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江の島の歴史
江の島歴史年表
江の島散策マップ
江の島の文化財
江の島を訪れた人々
資料種類しりょうしゅるい(大分類だいぶんるい):
資料種類しりょうしゅるい(中分類ちゅうぶんるい):
資料種類しりょうしゅるい(小分類しょうぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(大分類だいぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(中分類ちゅうぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(小分類しょうぶんるい):
作者さくしゃ(50音分類おんぶんるい):
作者さくしゃ:
フリーワード:
「北斎漫画(ほくさいまんが)8編(へん)」から抜粋(ばっすい)
発行(はっこう):神奈川県(かながわけん)観光(かんこう)聯合(れんごう)会(かい) 右手(みぎて)に横浜港(よこはまこう)の賑(にぎ)わいを、左手(ひだりて)に箱根山(はこねやま)を配(はい)して、三浦半島(みうらはんとう)を斜(なな)めに畳(たた)み込(こ)むことで神奈川県(かながわけん)を横長(よこなが)の一(いち)枚(まい)の絵図(えず)に収(おさ)めています。主(おも)だった観光名所(かんこうめいしょ)には英文(えいぶん)の表記(ひょうき)が添(そ)えられています。 江(え)の島(しま)はことさらに大(おお)きく描(えが)かれていて、対岸(たいがん)の片瀬(かたせ)には「龍口寺(りゅうこうじ)」とならんで、遊園地(ゆうえんち)の「龍口(りゅうこう)園(えん)」(1928~34年(ねん)も記(しる)されています。
神奈川県(かながわけん)観光(かんこう)図絵(ずえ)
江戸(えど)・辻岡屋(つじおかや)文助(ぶんすけ)版(ばん) 慶応(けいおう)元年(がんねん)(1865年(ねん)) たて72.0 よこ61.0 徳川将軍(とくがわしょうぐん)家茂(いえもち)の上洛(じょうらく)(京都(きょうと)へ行(い)くこと)を機(き)に、これを題材(だいざい)としたいくつもの五十三次(ごじゅうさんつぎ)浮世絵(うきよえ)シリーズが発行(はっこう)されました。これらは「御(ご)上洛(じょうらく)東海道(とうかいどう)」「行列(ぎょうれつ)東海道(とうかいどう)」などと呼(よ)ばれ、爆発(ばくはつ)的(てき)な売(う)れ行(ゆ)きで多(おお)くの版(はん)を重(かさ)ね、当時(とうじ)の庶民(しょみん)の幕末(ばくまつ)の状況(じょうきょう)に対(たい)する関心(かんしん)の高(たか)さを物語(ものがた)っています。 絵師(えし)の歌川(うたがわ)(橋本(はしもと))貞秀(さだひで)は、鳥瞰(ちょうかん)的(てき)な視点(してん)から描(えが)いた浮世絵(うきよえ)で有名(ゆうめい)な画家(がか)で、この「行列(ぎょうれつ)双六(すごろく)」もその本領(ほんりょう)を発揮(はっき)したものと言(い)えましょう。振(ふ)り出(だ)しの「第一(だいいち) 江戸(えど)」を出発(しゅっぱつ)した行列(ぎょうれつ)は、さまざまな幟(のぼり)や旗(はた)、吹(ふ)き流(なが)しなどを立(た)てて「上(あ)がり」の京(きょう)へ向(む)かっていますが、この図(ず)では、さらに伏見(ふしみ)・淀(よど)・八幡(やはた)といった大坂(おおさか)までの大坂街道(おおさかかいどう)(京街道(きょうかいどう))の宿(やど)次(じ)も描(えが)き込(こ)まれていて、「一(ひと)ツ余(あま)れば 伏見(ふしみ)、二(ふた)ツ 〃 よど、三(みっ)ツ 〃 八(や)はた、四(よっ)ツ 〃 大坂(おおさか)」と記(しる)されています。
新版(しんばん)東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)行列(ぎょうれつ)双六(すごろく)
