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江の島の歴史
江の島歴史年表
江の島散策マップ
江の島の文化財
江の島を訪れた人々
資料種類しりょうしゅるい(大分類だいぶんるい):
資料種類しりょうしゅるい(中分類ちゅうぶんるい):
資料種類しりょうしゅるい(小分類しょうぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(大分類だいぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(中分類ちゅうぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(小分類しょうぶんるい):
作者さくしゃ(50音分類おんぶんるい):
作者さくしゃ:
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高倉(たかくら) 枯藪(かれやぶ)遺跡(いせき)は、小田急電鉄(おだきゅうでんてつ)江ノ島線(えのしません)長後駅(ちょうごえき)の東(ひがし)南(なん)約(やく)900m、国道(こくどう)467号(ごう)東側(ひがしがわ)の隣接(りんせつ)地点(ちてん)にあります。地形(ちけい)的(てき)には、境川(さかいがわ)の中流(ちゅうりゅう)西岸(せいがん)の標高(ひょうこう)23m前後(ぜんご)の台地(だいち)上(じょう)に立地(りっち)しています。1987年(ねん)(昭和(しょうわ)62年(ねん))、郵便局(ゆうびんきょく)建設(けんせつ)にともなって、発掘調査(はっくつちょうさ)が実施(じっし)されました。 その結果(けっか)、縄文時代(じょうもんじだい)と思(おも)われる陥(おと)し穴(あな)をはじめ、古墳時代(こふんじだい)の方形周溝墓(ほうけいしゅうこうぼ)や奈良(なら)・平安時代(へいあんじだい)の住居(じゅうきょ)が確認(かくにん)されました。
高倉(たかくら)枯藪(かれやぶ)遺跡(いせき)
長後(ちょうご)上ノ原(うえのはら)遺跡(いせき)は、小田急電鉄(おだきゅうでんてつ)江ノ島線(えのしません)高座渋谷駅(こうざしぶやえき)の南方(なんぽう)約(やく)350mのに位置(いち)しています。地形(ちけい)的(てき)には、東方(とうほう)600mに境川(さかいがわ)、西方(せいほう)500mに引地川(ひきちがわ)が流(なが)れ、この二(ふた)つの河川(かせん)に挟(はさ)まれた標高(ひょうこう)約(やく)45mを測(はか)る台地(だいち)上(じょう)の中央部(ちゅうおうぶ)に位置(いち)しています。 これまで数次(すうじ)の発掘調査(はっくつちょうさ)がおこなわれ、その結果(けっか)、奈良(なら)・平安時代(へいあんじだい)の住居(じゅうきょ)や掘立柱建物(ほったてばしらたてもの)などの遺構(いこう)が確認(かくにん)され、この地(ち)一帯(いったい)に当時(とうじ)の大規模(だいきぼ)な集落(しゅうらく)が営(いとな)まれていたことが明(あき)らかとなりました。
長後(ちょうご)上ノ原(うえのはら)遺跡(いせき)
鵠沼(くげぬま)下(した)ノ沢(さわ)遺跡(いせき)は引地川(ひきちがわ)左岸(さがん)、小田急江ノ島線(おだきゅうえのしません)の本鵠沼駅(ほんくげぬまえき)から北西(ほくせい)約(やく)500mに所在(しょざい)します。これまでの発掘調査(はっくつちょうさ)で奈良時代(ならじだい)、平安時代(へいあんじだい)の竪穴(たてあな)建物(たてもの)や土師器(はじき)、須恵器(すえき)などが確認(かくにん)されており、比較的(ひかくてき)規模(きぼ)の大(おお)きい集落(しゅうらく)が引地川(ひきちがわ)左岸(さがん)の砂丘(さきゅう)に形成(けいせい)されていたことがわかっています。
鵠沼(くげぬま)下(した)ノ沢(さわ)遺跡(いせき)
