Fujisawa Net Museum

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仮名垣魯文(かながきろぶん) (さく) 歌川国政(うたがわくにまさ) ()
明治12年(めいじじゅうにねん)(1879)
(だい)18(だい)アメリカ大統領(だいとうりょう)ユリシーズ・S・グラントの幼少(ようしょう)から明治12年(めいじじゅうにねん)日本(にっぽん)来訪(らいほう)までが集約(しゅうやく)されたものです。(だい)(さん)(へん)では、インドや中国(ちゅうごく)(めぐ)り、最終目的地(さいしゅうもくてきち)である日本(にっぽん)までの旅路(たびじ)とともに、来訪(らいほう)()開催(かいさい)されたさまざまな行事(ぎょうじ)様子(ようす)紹介(しょうかい)されています。
明治(めいじ)には西洋人(せいようじん)題材(だいざい)とした物語(ものがたり)(おお)出版(しゅっぱん)されました。その内容(ないよう)は、偉人(いじん)伝記(でんき)とともに文化(ぶんか)地理(ちり)政治(せいじ)歴史(れきし)といった幅広(はばひろ)要素(ようそ)()()まれたものでした。「格蘭氏伝倭文賞(ぐらんどしでんやまとぶんしょう)」もそのひとつで、幕末(ばくまつ)から明治(めいじ)初期(しょき)活躍(かつやく)した戯作者(げさくしゃ)仮名垣(かながき)魯文(ろぶん)によって()かれました。

格蘭氏伝倭文賞(ぐらんどしでんやまとぶんしょう)

作者不詳(さくしゃふしょう)
嘉永(かえい)6(ねん)(1853)(ころ)
嘉永(かえい)6(ねん)(1853)6(がつ)(べい)艦隊(かんたい)黒船(くろふね)入津(にゅうしん)模様(もよう)記録(きろく)した墨書画(ぼくしょが)です。当時(とうじ)記録(きろく)(とう)を1(かん)にまとめたものであると(おも)われます(横浜市歴史博物館(よこはましれきしはくぶつかん)(ぞう)類似(るいじ)着彩(ちゃくさい)()あり)。「アメリカ(じん)(くり)久里(くり)(はま)上陸行軍(じょうりくこうぐん)()(そう)人数(にんずう)五百余人(ごひゃくよにん))」の()(ちゅう)二角(にかく)帽子(ぼうし)をかぶって、(した)に「(そう)大将(たいしょう)」と(しる)されているのがペリー提督(ていとく)で、同行(どうこう)童子(どうじ)書翰(しょかん)()れた(つつみ)()っています。巻末(かんまつ)には、「久里浜(くりはま)陣押(じんおし)(じんおし)、荒増(あらまし)(あらまし)()()(そう)人数(にんずう)一千百有余人(いっせんひゃくゆうよにん))」が(しる)されていて、上陸(じょうりく)()日本側(にっぽんがわ)態勢(たいせい)記録(きろく)されています。

相州(そうしゅう)浦賀(うらが)米国船(べいこくせん)入津之図(にゅうしんのず)

森島中良(もりしまちゅうりょう) (さく) 森島中良(もりしまちゅうりょう)北尾政美(きたおまさよし)大槻玄沢(おおつきげんたく) ()
天明(てんめい)7(ねん)(1787)
作者(さくしゃ)森島中良(もりしまちゅうりょう)は、蘭学者(らんがくしゃ)で、戯作者(げさくしゃ)でもあった(ひと)です。『紅毛雑話(こうもうざつわ)』は、御殿医(ごてんい)江戸時代(えどじだい)将軍(しょうぐん)大名(だいみょう)(つか)えた医師(いし)俗称(ぞくしょう))であった(あに)桂川甫周(かつらがわほしゅう)が、江戸(えど)参府(さんぷ)のオランダ(じん)から()いた(はなし)などを中良(なから)がまとめたもので、天明(てんめい)7年(ななねん)(1787)に刊行(かんこう)されました。蘭学(らんがく)知識(ちしき)一般(いっぱん)()けに解説(かいせつ)した啓蒙(けいもう)(しょ)です。本図(もとず)は「ミコラスコービュン」(顕微鏡(けんびきょう))の()で、その仕組(しく)みや見方(みかた)説明(せつめい)がついています。顕微鏡(けんびきょう)()(むし)(えが)いた拡大(かくだい)()有名(ゆうめい)で、ノミや()、ぼうふらなども(えが)かれています。西洋(せいよう)飛行船(ひこうせん)やエレキテルといった目新(めあたら)しい事物(じぶつ)紹介(しょうかい)されています。
江戸時代(えどじだい)人々(ひとびと)が、鎖国(さこく)政策(せいさく)(なか)でも、海外(かいがい)事物(じぶつ)興味(きょうみ)()っていたことが(つた)わってきます。

紅毛雑話(こうもうざつわ) 巻之三(まきのさん)

(あざ)やかな(あか)背景(はいけい)に「浜松屋(はままつや)」の一場面(いちばめん)(えが)かれます。「浜松屋(はままつや)」は弁天小僧菊之助(べんてんこぞうきくのすけ)がもろ肌脱(はだぬ)ぎで名台詞(めいぜりふ)()べるのが見所(みどころ)場面(ばめん)です。
浜松屋(はままつや)」のあらすじは、呉服屋(ごふくや)浜松屋(はままつや)良家(りょうけ)令嬢(れいじょう)(あらわ)婚礼(こんれい)衣装(いしょう)()いに()ますが、万引(まんび)きしたとして(みせ)(もの)()(あらそ)いになります。しかし、その令嬢(れいじょう)(じつ)弁天小僧菊之助(べんてんこぞうきくのすけ)で、(つみ)()せられたとして(みせ)から(かね)をゆすり()ろうとします。そこに日本駄右衛門(にっぽんだえもん)善人(ぜんにん)のふりをして(あらわ)れ、弁天小僧(べんてんこぞう)正体(しょうたい)(あば)きます。バレては仕方(しかた)ないと、弁天小僧(べんてんこぞう)着物(きもの)()ぎ、「()らざぁいって()かせやしょう」台詞(せりふ)へと(つな)がります。

題名(だいめい)不詳(ふしょう)(『青砥稿花紅彩画(あおとぞうしはなのにしきえ)』より白浪(しらなみ)()(にん)(おとこ)



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