Fujisawa Net Museum

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日坂(ひさか)の「佐夜(さよ)の中山(なかやま)」に伝承(でんしょう)する逸話(いつわ)を絵画(かいが)化(か)しています。「佐夜(さよ)」は「小夜(さよ)(夜中(やちゅう))」と同(おな)じ意味(いみ)があり、幼(おさな)い我(わ)が子(こ)(赤子(あかご))を残(のこ)して亡(な)くなったお石(いし)という女性(じょせい)の霊(れい)が夜(よ)な夜(よ)な現(あらわ)れるというものです。妊婦(にんぷ)だったお石(いし)は、ある帰(かえ)り道(みち)、お腹(なか)が痛(つう)くなりうずくまっていました。そこで轟(とどろき)業右衛門(ごえもん)という男(おとこ)が通(とお)りがかり、金(きん)を持(も)っていたお石(いし)を、護身(ごしん)刀(がたな)で殺(ころ)してしまいます。刺(さ)された切(き)り口(くち)から赤(あか)ん坊(ぼう)は生(う)まれ、お石(いし)は近(ちか)くの丸石(まるいし)に乗(の)り移(うつ)り、夜(よる)になるとすすり泣(な)く夜泣(よな)き石(いし)となりました。その泣(な)き声(ごえ)に気(き)づいた近(ちか)くの寺(てら)の和尚(おしょう)が赤(あか)ん坊(ぼう)を音(おと)八(はち)と名付(なづ)け、水(みず)あめを母乳(ぼにゅう)代(か)わりに育(そだ)てます。立派(りっぱ)に育(そだ)った音(おと)八(はち)は、母(はは)を殺(ころ)した轟(とどろき)業右衛門(ごえもん)と偶然(ぐうぜん)出会(であ)い、母(はは)の敵(てき)を討(う)ちます。

製作(せいさく)時期(じき):天保(てんぽう)14年(ねん)(1843)~弘化(こうか)4年(ねん)(1847)。
板元(はんもと):伊場仙(いばせん)(伊場(いば)屋(や)仙三郎(せんざぶろう))

このシリーズは、初代(しょだい)広重(ひろしげ)、三代(さんだい)豊国(とよくに)、国芳(くによし)の3人(にん)の当時(とうじ)代表的(だいひょうてき)人気(にんき)浮世絵師(うきよえし)が分担(ぶんたん)して描(えが)いたものです。
風景(ふうけい)は少(すく)なく人物(じんぶつ)を主(おも)とし、下(した)3分(ぶん)の2が画面(がめん)で、それぞれの宿(やど)にちなんだ伝説(でんせつ)、史跡(しせき)、著名(ちょめい)な出来事(できごと)等(など)を描(えが)き、上(うえ)3分(ぶん)の1に下(した)の絵(え)の説明(せつめい)がなされています。

東海道五十三対 日坂

東海道五十三対(とうかいどうごじゅうさんつい) 日坂(にっさか)

製作(せいさく)時期(じき):天保(てんぽう)14年(ねん)(1843)~弘化(こうか)4年(ねん)(1847)。
板元(はんもと):遠州屋又兵衛(えんしゅうやまたべえ)

島田宿(しまだしゅく)と金谷宿(かなやしゅく)の間(ま)を流(なが)れる大井川(おおいがわ)には、橋(はし)や渡(わた)し舟(ぶね)がなく、人足(にんそく)による徒歩(とほ)渡(わた)しが行(おこな)われているのみであったので、増水(ぞうすい)の際(さい)は川留(かわどめ)めとなり渡(わた)ることができませんでした。そのため、東海道(とうかいどう)の難所(なんしょ)の一(ひと)つに数(かぞ)えられました。

画(が)中(ちゅう)では、大(おお)きな体(からだ)の関取(せきとり)が蓮台(れんだい)に乗(の)り、人足(にんそく)12人(にん)がかりで担(かつ)がれています。この関取(せきとり)は、帯刀(たいとう)し、装飾(そうしょく)の施(ほどこ)された煙管(きせる)を使用(しよう)していることから、藩(はん)お抱(かか)えの力士(りきし)(藩(はん)お抱(かか)えの力士(りきし)になると俸禄(ほうろく)が与(あた)えられる)であると考(かんが)えられます。

