Fujisawa Net Museum

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大阪(おおさか)船着(ふなつ)()大坂(おおさか)八軒(はちけん)()())」を()()し、江戸(えど)(のぼ)りとする道中双六(どうちゅうすごろく)です。東海道(とうかいどう)(かく)宿(やど)名所(めいしょ)名物(めいぶつ)所縁(しょえん)のある歌舞伎役者(かぶきやくしゃ)浪速(なにわ)尾張(おわり)活躍(かつやく)していた狂歌(きょうか)()詩歌(しか)(かく)マスに挿入(そうにゅう)されています。刊行(かんこう)情報(じょうほう)によると、この双六(すごろく)はお正月(しょうがつ)販売(はんばい)するために(あらた)めて()られたもので、心斎橋(しんさいばし)住所(じゅうしょ)()版元(はんもと)(よし)(いく)依頼(いらい)したものだと(おも)われます。

藤沢(ふじさわ)のマスは歌舞伎役者(かぶきやくしゃ)十一代目守田勘彌(じゅういちだいめもりたかんや)の「()病気(びょうき)のわざか 時々(ときどき)(やす)みも 藤沢(ふじさわ)(てら)(くるま)とどめる」という狂歌(きょうか)(しる)されています。藤沢(ふじさわ)(てら)遊行寺(ゆぎょうじ)のことで、遊行寺(ゆぎょうじ)ゆかりの伝説(でんせつ)(じょう)人物(じんぶつ)小栗判官(おぐりはんがん)」が病気(びょうき)のため土車(どしゃ)()せられて熊野(くまの)()かうストーリーを連想(れんそう)させます。

東海道(とうかいどう)宿々(しゅくしゅく)名所(めいしょ)名物(めいぶつ)(よせ)俳優(はいゆう)芸道(げいどう)細見図(さいけんず)

明治(めいじ)中期(ちゅうき)(つく)られた木版(もくはん)銅板(どうばん)併用(へいよう)して(つく)られた双六(すごろく)です。内容(ないよう)としては、日本国内(にほんこくない)世界(せかい)名所(めいしょ)(めぐ)る「()双六(すごろく)」となっています。(すべ)てのマスに名所(めいしょ)簡単(かんたん)紹介(しょうかい)(ぶん)()かれています。明治(めいじ)(ねん)(1871)に落成(らくせい)した新橋(しんばし)停車場(ていしゃじょう)()()しとして(えが)かれており、マスには「新橋(しんばし)停車(ていしゃ)(じょう)汽車(きしゃ)(ごう)()()()」と題名(だいめい)があります。()のマスには国内外(こくないがい)名所(めいしょ)主要(しゅよう)都市(とし)(めい)横浜(よこはま)、ニューヨーク、サンクト・ペテルブルグ(とう))が()かれています。()がりのマスには明治天皇(めいじてんのう)一家(いっか)(えが)かれ、その右上(みぎうえ)のマスには()(しま)登場(とうじょう)します。

()(ちゅう)(せん)(ほそ)さから、主版(しゅばん)銅板(どうばん)使(つか)われ、(いろ)(ばん)木版(もくはん)()られたと(おも)われます。発行者(はっこうしゃ)尾関(おぜき)トヨは東京(とうきょう)日本橋(にほんばし)地本(じもと)問屋(とんや)(いとな)みながら、銅版(どうはん)画家(がか)としても活躍(かつやく)しました。

万国(ばんこく)名所(めいしょ)寿語禄(すごろく)

国際基督教大学(こくさいきりすときょうだいがく)博物館(はくぶつかん)湯浅八郎記念館(ゆあさはちろうきねんかん)
三代(さんだい)歌川広重(うたがわひろしげ)
明治元年(めいじがんねん)(1868)
戊辰戦争(ぼしんせんそう)(あらわ)した風刺画(ふうしが)のひとつです。明治元年(めいじがんねん)(1868)10月(じゅうがつ)刊行(かんこう)されました。
 子供(こども)雪合戦(ゆきがっせん)見立(みた)てられており、右側(みぎがわ)旧幕府軍(きゅうばくふぐん)左側(ひだりがわ)新政府(しんせいふ)(がわ)(しょ)(はん)です。画面(がめん)(ひだり)一番(いちばん)(はし)竹馬(たけうま)()っているのが、有栖川宮(ありすがわのみや)背負(せお)われているのが明治(めいじ)天皇(てんのう)です。米沢藩(よねざわはん)9月(くがつ)初旬(しょじゅん)仙台藩(せんだいはん)9月10日(くがつとおか)会津藩(あいずはん)9月22日(くがつにじゅうににち)制圧(せいあつ)されました。盛岡藩(もりおかはん)9月28日(くがつにじゅうはちにち)降伏(こうふく)します。東北(とうほく)地域(ちいき)制圧(せいあつ)され、すでに新政府(しんせいふ)体制(たいせい)になっているのにも(かか)わらず、東北(とうほく)での旧幕府軍(きゅうばくふぐん)()(かえ)しに(のぞ)みを(たく)していた江戸(えど)庶民(しょみん)心情(しんじょう)をこの作品(さくひん)象徴(しょうちょう)しています。風刺画(ふうしが)は、(たん)なる情報(じょうほう)(げん)だけではなかったことがうかがえます。

むつの(はな)子供(こども)(あそび)

国際基督教大学(こくさいきりすときょうだいがく)博物館(はくぶつかん)湯浅八郎記念館(ゆあさはちろうきねんかん)所蔵(しょぞう)
作者不詳(さくしゃふしょう) 
安政(あんせい)元年(がんねん)(1854)
嘉永(かえい)6(ねん)(1853)の(なつ)にペリー提督(ていとく)(ひき)いる東インド艦隊(ひがしいんどかんたい)浦賀(うらが)来航(らいこう)し、日本(にっぽん)開国(かいこく)(せま)りました。来航(らいこう)した(よん)(せき)は、防腐剤(ぼうふざい)として黒々(くろぐろ)としたコールタールが()られた「黒船(くろふね)」でした。うち2(せき)は、(おお)くの(ひと)(はじ)めて()にする蒸気船(じょうきせん)で、その大型(おおがた)(せん)()るため、大勢(おおぜい)人々(ひとびと)浦賀(うらが)()()せたといいます。江戸(えど)人々(ひとびと)は、外国人(がいこくじん)外国(がいこく)(せん)興味(きょうみ)()ち、当時(とうじ)500種類(しゅるい)以上(いじょう)瓦版(かわらばん)()られたといわれています。
本図(ほんず)は、ペリーが乗艦(じょうかん)した蒸気船(じょうきせん)サスケハナ(ごう)(えが)いたもので、蒸気(じょうき)外輪(がいりん)装備(そうび)されています。実際(じっさい)黒船(くろふね)()ることのできなかった絵師(えし)たちは、ペリー来航(らいこう)以前(いぜん)異国(いこく)(せん)参考(さんこう)にしました。本図(ほんず)長崎(ながさき)()られたオランダ(せん)をモデルに(えが)かれたものと(かんが)えられます。

瓦版(かわらばん) 黒船(くろふね)() 海陸(かいりく)御固(おかため)御役人(おやくにん)(づけ)



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