Fujisawa Net Museum

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製作(せいさく)時期(じき):安政(あんせい)2年(ねん)(1855)。
板元(はんもと):蔦屋吉蔵(つたやきちぞう)

掛川宿(かけがわしゅく)の西(にし)には、秋葉神社(あきばじんじゃ)への参詣(さんけい)路(ろ)である秋葉(あきは)道(みち)の追分(おいわけ)がありました。秋葉神社(あきばじんじゃ)は火伏(ひぶせ)の神(かみ)として江戸時代(えどじだい)に全国(ぜんこく)的(てき)に篤(あつ)く信仰(しんこう)されていました。

表題(ひょうだい)にある「四十八瀬(しじゅうはっせ)」とは三倉川(みくらがわ)のことで、画(が)中(ちゅう)に見(み)えるように人々(ひとびと)が歩(ある)いて渡(わた)れるくらいの浅瀬(あさせ)をいくつも越(こ)えて秋葉神社(あきばじんじゃ)へと向(む)かいました。

このシリーズが竪(たて)型(がた)版(ばん)であるため、一般(いっぱん)に竪(たて)絵(え)東海道(とうかいどう)と呼(よ)ばれ、広重(ひろしげ)晩年(ばんねん)(59 才(さい))の作品(さくひん)です。
広重(ひろしげ)の東海道(とうかいどう)ものは大体(だいたい)において、横型(よこがた)の風景画(ふうけいが)が多(おお)いなかで、竪(たて)型(がた)物(ぶつ)もいくつかあります。この名所図会(めいしょずえ)シリーズではほとんどの宿(やど)が鳥瞰図(ちょうかんず)で描(えが)かれ、町並(まちな)み等(とう)に遠近法(えんきんほう)を用(もち)い、横(よこ)判(ばん)では見(み)られない雰囲気(ふんいき)をかもし出(だ)しています。

五十三次名所図会 廿七 懸川(竪絵東海道)

五十三次(ごじゅうさんつぎ)名所図会(めいしょずえ) 二(に)十(じゅう)七(しち) 懸川(かけがわ) 秋葉(あきは)道(みち)四十(しじゅう)八瀬(はっせ)ごへ(竪(たて)絵(え)東海道(とうかいどう))

製作(せいさく)時期(じき):安政(あんせい)2年(ねん)(1855)。
板元(はんもと):蔦屋吉蔵(つたやきちぞう)

日坂宿(にっさかしゅく)の東(ひがし)に位置(いち)する小夜(さよ)の中山(なかやま)峠(とうげ)という坂道(さかみち)には、「夜啼(よなき)石(せき)」とよばれる街道(かいどう)の名物(めいぶつ)がありました。

画面(がめん)手前(てまえ)から右側(みぎがわ)に伸(の)びる山道(さんどう)の奥(おく)に、ポツンと描(えが)かれた丸(まる)い石(いし)がそれです。旅人(たびびと)たちが取(と)り囲(かこ)んで見物(けんぶつ)している様子(ようす)もみえます。
夜啼(よなき)石(せき)には、山賊(さんぞく)に殺(ころ)されてしまった母親(ははおや)の霊(れい)が石(いし)に移(うつ)り、毎晩(まいばん)泣(な)き声(ごえ)を上(あ)げたという伝説(でんせつ)があります。

 このシリーズが竪(たて)型(がた)版(ばん)であるため、一般(いっぱん)に竪(たて)絵(え)東海道(とうかいどう)と呼(よ)ばれ、広重(ひろしげ)晩年(ばんねん)(59 才(さい))の作品(さくひん)です。
広重(ひろしげ)の東海道(とうかいどう)ものは大体(だいたい)において、横型(よこがた)の風景画(ふうけいが)が多(おお)いなかで、竪(たて)型(がた)物(ぶつ)もいくつかあります。この名所図会(めいしょずえ)シリーズではほとんどの宿(やど)が鳥瞰図(ちょうかんず)で描(えが)かれ、町並(まちな)み等(とう)に遠近法(えんきんほう)を用(もち)い、横(よこ)判(ばん)では見(み)られない雰囲気(ふんいき)をかもし出(だ)しています。

五十三次名所図会 廿六 日坂(竪絵東海道)