鵠沼(くげぬま)藤ヶ谷(ふじがや)遺跡(いせき)は境川(さかいがわ)右岸(うがん)、江(え)の島(しま)電鉄(でんてつ)線(せん)の鵠沼駅(くげぬまえき)から北東(ほくとう)約(やく)230mに所在(しょざい)します。これまで数次(すうじ)の発掘調査(はっくつちょうさ)がおこなわれており、その結果(けっか)市内(しない)では数少(かずすく)ない古墳時代(こふんじだい)中期(ちゅうき)の竪穴(たてあな)建物(たてもの)や土師器(はじき)・須恵器(すえき)などがみつかっています。
鵠沼(くげぬま)藤ヶ谷(ふじがや)遺跡(いせき)
チンガ塚(づか)古墳(こふん)は境川(さかいがわ)左岸(さがん)、JR東海道線(とうかいどうせん)の藤沢駅(ふじさわえき)から北北東(ほくほくとう)約(やく)1.2kmに所在(しょざい)する市内(しない)で現存(げんそん)する唯一(ゆいいつ)の古墳(こふん)です。同(おな)じ場所(ばしょ)には藤沢市(ふじさわし)指定(してい)史跡(しせき)の西富(にしとみ)貝塚(かいづか)があります。古(ふる)くから高塚(たかつか)古墳(こふん)として知(し)られており、これまでに数次(すうじ)の発(はつ)調査(ちょうさ)がおこなわれており、その成果(せいか)から古墳時代(こふんじだい)後期(こうき)の円(えん)墳(ぷん)であることが判明(はんめい)しています。
チンガ塚(づか)古墳(こふん)
大庭城(おおばじょう)遺跡(いせき)は引地川(ひきちがわ)の左岸(さがん)、JR東海道線(とうかいどうせん)の辻堂駅(つじどうえき)から北北東(ほくほくとう)約(やく)2.7kmに所在(しょざい)します。昭和(しょうわ)40年代(ねんだい)に区画整理(くかくせいり)に伴(ともな)い城郭(じょうかく)の調査(ちょうさ)がおこなわれ、掘立柱建物(ほったてばしらたてもの)や堀(ほり)などの城郭(じょうかく)に関連(かんれん)する遺構(いこう)が確認(かくにん)されました。ちなみに城郭(じょうかく)が所在(しょざい)する台地(だいち)には弥生時代(やよいじだい)から平安時代(へいあんじだい)にかけての集落(しゅうらく)が存在(そんざい)していたことが発掘調査(はっくつちょうさ)によって判明(はんめい)しています。 このほかにも遺跡(いせき)の北東部(ほくとうぶ)からは市内(しない)で数少(かずすく)ない古墳時代(こふんじだい)中期(ちゅうき)の竪穴(たてあな)建物(たてもの)や土師器(はじき)が確認(かくにん)されています。
大庭城(おおばじょう)遺跡(いせき)
向川名(むかいかわな)貝塚(かいづか)は柏尾川(かしおがわ)左岸(さがん)、JR東海道線(とうかいどうせん)の藤沢駅(ふじさわえき)から南東(なんとう)約(やく)1.5kmに所在(しょざい)します。1999年(ねん)(平成(へいせい)11年(ねん))に発掘調査(はっくつちょうさ)がおこなわれ、その結果(けっか)、縄文時代(じょうもんじだい)後期(こうき)の土器(どき)の捨(す)て場(ば)や中世(ちゅうせい)の井戸(いど)などが、確認(かくにん)さました。現在(げんざい)のところ確実(かくじつ)に貝塚(かいづか)といえる痕跡(こんせき)はみつかっていませんが、今後(こんご)の発掘調査(はっくつちょうさ)でその痕跡(こんせき)が発見(はっけん)されることが期待(きたい)されます。
向川名(むかいかわな)貝塚(かいづか)
神光寺(じんこうじ)横穴墓(おうけつぼ)群(ぐん)は柏尾川(かしおがわ)左岸(さがん)、JR東海道線(とうかいどうせん)の藤沢駅(ふじさわえき)から南東(なんとう)約(やく)1.3kmに所在(しょざい)します。昭和(しょうわ)40年代(ねんだい)におこなわれた区画整理(くかくせいり)にともない発掘調査(はっくつちょうさ)がおこなわれました。その結果(けっか)、横穴墓(おうけつぼ)群(ぐん)は古墳時代(こふんじだい)後期(こうき)のものであることが判明(はんめい)しました。この遺跡(いせき)は1977年(ねん)(昭和(しょうわ)52)に藤沢市(ふじさわし)の指定(してい)史跡(しせき)になっています。
神光寺(じんこうじ)横穴墓(おうけつぼ)群(ぐん)