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江の島の歴史
江の島歴史年表
江の島散策マップ
江の島の文化財
江の島を訪れた人々
資料種類しりょうしゅるい(大分類だいぶんるい):
資料種類しりょうしゅるい(中分類ちゅうぶんるい):
資料種類しりょうしゅるい(小分類しょうぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(大分類だいぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(中分類ちゅうぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(小分類しょうぶんるい):
作者さくしゃ(50音分類おんぶんるい):
作者さくしゃ:
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大庭城(おおばじょう)遺跡(いせき)は引地川(ひきちがわ)の左岸(さがん)、JR東海道線(とうかいどうせん)の辻堂駅(つじどうえき)から北北東(ほくほくとう)約(やく)2.7kmに所在(しょざい)します。昭和(しょうわ)40年代(ねんだい)に区画整理(くかくせいり)に伴(ともな)い城郭(じょうかく)の調査(ちょうさ)がおこなわれ、掘立柱建物(ほったてばしらたてもの)や堀(ほり)などの城郭(じょうかく)に関連(かんれん)する遺構(いこう)が確認(かくにん)されました。ちなみに城郭(じょうかく)が所在(しょざい)する台地(だいち)には弥生時代(やよいじだい)から平安時代(へいあんじだい)にかけての集落(しゅうらく)が存在(そんざい)していたことが発掘調査(はっくつちょうさ)によって判明(はんめい)しています。 このほかにも遺跡(いせき)の北東部(ほくとうぶ)からは市内(しない)で数少(かずすく)ない古墳時代(こふんじだい)中期(ちゅうき)の竪穴(たてあな)建物(たてもの)や土師器(はじき)が確認(かくにん)されています。
大庭城(おおばじょう)遺跡(いせき)
向川名(むかいかわな)貝塚(かいづか)は柏尾川(かしおがわ)左岸(さがん)、JR東海道線(とうかいどうせん)の藤沢駅(ふじさわえき)から南東(なんとう)約(やく)1.5kmに所在(しょざい)します。1999年(ねん)(平成(へいせい)11年(ねん))に発掘調査(はっくつちょうさ)がおこなわれ、その結果(けっか)、縄文時代(じょうもんじだい)後期(こうき)の土器(どき)の捨(す)て場(ば)や中世(ちゅうせい)の井戸(いど)などが、確認(かくにん)さました。現在(げんざい)のところ確実(かくじつ)に貝塚(かいづか)といえる痕跡(こんせき)はみつかっていませんが、今後(こんご)の発掘調査(はっくつちょうさ)でその痕跡(こんせき)が発見(はっけん)されることが期待(きたい)されます。
向川名(むかいかわな)貝塚(かいづか)
神光寺(じんこうじ)横穴墓(おうけつぼ)群(ぐん)は柏尾川(かしおがわ)左岸(さがん)、JR東海道線(とうかいどうせん)の藤沢駅(ふじさわえき)から南東(なんとう)約(やく)1.3kmに所在(しょざい)します。昭和(しょうわ)40年代(ねんだい)におこなわれた区画整理(くかくせいり)にともない発掘調査(はっくつちょうさ)がおこなわれました。その結果(けっか)、横穴墓(おうけつぼ)群(ぐん)は古墳時代(こふんじだい)後期(こうき)のものであることが判明(はんめい)しました。この遺跡(いせき)は1977年(ねん)(昭和(しょうわ)52)に藤沢市(ふじさわし)の指定(してい)史跡(しせき)になっています。
神光寺(じんこうじ)横穴墓(おうけつぼ)群(ぐん)
二伝寺(にでんじ)砦(とりで)遺跡(いせき)は柏尾川(かしおがわ)右岸(うがん)、JR東海道線(とうかいどうせん)の藤沢駅(ふじさわえき)から北(ほく)東(とう)約(やく)2.4kmに所在(しょざい)します。これまでの発掘調査(はっくつちょうさ)で古墳時代(こふんじだい)から平安時代(へいあんじだい)にかけての竪穴(たてあな)建物(たてもの)や土器(どき)、中世(ちゅうせい)の掘立柱建物(ほったてばしらたてもの)や土器(どき)・陶器(とうき)が確認(かくにん)されています。これまで砦(とりで)と断定(だんてい)できる痕跡(こんせき)はみつかっていませんが、二伝寺(にでんじ)砦(とりで)は砦(とりで)の北北東(ほくほくせい)約(やく)700mに所在(しょざい)する玉縄城(たまなわじょう)(鎌倉市(かまくらし))との関係性(かんけいせい)が強(つよ)いと指摘(してき)されており、今後(こんご)の発掘調査(はっくつちょうさ)で砦(とりで)に関連(かんれん)する遺構(いこう)が確認(かくにん)されることが期待(きたい)されます。
二伝寺(にでんじ)砦(とりで)遺跡(いせき)
稲荷(いなり)台地(だいち)遺跡(いせき)群(ぐん)石名坂(いしなざか)遺跡(いせき)は、小田急電鉄(おだきゅうでんてつ)江ノ島線(えのしません)善行駅(ぜんぎょうえき)の南西(なんせい)約(やく)1.2km、旧(きゅう)藤沢飛行場(ふじさわひこうじょう)のあった標高(ひょうこう)50m前後(ぜんご)を測(はか)る稲荷(いなり)台地(だいち)と呼(よ)ばれる台地(だいち)の南端(なんたん)部(ぶ)に広(ひろ)がる遺跡(いせき)です。 これまでに数次(すうじ)の発掘調査(はっくつちょうさ)がおこなわれていますが、特(とく)に弥生時代(やよいじだい)後期(こうき)の集落(しゅうらく)跡(あと)からは環濠(かんごう)がみつかっています。藤沢市(ふじさわし)の弥生時代(やよいじだい)を考(かんが)える上(うえ)では大変(たいへん)重要(じゅうよう)な遺跡(いせき)です。
稲荷(いなり)台地(だいち)遺跡(いせき)群(ぐん)石名坂(いしなざか)遺跡(いせき)
材質(ざいしつ) 青銅(せいどう)戈(か)は、中国(ちゅうごく)の殷周時代(いんしゅうじだい)の青銅製武器(せいどうせいぶき)の一(ひと)つです。長(なが)い柄(え)の先(さき)に刃(は)を直角(ちょっかく)につけたもので、首(くび)や頭(あたま)にひっかけたり打(う)ち込(こ)み倒(たお)すために使(つか)います。
図(ず)象(ぞう)銘(めい)戈(か)
中国(ちゅうごく)で副葬(ふくそう)される人物(じんぶつ)や動物(どうぶつ)の像(ぞう)のことを俑(よう)といいます。戦国時代(せんごくじだい)から近世(きんせい)にいたるまで俑(よう)の副葬(ふくそう)は続(つづ)けられたようです。これは殉死(じゅんし)に代(か)わるものとして始(はじ)められたとも言(い)われています。俑(よう)の素材(そざい)には、土(つち)、石(いし)、金属(きんぞく)、木(き)などさまざまなものがあります。
女人俑(にょにんよう)
材質(ざいしつ) 青銅(せいどう)
鬲鼎(れきてい)