五十三次(ごじゅうさんつぎ)名所図会(めいしょずえ) 二(に)十六(じゅうろく) 日坂(にっさか) 小夜(さよ)の中山(なかやま)無(む)間山(けんやま)遠望(えんぼう)(竪(たて)絵(え)東海道(とうかいどう))

製作(せいさく)時期(じき):安政(あんせい)2年(ねん)(1855)。
板元(はんもと):蔦屋吉蔵(つたやきちぞう)

背景(はいけい)には金谷宿(かなやしゅく)、大井川(おおいがわ)、富士山(ふじさん)が描(えが)かれています。手前(てまえ)の道(みち)を境(さかい)に遠望(えんぼう)へ切(き)り替(か)わることで見晴(みは)らしの良(よ)い風景(ふうけい)を表現(ひょうげん)しています。
中心(ちゅうしん)には金谷宿(かなやしゅく)を発(た)った人(ひと)が金谷(かなや)坂(ざか)を上(あ)がってきています。東海道(とうかいどう)一番(いちばん)の難所(なんしょ)である大井川(おおいがわ)を越(こ)えて、安堵(あんど)した表情(ひょうじょう)に見(み)えます。

このシリーズが竪(たて)型(がた)版(ばん)であるため、一般(いっぱん)に竪(たて)絵(え)東海道(とうかいどう)と呼(よ)ばれ、広重(ひろしげ)晩年(ばんねん)(59 才(さい))の作品(さくひん)です。
広重(ひろしげ)の東海道(とうかいどう)ものは大体(だいたい)において、横型(よこがた)の風景画(ふうけいが)が多(おお)いなかで、竪(たて)型(がた)物(ぶつ)もいくつかあります。この名所図会(めいしょずえ)シリーズではほとんどの宿(やど)が鳥瞰図(ちょうかんず)で描(えが)かれ、町並(まちな)み等(とう)に遠近法(えんきんほう)を用(もち)い、横(よこ)判(ばん)では見(み)られない雰囲気(ふんいき)をかもし出(だ)しています。

五十三次名所図会 廿五 金谷(竪絵東海道)

五十三次(ごじゅうさんつぎ)名所図会(めいしょずえ) 二(に)十(じゅう)五(ご) 金谷(かなや) 坂道(さかみち)より大井川(おおいがわ)眺望(ちょうぼう)(竪(たて)絵(え)東海道(とうかいどう))

製作(せいさく)時期(じき):安政(あんせい)2年(にねん)(1855)。
板元(はんもと):蔦屋吉蔵(つたやきちぞう)

大井川(おおいがわ)は川幅(かわはば)も広(ひろ)く水量(すいりょう)も多(おお)いため、東海道(とうかいどう)で一番(いちばん)の難所(なんしょ)でした。
川筋(かわすじ)が定(さだ)まらないため船(ふね)や橋(はし)も作(つく)れず、徒歩(かち)渡(わた)しの人足(にんそく)や輦台(れんだい)(人(ひと)を運(はこ)ぶため4人(よにん)ほどで担(かつ)ぐ台(だい))を使(つか)うしかありませんでした。
大井川(おおいがわ)の両(りょう)岸(きし)が描(えが)かれ、遠近法(えんきんほう)や色(いろ)の濃淡(のうたん)によって広(ひろ)い川幅(かわはば)が巧妙(こうみょう)に表現(ひょうげん)されています。

このシリーズが竪(たて)型(がた)版(ばん)であるため、一般(いっぱん)に竪(たて)絵(え)東海道(とうかいどう)と呼(よ)ばれ、広重(ひろしげ)晩年(ばんねん)(59 才(さい))の作品(さくひん)です。
広重(ひろしげ)の東海道(とうかいどう)ものは大体(だいたい)において、横型(よこがた)の風景画(ふうけいが)が多(おお)いなかで、竪(たて)型(がた)物(ぶつ)もいくつかあります。この名所図会(めいしょずえ)シリーズではほとんどの宿(やど)が鳥瞰図(ちょうかんず)で描(えが)かれ、町並(まちな)み等(とう)に遠近法(えんきんほう)を用(もち)い、横(よこ)判(ばん)では見(み)られない雰囲気(ふんいき)をかもし出(だ)しています。

