ふりがな
江の島の歴史
江の島歴史年表
江の島散策マップ
江の島の文化財
江の島を訪れた人々
資料種類しりょうしゅるい(大分類だいぶんるい):
資料種類しりょうしゅるい(中分類ちゅうぶんるい):
資料種類しりょうしゅるい(小分類しょうぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(大分類だいぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(中分類ちゅうぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(小分類しょうぶんるい):
作者さくしゃ(50音分類おんぶんるい):
作者さくしゃ:
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この作品(さくひん)は、当時(とうじ)の人気(にんき)歌舞伎役者(かぶきやくしゃ)とゆかりの宿場(しゅくば)を背景(はいけい)に描(えが)いたシリーズです。「一ト眼千両(ひとめせんりょう)」とは、一目(ひとめ)見(み)ただけで千両(せんりょう)(訳注(やくちゅう):両(りょう)は江戸時代(えどじだい)の貨幣(かへい)の単位>(たんい)。 千両(せんりょう)は今(いま)でいうと1億円(おくえん)以上(いじょう)の価値(かち)になる。)という大金(たいきん)を払(はら)う価値(かち)があるというたとえです。背景(はいけい)を二代広重(にだいひろしげ)、前景(ぜんけい)の人物(じんぶつ)を国周(くにちか)が分担(ぶんたん)して描(えが)いています。 この人物(じんぶつ)は「白波五人男(しらなみごにんおとこ)」の通称(つうしょう)で知(し)られる歌舞伎(かぶき)の演目(えんもく)「青砥稿花紅彩画(あおとぞうしはなのにしきえ)」に登場(とうじょう)する人物(じんぶつ)の一人(ひとり)で、江の島(えのしま)にゆかりのある弁天小僧菊之助(べんてんこぞうきくのすけ)です。扮(ふん)するは四代目(よんだいめ)市村家橘(いちむらかきつ)(のちの五代(ごだい)尾上菊五郎(おのえきくごろう))です。
東海道(とうかいどう)一(ひ)卜(と)眼(め)千(せん)両(りょう) 藤沢(ふじさわ) 弁天小僧菊之助(べんてんこぞうきくのすけ)
制作(せいさく)時期(じき):安政(やすまさ)元年(がんねん)(1854)2月(がつ)。 板元(はんもと):蔦(つた)吉(きち) これは「相州(そうしゅう)江(え)之(の)嶋(しま)眺望(ちょうぼう)」と対(つい)で、蔦(つた)吉(きち)から出版(しゅっぱん)された中(なか)短冊(たんざく)版(ばん)です。「武相(ぶそう)名所(めいしょ)手鑑(てかがみ)」のための武相(ぶそう)旅行(りょこう)は、5月10日(がつとおか)から6月(がつ)24日(にじゅうよっか)までの45日間(にちかん)におよび、金沢八景(かなざわはっけい)、浦賀(うらが)、秋屋(あきや)、鎌倉(かまくら)、江(え)の島(しま)、大磯(おおいそ)、湯本(ゆもと)、箱根(はこね)を巡(めぐ)る大(だい)旅行(りょこう)でした。この時(とき)書(か)き残(のこ)した「武(ぶ)相(そう)旅(たび)絵日記(えにっき)」を下地(したじ)にしたものが嘉永(かえい)6年(ねん)(1853年(ねん))以後(いご)の作品(さくひん)に多(おお)く、これもその一(ひと)つです。特(とく)にこれら対(つい)の作品(さくひん)は、「秋屋(あきや)の海岸(かいがん)高所(こうしょ)から見(み)た図(ず)」や「秋屋(あきや)の海岸(かいがん)」(両方(りょうほう)肉筆(にくひつ))の二幅(にふく)と構図(こうず)がよく似(に)ています。