標題(ひょうだい)(和文(わぶん)) (藤澤(ふじさわ)町(まち))市街(しがい)ノ一部(いちぶ) 商標(しょうひょう) 小槌(こづち) 発行(はっこう)元(もと)・製造元(せいぞうもと) 藤沢町(ふじさわちょう) 年代(ねんだい) 昭和初期(しょうわしょき) 解説(かいせつ) 現(げん)、バス停(てい)遊行寺(ゆぎょうじ)前(まえ)あたりの旧東海道(きゅうとうかいどう)(国道(こくどう)467号線(ごうせん))。右手(みぎて)奥(おく)に橋(はし)(御殿(ごてん)橋(きょう))が見(み)られる。自動車(じどうしゃ)が走(はし)っているが、まだ歩行者(ほこうしゃ)との区別(くべつ)はない。
(藤澤(ふじさわ)町(ちょう))市街(しがい)ノ一部(いちぶ)
製作時期(せいさくじき):天保(てんぽう)10年頃(ねんごろ)(1839)。 板元(はんもと):佐野喜(さのきち)(佐野屋喜兵衛(さのやきへえ)) 背景(はいけい)は広重(ひろしげ)の保永堂版東海道(ほえいどうばんとうかいどう)「藤沢(ふじさわ) 遊行寺(ゆぎょうじ)」を下敷(したじ)きにしています 。 女性(じょせい)の後(うし)ろにあるのは、大鋸橋(だいぎりばし)(現在(げんざい)の遊行寺橋(ゆぎょうじばし))と、かつてその際(きわ)にあった江の島(えのしま)一ノ鳥居(いちのとりい)で、女性(じょせい)の頭上(ずじょう)に山(やま)のように描(えが)かれているのが遊行寺(ゆぎょうじ)です。 大(おお)きな木太刀(きだち)と御神酒枠(おみきわく)を担(かつ)いだ大山詣(おおやままい)りの一行(いっこう)は、広重(ひろしげ)の作品(さくひん)では橋(はし)の上(うえ)にいますが、国貞(くにさだ)の図(ず)では鳥居(とりい)の前(まえ)まで来(き)ています。 手前(てまえ)の女性(じょせい)は旅立(たびだ)ちのため帯(おび)を締(し)めているところでしょうか。足元(あしもと)には煙草(たばこ)入(い)れ、風呂敷(ふろしき)包(つつ)み、菅笠(すげがさ)といった旅(たび)の道具(どうぐ)が置(お)かれています。 板元(はんもと)は佐野屋喜兵衛(さのやきへえ)。 国貞(くにさだ)の「美人(びじん)東海道(とうかいどう)」の名(な)で親(した)しまれている本作(ほんさく)は、背景(はいけい)に東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)の宿場(しゅくば)の風景(ふうけい)が、手前(てまえ)には美人(びじん)が各地(かくち)に関連(かんれん)した風俗(ふうぞく)で描(えが)かれます。東海道(とうかいどう)の景色(けしき)が歌川広重(うたがわひろしげ)の代表作(だいひょうさく)「保永堂版東海道(ほえいどうばんとうかいどう)」を下敷(したじ)きにして描(えが)いている点(てん)が特徴(とくちょう)ですが、宮宿(みやしゅく)から京都(きょうと)まで(四日市(よっかいち)除(のぞ)く)は国貞(くにさだ)のオリジナルの絵柄(えがら)となっています。
東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)之(の)内(うち) 藤沢(ふじさわ)図(ず)
製作時期(せいさくじき):嘉永(かえい)5年(ねん)(1852)。 板元(はんもと):伊勢兼(いせかね)(伊勢屋兼吉(いせやかねきち)) このシリーズは各宿(かくしゅく)にゆかりのある歌舞伎(かぶき)の主人公(しゅじんこう)を演(えん)ずる人気役者(にんきやくしゃ)の姿(すがた)を大(おお)きく描(えが)き、上部(じょうぶ)の背景(はいけい)にその地方(ちほう)の風景(ふうけい)が添(そ)えられているものです。こうした趣向(しゅこう)を「見立(みたて)」といい、この一連(いちれん)の作品(さくひん)は「役者見立東海道(やくしゃみたてとうかいどう)」と呼(よ)ばれています。 発売(はつばい)と共(とも)に非常(ひじょう)な人気(にんき)を呼(よ)び、図柄(ずがら)も追加(ついか)され、また新(あら)たに宿間(しゅくかん)の図(ず)も出版(しゅっぱん)されました。この画(え)は藤沢宿(ふじさわしゅく)で、ゆかりの物語(ものがたり)「小栗判官(おぐりはんがん)照天姫伝説(あまのてるひめでんせつ)」の主人公(しゅじんこう)、小栗判官(おぐりはんがん)を描(えが)いています。 扮(ふん)する役者(やくしゃ)は坂東竹三郎(ばんどうたけさぶろう)(のち、五代(ごだい)坂東彦三郎(ばんどうひこさぶろう))です。背景(はいけい)の藤沢宿(ふじさわしゅく)の風景(ふうけい)は初代(しょだい)広重(ひろしげ)の保永堂版東海道(ほえいどうばんとうかいどう)の構図(こうず)を使用(しよう)しています。