五十三次名所図会 二十五 金谷 坂道より大井川眺望(竪絵東海道)

五十三次(ごじゅうさんつぎ)名所図会(めいしょずえ) 二十四(にじゅうよん) 島田(しまだ) 大井川(おおいがわ)駿(しゅん)岸(がん)(竪(たて)絵(え)東海道(とうかいどう))

製作(せいさく)時期(じき):安政(あんせい)2年(ねん)(1855)。
板元(はんもと):蔦屋吉蔵(つたやきちぞう)

藤枝宿(ふじえだしゅく)を過(す)ぎると瀬戸川(せとがわ)を渡(わた)ります。 瀬戸川(せとがわ)は浅(あさ)いので、徒歩(かち)渡(わた)りを人足(にんそく)に頼(たの)む人(ひと)や自分(じぶん)で渡(わた)る人(ひと)がいます。 自力(じりき)で川(かわ)を渡(わた)る人(ひと)は巡礼(じゅんれい)者(しゃ)や修行(しゅぎょう)者(しゃ)です。その先(さき)は青島(あおしま)立場(たてば)、島田宿(しまだしゅく)と続(つづ)きます。

このシリーズが竪(たて)型(がた)版(ばん)であるため、一般(いっぱん)に竪(たて)絵(え)東海道(とうかいどう)と呼(よ)ばれ、広重(ひろしげ)晩年(ばんねん)(59 才(さい))の作品(さくひん)です。
広重(ひろしげ)の東海道(とうかいどう)ものは大体(だいたい)において、横型(よこがた)の風景画(ふうけいが)が多(おお)いなかで、竪(たて)型(がた)物(ぶつ)もいくつかあります。この名所図会(めいしょずえ)シリーズではほとんどの宿(やど)が鳥瞰図(ちょうかんず)で描(えが)かれ、町並(まちな)み等(とう)に遠近法(えんきんほう)を用(もち)い、横(よこ)判(ばん)では見(み)られない雰囲気(ふんいき)をかもし出(だ)しています。

五十三次名所図会 廿三 藤枝(竪絵東海道)

五十三次(ごじゅうさんつぎ)名所図会(めいしょずえ) 二十三(にじゅうさん) 藤枝(ふじえだ) 瀬戸川(せとがわ)かち渡(わた)り(竪(たて)絵(え)東海道(とうかいどう))

製作(せいさく)時期(じき):安政(あんせい)2年(ねん)(1855)。
板元(はんもと):蔦屋吉蔵(つたやきちぞう)

この宇津(うつ)の山(やま)を越(こ)えると、岡部宿(おかべしゅく)に続(つづ)く街道(かいどう)に合流(ごうりゅう)します。平安時代(へいあんじだい)に書(か)かれた『伊勢物語(いせものがたり)』で、蔦(つた)や楓(かえで)が生(お)い茂(しげ)り寂(さび)しいと書(か)かれたことから、江戸時代(えどじだい)ころからこの道(みち)を「蔦(つた)の細道(ほそみち)」と呼(よ)ぶようになったと言(い)われています。

道中(どうちゅう)に茶屋(ちゃや)があり、往来(おうらい)が多(おお)いことを思(おも)わせます。また、雲(くも)(の描(えが)き方(かた))や色(いろ)の濃淡(のうたん)によって、奥行(おくゆき)だけでなく山(やま)の標高(ひょうこう)の高(たか)さも感(かん)じられます。

このシリーズが竪(たて)型(がた)版(ばん)であるため、一般(いっぱん)に竪(たて)絵(え)東海道(とうかいどう)と呼(よ)ばれ、広重(ひろしげ)晩年(ばんねん)(59 才(さい))の作品(さくひん)です。
広重(ひろしげ)の東海道(とうかいどう)ものは大体(だいたい)において、横型(よこがた)の風景画(ふうけいが)が多(おお)いなかで、竪(たて)型(がた)物(ぶつ)もいくつかあります。この名所図会(めいしょずえ)シリーズではほとんどの宿(やど)が鳥瞰図(ちょうかんず)で描(えが)かれ、町並(まちな)み等(とう)に遠近法(えんきんほう)を用(もち)い、横(よこ)判(ばん)では見(み)られない雰囲気(ふんいき)をかもし出(だ)しています。