このシリーズは、初代(しょだい)広重(ひろしげ)、三代(さんだい)豊国(とよくに)、国芳(くによし)の3人(にん)の当時(とうじ)代表的(だいひょうてき)人気(にんき)浮世絵師(うきよえし)が分担(ぶんたん)して描(えが)いたものです。
風景(ふうけい)は少(すく)なく人物(じんぶつ)を主(おも)とし、下(した)3分(ぶん)の2が画面(がめん)で、それぞれの宿(やど)にちなんだ伝説(でんせつ)、史跡(しせき)、著名(ちょめい)な出来事(できごと)等(など)を描(えが)き、上(うえ)3分(ぶん)の1に下(した)の絵(え)の説明(せつめい)がなされています。

東海道五十三対 島田

東海道五十三対(とうかいどうごじゅうさんつい) 島田(しまだ)の駅(えき) 大井川(おおいがわ)

製作(せいさく)時期(じき):天保(てんぽう)14年(ねん)(1843)~弘化(こうか)4年(ねん)(1847)。
板元(はんもと):伊場仙(いばせん)(伊場(いば)屋(や)仙三郎(せんざぶろう))

源氏(げんじ)の家臣(かしん)であった熊谷直実(くまがいなおざね)について書(か)かれています。
本作(ほんさく)では直実(なおざね)が出家(しゅっけ)した後(のち)の、藤枝(ふじえだ)での逸話(いつわ)が描(えが)かれています。直実(なおざね)は郷里(きょうり)に帰(かえ)る路銀(ろぎん)を長者(ちょうじゃ)から用立(ようだ)てるため、質(しち)として十念仏(じゅうねんぶつ)を唱(とな)えました。

その時(とき)池(いけ)に十(じゅう)の蓮(はす)の花(はな)が咲(さ)きましたが、その後(ご)直実(なおざね)が藤枝(ふじえだ)に戻(もど)り返金(へんきん)し、十念仏(じゅうねんぶつ)を返(かえ)されると、その際(さい)に蓮(はす)の花(はな)が消(き)えていきました。それを見(み)た長者(ちょうじゃ)は、せめて一(ひと)つの念仏(ねんぶつ)は残(のこ)してほしいと乞(こ)い、直実(なおざね)が念仏(ねんぶつ)を与(あた)えると蓮(はす)の花(はな)が再(ふたた)び咲(さ)きました。

このシリーズは、初代(しょだい)広重(ひろしげ)、三代(さんだい)豊国(とよくに)、国芳(くによし)の3人(にん)の当時(とうじ)代表的(だいひょうてき)人気(にんき)浮世絵師(うきよえし)が分担(ぶんたん)して描(えが)いたものです。風景(ふうけい)は少(すく)なく人物(じんぶつ)を主(おも)とし、下(した)3分(ぶん)の2が画面(がめん)で、それぞれの宿(やど)にちなんだ伝説(でんせつ)、史跡(しせき)、著名(ちょめい)な出来事(できごと)等(など)を描(えが)き、上(うえ)3分(ぶん)の1に下(した)の絵(え)の説明(せつめい)がなされています。

東海道五十三対 藤枝

東海道五十三対(とうかいどうごじゅうさんつい) 藤枝(ふじえだ)

製作(せいさく)時期(じき):天保(てんぽう)14年(ねん)(1843)~弘化(こうか)4年(ねん)(1847)。
板元(はんもと):伊場屋久兵衛(いばやきゅうべえ)

岡部(おかべ)の宇津山(うつやま)には「猫石(ねこいし)」という巨石(きょせき)があり、これはその昔(むかし)、山猫(やまねこ)が老女(ろうじょ)に化(ば)けて人々(ひとびと)を脅(おど)かしていたが、石(いし)に姿(すがた)を変(か)えたものであるという逸話(いつわ)があります。

画(が)中(ちゅう)では、老婆(ろうば)が少女(しょうじょ)に襲(おそ)いかかる場面(ばめん)が描(えが)かれていますが、これは「岡崎宿(おかざきしゅく)」を舞台(ぶたい)とした「獨道中(ひとりどうちゅう)五十三(ごじゅうさん)驛(つぎ)」の「岡崎(おかざき)の化(ば)け猫(ねこ)」を題材(だいざい)としているものと思(おも)われます。

このシリーズは、初代(しょだい)広重(ひろしげ)、三代(さんだい)豊国(とよくに)、国芳(くによし)の3人(にん)の当時(とうじ)代表的(だいひょうてき)人気(にんき)浮世絵師(うきよえし)が分担(ぶんたん)して描(えが)いたものです。
風景(ふうけい)は少(すく)なく人物(じんぶつ)を主(おも)とし、下(した)3分(ぶん)の2が画面(がめん)で、それぞれの宿(やど)にちなんだ伝説(でんせつ)、史跡(しせき)、著名(ちょめい)な出来事(できごと)等(など)を描(えが)き、上(うえ)3分(ぶん)の1に下(した)の絵(え)の説明(せつめい)がなされています。

