんたい)(あお)色調(しきちょう)()られた「(あい)()り」となっています。この青色(あおいろ)には舶来(はくらい)染料(せんりょう)、ベルリンブルー(通称(つうしょう)「ベロ(あい)」)が多用(たよう)されており、(あたら)しい時代(じだい)色彩(しきさい)(つく)()すという(こころ)みの作品(さくひん)でもあったと(かんが)えられます。

冨嶽三十六景(ふがくさんじゅうろっけい)シリーズのうちの1(まい)。いわゆる(あい)()りといわれるもので、しかも(かん)()(てき)要素(ようそ)(つよ)く、一般(いっぱん)(てき)浮世絵(うきよえ)とは感覚(かんかく)(こと)にしています。また制作(せいさく)年代(ねんだい)近頃(ちかごろ)研究(けんきゅう)で、従来(じゅうらい)文政(ぶんせい)年間(ねんかん)より(すこ)時代(じだい)()がる天保(てんぽう)2(ねん)定説(ていせつ)となりつつあります。

葛飾北斎 冨嶽三十六景 相州七里浜

()(がく)(さん)(じゅう)(ろっ)(けい) 相州(そうしゅう)七里(しちりが)(はま)

江戸(えど)辻岡屋(つじおかや)文助(ぶんすけ)(ばん) 慶応(けいおう)元年(がんねん)(1865(ねん)
たて72.0 よこ61.0
徳川将軍(とくがわしょうぐん)家茂(いえもち)上洛(じょうらく)(京都(きょうと)()くこと)を()に、これを題材(だいざい)としたいくつもの五十三次(ごじゅうさんつぎ)浮世絵(うきよえ)シリーズが発行(はっこう)されました。これらは「()上洛(じょうらく)東海道(とうかいどう)」「行列(ぎょうれつ)東海道(とうかいどう)」などと()ばれ、爆発(ばくはつ)(てき)()()きで(おお)くの(はん)(かさ)ね、当時(とうじ)庶民(しょみん)幕末(ばくまつ)状況(じょうきょう)(たい)する関心(かんしん)(たか)さを物語(ものがた)っています。
絵師(えし)歌川(うたがわ)(橋本(はしもと))貞秀(さだひで)は、鳥瞰(ちょうかん)(てき)視点(してん)から(えが)いた浮世絵(うきよえ)有名(ゆうめい)画家(がか)で、この「行列(ぎょうれつ)双六(すごろく)」もその本領(ほんりょう)発揮(はっき)したものと()えましょう。()()しの「第一(だいいち) 江戸(えど)」を出発(しゅっぱつ)した行列(ぎょうれつ)は、さまざまな(のぼり)(はた)()(なが)しなどを()てて「()がり」の(きょう)()かっていますが、この()では、さらに伏見(ふしみ)(よど)八幡(やはた)といった大坂(おおさか)までの大坂街道(おおさかかいどう)(京街道(きょうかいどう))の宿(やど)()(えが)()まれていて、「(ひと)(あま)れば 伏見(ふしみ)(ふた)ツ 〃 よど、(みっ)ツ 〃 ()はた、(よっ)ツ 〃 大坂(おおさか)」と(しる)されています。

新版(しんばん)東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)行列(ぎょうれつ)双六(すごろく)

蔦屋吉蔵(つたやきちぞう)(ばん)
安政(あんせい)4(ねん)(1857(ねん)

江戸時代(えどじだい)道中双六(どうちゅうすごろく)数多(かずおお)(つく)られましたが、その(なか)でも(とく)(おお)かったのが東海道(とうかいどう)道中双六(どうちゅうすごろく)でした。この「参宮(さんぐう)上京(じょうきょう)道中(どうちゅう)一覧(いちらん)双六(すごろく)」は、京都(きょうと)()かう途中(とちゅう)伊勢神宮(いせじんぐう)()()形式(けいしき)になっています。右下(みぎした)()()しの日本橋(にほんばし)(みぎ)(うえ)()がりの京都(きょうと)で、真中(まんなか)には富士山(ふじさん)実際(じっさい)地理(ちり)とは(こと)なりますが、ダイナミックな構図(こうず)です。当時(とうじ)一般(いっぱん)(てき)双六(すごろく)(こと)なり、マスを(なら)べたつくりになっておらず、また全体(ぜんたい)鳥瞰図(ちょうかんず)(かたち)(えが)かれていることも特徴(とくちょう)(てき)で、美術(びじゅつ)(てき)にも価値(かち)(たか)作品(さくひん)()われています。藤沢(ふじさわ)近辺(きんぺん)では、参詣(さんけい)()(観光(かんこう)スポット)として、遊行寺(ゆぎょうじ)七面山(しちめんやま)(片瀬(かたせ)現在(げんざい)龍口寺(りゅうこうじ)(ない))、さらには平塚(ひらつか)(さき)(こう)らい()(高麗寺(こうらいじ))も(しる)されています。

参宮(さんぐう)上京(じょうきょう)道中(どうちゅう)一覧(いちらん)双六(すごろく)

製作時期(せいさくじき):天保(てんぽう)10年頃(ねんごろ)(1839)。
板元(はんもと):佐野喜(さのきち)(佐野屋喜兵衛(さのやきへえ))

背景(はいけい)広重(ひろしげ)保永堂版東海道(ほえいどうばんとうかいどう)藤沢(ふじさわ) 遊行寺(ゆぎょうじ)」を下敷(したじ)きにしています 。
女性(じょせい)(うし)ろにあるのは、大鋸橋(だいぎりばし)現在(げんざい)遊行寺橋(ゆぎょうじばし))と、かつてその(きわ)にあった江の島(えのしま)一ノ鳥居(いちのとりい)で、女性(じょせい)頭上(ずじょう)(やま)のように(えが)かれているのが遊行寺(ゆぎょうじ)です。

(おお)きな木太刀(きだち)御神酒枠(おみきわく)(かつ)いだ大山詣(おおやままい)りの一行(いっこう)は、広重(ひろしげ)作品(さくひん)では(はし)(うえ)にいますが、国貞(くにさだ)()では鳥居(とりい)(まえ)まで()ています。 手前(てまえ)女性(じょせい)旅立(たびだ)ちのため(おび)()めているところでしょうか。足元(あしもと)には煙草(たばこ)()れ、風呂敷(ふろしき)(つつ)み、菅笠(すげがさ)といった(たび)道具(どうぐ)()かれています。
板元(はんもと)佐野屋喜兵衛(さのやきへえ)

国貞(くにさだ)の「美人(びじん)東海道(とうかいどう)」の()(した)しまれている本作(ほんさく)は、背景(はいけい)東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)宿場(しゅくば)風景(ふうけい)が、手前(てまえ)には美人(びじん)各地(かくち)関連(かんれん)した風俗(ふうぞく)(えが)かれます。東海道(とうかいどう)景色(けしき)歌川広重(うたがわひろしげ)代表作(だいひょうさく)保永堂版東海道(ほえいどうばんとうかいどう)」を下敷(したじ)きにして(えが)いている(てん)特徴(とくちょう)ですが、宮宿(みやしゅく)から京都(きょうと)まで(四日市(よっかいち)(のぞ)く)は国貞(くにさだ)のオリジナルの絵柄(えがら)となっています。

東海道五拾三次之内 藤沢図

東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)()(うち) 藤沢(ふじさわ)()



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