五十三次名所図会 廿二 岡部(竪絵東海道)

五十三次(ごじゅうさんつぎ)名所図会(めいしょずえ) 二十二(にじゅうに) 岡部(おかべ) 宇津(うつ)の山蔦(やまつた)の細道(ほそみち)(竪(たて)絵(え)東海道(とうかいどう))

製作(せいさく)時期(じき):安政(あんせい)2年(ねん)(1855)。
板元(はんもと):蔦屋吉蔵(つたやきちぞう)

二(に)丁(ちょう)町(まち)は安倍川(あべかわ)の近(ちか)くにあった遊郭(ゆうかく)です。もとは7つの町(まち)が遊郭(ゆうかく)でしたが、のちに5つが江戸(えど)に移(うつ)り吉原(よしわら)遊郭(ゆうかく)になったといわれています。
また弥勒町(みろくまち)は二(に)丁(ちょう)町(まち)の海(うみ)側(がわ)にある町(まち)です。華(はな)やかな夜(よる)の町(まち)の風景(ふうけい)です。

このシリーズが竪(たて)型(がた)版(ばん)であるため、一般(いっぱん)に竪(たて)絵(え)東海道(とうかいどう)と呼(よ)ばれ、広重(ひろしげ)晩年(ばんねん)(59 才(さい))の作品(さくひん)です。
広重(ひろしげ)の東海道(とうかいどう)ものは大体(だいたい)において、横型(よこがた)の風景画(ふうけいが)が多(おお)いなかで、竪(たて)型(がた)物(ぶつ)もいくつかあります。この名所図会(めいしょずえ)シリーズではほとんどの宿(やど)が鳥瞰図(ちょうかんず)で描(えが)かれ、町並(まちな)み等(とう)に遠近法(えんきんほう)を用(もち)い、横(よこ)判(ばん)では見(み)られない雰囲気(ふんいき)をかもし出(だ)しています。

五十三次名所図会 二十 府中(竪絵東海道)

五十三次(ごじゅうさんつぎ)名所図会(めいしょずえ) 二(に)十(じゅう) 府中(ふちゅう) 安部(あべ)河(かわ)みろく弐丁町(にちょうまち)(竪(たて)絵(え)東海道(とうかいどう))

製作(せいさく)時期(じき):安政(あんせい)2年(ねん)(1855)。
板元(はんもと):蔦屋吉蔵(つたやきちぞう)

清水港(しみずこう)付近(ふきん)からみた田子(たご)の浦(うら)の眺望(ちょうぼう)です。田子(たご)の浦(うら)は古来(こらい)から富士山(ふじさん)の景勝地(けいしょうち)でした。右手(みぎて)に三保(みほ)の松原(まつばら)が描(えが)かれることで海辺(うみべ)が湾曲(わんきょく)して見(み)え、空間(くうかん)が遠(とお)くまで続(つづ)いているように感(かん)じられます。
層(そう)となって描(えが)かる雲(くも)や、随所(ずいしょ)の色(いろ)のぼかしも同(おな)じような効果(こうか)を生(う)んでいます

このシリーズが竪(たて)型(がた)版(ばん)であるため、一般(いっぱん)に竪(たて)絵(え)東海道(とうかいどう)と呼(よ)ばれ、広重(ひろしげ)晩年(ばんねん)(59 才(さい))の作品(さくひん)です。
広重(ひろしげ)の東海道(とうかいどう)ものは大体(だいたい)において、横型(よこがた)の風景画(ふうけいが)が多(おお)いなかで、竪(たて)型(がた)物(ぶつ)もいくつかあります。この名所図会(めいしょずえ)シリーズではほとんどの宿(やど)が鳥瞰図(ちょうかんず)で描(えが)かれ、町並(まちな)み等(とう)に遠近法(えんきんほう)を用(もち)い、横(よこ)判(ばん)では見(み)られない雰囲気(ふんいき)をかもし出(だ)しています。

五十三次名所図会 十九 江尻(竪絵東海道)

五十三次(ごじゅうさんつぎ)名所図会(めいしょずえ) 十九(じゅうく) 江尻(えじり) 田子(たご)の浦(うら)三保(みほ)の松原(まつばら)(竪(たて)絵(え)東海道(とうかいどう))



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