東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)之(の)内(うち) 藤沢(ふじさわ) 小栗判官(おぐりはんがん)(役者(やくしゃ)見立(みたて)東海道(とうかいどう))
製作時期(せいさくじき):文久(ぶんきゅう)3年(ねん)(1863)。 板元(はんもと)印(しるし)なし 遊行寺(ゆぎょうじ)の前(まえ)を通(とお)る一行(いっこう)が描(えが)かれています。題字(だいじ)の横(よこ)には左右(さゆう)に「江戸(えど)の方(かた)(江戸(えど)の方向(ほうこう))」「鎌倉道(かまくらみち)」、遊行寺横(ゆぎょうじよこ)の林(はやし)には説教節(せっきょうぶし)(人々(ひとびと)に語(かた)り継(つ)がれてきた物語(ものがたり))『小栗判官(おぐりはんがん)』に関連(かんれん)する「小栗堂(おぐりどう)」「小栗十騎(おぐりじゅっき)の墓(はか)(小栗判官(おぐりはんがん)の部下(ぶか)の墓(はか))」、右下(みぎした)の江の島(えのしま)一(いち)の鳥居(とりい)付近(ふきん)には「江(え)の嶋(しま)みち」といった表記(ひょうき)が見(み)られます。 鳥瞰図(ちょうかんず)を得意(とくい)とした貞秀(さだひで)らしく地誌的(ちしてき)な内容(ないよう)に意識(いしき)が向(む)いている様子(ようす)がうかがえます。 文久(ぶんきゅう)3年(ねん)(1863)の十四代(じゅうよんだい)将軍家茂(しょうぐんいえもち)の上洛(じょうらく)を意識(いしき)して出版(しゅっぱん)された東海道(とうかいどう)シリーズで「上洛東海道(じょうらくとうかいどう)」と言(い)われているものの一枚(いちまい)です。 作者(さくしゃ)の橋本貞秀(はしもとさだひで)は、鳥瞰図的(ちょうかんずてき)な構図(こうず)の浮世絵(うきよえ)(名所図(めいしょず)など)に優(すぐ)れ、「空飛(そらと)ぶ絵師(えし)」などとも呼(よ)ばれますが、この「藤沢遊行寺(ふじさわゆぎょうじ)」も同様(どうよう)の構図(こうず)が見(み)られます。行列(ぎょうれつ)は遊行寺坂(ゆぎょうじざか)上(うえ)(画面(がめん)右上(みぎうえ))から藤沢宿(ふじさわしゅく)の大鋸橋(だいぎりばし)にまで陸続(りくぞく)と続(つづ)き、その長(なが)さを強調(きょうちょう)するかのようです。 遊行寺(ゆぎょうじ)は当時(とうじ)歌舞伎(かぶき)などにも取(と)り上(あ)げられていた「小栗判官(おぐりはんがん)照手姫(てるてひめ)」物語(ものがたり)で街道(かいどう)の名所(めいしょ)の一(ひと)つとなっており、図中(ずちゅう)にも「小栗堂(おぐりどう)」「小栗十勇士之墓(おぐりじゅうゆうしのはか)」が示(しめ)されています。手前(てまえ)に見(み)える鳥居(とりい)は江(え)の島(しま)一ノ鳥居(いちのとりい)。遊行寺(ゆぎょうじ)の山門(さんもん)は現在(げんざい)と異(こと)なり仁王門(におうもん)となっています。
東海道(とうかいどう)名所(めいしょ)之(の)内(うち) ふちさハ 遊行寺(ゆぎょうじ)
制作(せいさく)時期(じき):嘉永(かえい)年間(ねんかん)(1848~1854) 美人(びじん)見立(みたて)で画題(がだい)の中心(ちゅうしん)は3人(にん)の美人(びじん)にあり、江(え)の島(しま)は遠景(えんけい)に小(ちい)さく描(えが)かれています。画面(がめん)右側(みぎがわ)の女性(じょせい)の、大(おお)きな海老(えび)を肩(かた)・裾(すそ)に藍染(あいぞめ)した浴衣(ゆかた)に興味(きょうみ)が引(ひ)かれます。
七里ヶ浜(しちりがはま)より江(え)のしまの遠景(えんけい)