東海道五十三対 岡部

東海道五十三対(とうかいどうごじゅうさんつい) 岡部(おかべ)

製作(せいさく)時期(じき):天保(てんぽう)14年(ねん)(1843)~弘化(こうか)4年(ねん)(1847)。
板元(はんもと):伊場仙(いばせん)(伊場(いば)屋(や)仙三郎(せんざぶろう))

平重衡(たいらのしげひら)と千寿(せんじゅ)の前(まえ)の逸話(いつわ)を描(えが)いています。源氏(げんじ)軍(ぐん)の捕虜(ほりょ)となった重衡(しげひら)と対面(たいめん)した源頼朝(みなもとのよりとも)は、敵方(てきかた)でありながらその器量(きりょう)に感銘(かんめい)を受(う)けたため、丁寧(ていねい)にもてなしました。

重衡(しげひら)は鎌倉(かまくら)へ行(い)く途中(とちゅう)、丸子(まりこ)宿(しゅく)に程近(ほどちか)い長者(ちょうじゃ)の家(いえ)で宿(やど)を取(と)り、長者(ちょうじゃ)の娘(むすめ)・千寿(せんじゅ)の前(まえ)は重衡(しげひら)の世話(せわ)係(がかり)として仕(つか)え、相愛(そうあい)の仲(なか)となります。絵(え)には重衡(しげひら)に舞(まい)を披露(ひろう)する千寿(せんじゅ)の前(まえ)の姿(すがた)が描(えが)かれています。

このシリーズは、初代(しょだい)広重(ひろしげ)、三代(さんだい)豊国(とよくに)、国芳(くによし)の3人(にん)の当時(とうじ)代表的(だいひょうてき)人気(にんき)浮世絵師(うきよえし)が分担(ぶんたん)して描(えが)いたものです。風景(ふうけい)は少(すく)なく人物(じんぶつ)を主(おも)とし、下(した)3分(ぶん)の2が画面(がめん)で、それぞれの宿(やど)にちなんだ伝説(でんせつ)、史跡(しせき)、著名(ちょめい)な出来事(できごと)等(など)を描(えが)き、上(うえ)3分(ぶん)の1に下(した)の絵(え)の説明(せつめい)がなされています。

東海道五十三対 丸子

東海道五十三対(とうかいどうごじゅうさんつい) 丸子(まりこ) 手越(たごし)の古(こ)駅(えき)

製作(せいさく)時期(じき):天保(てんぽう)14年(ねん)(1843)~弘化(こうか)4年(ねん)(1847)。
板元(はんもと):伊場屋久兵衛(いばやきゅうべえ)

画面(がめん)上部(じょうぶ)の団扇(うちわ)型(がた)の枠(わく)のなかには、安倍川(あべかわ)の風景(ふうけい)が描(えが)かれており、画面(がめん)下部(かぶ)では、名産(めいさん)阿部(あべ)茶(ちゃ)の茶摘(ちゃつ)みをする女性(じょせい)が描(えが)かれています。その背景(はいけい)を飛(と)ぶ鳥(とり)はホトトギスで、茶摘(ちゃつ)みの時期(じき)に現(あらわ)れる季節(きせつ)を知(し)らせる鳥(とり)として知(し)られています。
茶葉(ちゃば)の濃(こ)い緑色(みどりいろ)と、背景(はいけい)の淡(あわ)い緑(みどり)色(いろ)の中(なか)で、女性(じょせい)たちの手拭(てぬぐ)いや前掛(まえか)けの赤(あか)い色(いろ)が目(め)を引(ひ)きます。

このシリーズは、初代(しょだい)広重(ひろしげ)、三代(さんだい)豊国(とよくに)、国芳(くによし)の3人(にん)の当時(とうじ)代表的(だいひょうてき)人気(にんき)浮世絵師(うきよえし)が分担(ぶんたん)して描(えが)いたものです。風景(ふうけい)は少(すく)なく人物(じんぶつ)を主(おも)とし、下(した)3分(ぶん)の2が画面(がめん)で、それぞれの宿(やど)にちなんだ伝説(でんせつ)、史跡(しせき)、著名(ちょめい)な出来事(できごと)等(など)を描(えが)き、上(うえ)3分(ぶん)の1に下(した)の絵(え)の説明(せつめい)がなされています。

東海道五十三対 府中

東海道五十三対(とうかいどうごじゅうさんつい) 府中(ふちゅう)



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