鎌倉(かまくら)七里(しちり)が浜(はま)風景(ふうけい)
木版画(もくはんが)の彫師(ほりし)として制作活動(せいさくかつどう)を始(はじ)め、黒田清輝(くろだせいき)に師事(しじ)し、油彩画(ゆさいが)を習得(しゅうとく)している。大正末(たいしょうまつ)から欧米(おうべい)を旅(たび)し風景版画(ふうけいはんが)を多数(たすう)制作(せいさく)しています。同(おな)じく黒田門下(くろだもんか)の版画家(はんがか)ポール・()ジャクレー(Paul Jacoulet)の木版画(もくはんが)の彫(ほ)りを担当(たんとう)したこともあります。 遊行寺(ゆぎょうじ)では、現在(げんざい)でも遊行寺(ゆぎょうじ)の名物(めいぶつ)である大銀杏(おおいちょう)の紅葉(こうよう)が印象的(いんしょうてき)に描(えが)かれています。 日蓮(にちれん)ゆかりの龍口寺(りゅうこうじ)も、静謐(せいひつ)な境内(けいだい)を感(かん)じさせる黒瓦(くろがわら)の整然(せいぜん)とした姿(すがた)を見事(みごと)に描(えが)かれています。
藤沢山(とうたくさん) 遊行寺(ゆぎょうじ)
日蓮(にちれん) 龍口寺(りゅうこうじ)
制作(せいさく) 1935年(ねん) 横浜商工会議所(よこはましょうこうかいぎしょ) 賑(にぎ)わう港(みなと)を大(おお)きく中心(ちゅうしん)に、右手(みぎて)は日吉(ひよし)、上(うえ)は保土ヶ谷(ほどがや)ゴルフ場(じょう)、左手(ひだりて)は金沢八景(かなざわはっけい)あたりまで市域(しいき)を描(えが)き込(こ)んでいます。
横浜市(よこはまし)鳥瞰図(ちょうかんず)
関東地方(かんとうちほう)全体(ぜんたい)を裾野(すその)にしたような構図(こうず)で、日本(にっぽん)一(いち)の山(やま)、富士山(ふじさん)を強調(きょうちょう)した作品(さくひん)です。 富士山(ふじさん)の4か所(しょ)の登山(とざん)口(ぐち)と登山道(とざんどう)が描(えが)かれています。浅間神社(あさまじんじゃ)のある富士宮(ふじのみや)の「表(おもて)登山口(とざんぐち)」、鉄路(てつろ)を利用(りよう)しやすい「御殿場(ごてんば)口(ぐち)」、下山(げざん)によく使(つか)われた「須走(すばしり)口(ぐち)」、そして富士山(ふじさん)の北側(きたがわ)から登(のぼ)る「吉田口(よしだぐち)」があり、それぞれの登(のぼ)り口(ぐち)には鳥居(とりい)が立(た)っており、富嶽(ふがく)信仰(しんこう)の道(みち)であることがわかります。
官幣大社(かんぺいたいしゃ)富士山(ふじさん)名所(めいしょ)図絵(ずえ)
富士山(ふじさん)の真東(まひがし)にある須走(すばしり)口(ぐち)の浅間神社(あさまじんじゃ)の鳥居(とりい)の前(まえ)に集(あつ)まる人々(ひとびと)の様子(ようす)を描(えが)いています。 菅笠(すげがさ)に白装束(しろしょうぞく)をまとい、首(くび)から数珠(じゅず)をかけた先達(せんだつ)(登山(とざん)の案内人(あんないにん))が描(えが)かれています。 何人(なんにん)かが肩(かた)に背負(せお)っているのは、御(ご)三幅(みの)の入(はい)った札箱(ふだばこ)です。御(ご)三幅(みの)とは登(のぼる)拝(はい)の際(さい)に祭壇(さいだん)に掲(かか)げる3本(ほん)の掛軸(かけじく)のことで、御(ご)身抜(みぬけ)(富士(ふじ)信仰(しんこう)の世界観(せかいかん)を表(あらわ)した掛軸(かけじく))、浅間神社(あさまじんじゃ)の祭神(さいじん)である木花咲耶姫(このはなさくやひめ)命(いのち)の御影(ごえい)(神仏(しんぶつ)の姿(すがた)を絵(え)に描(か)いたもの)、小(しょう)御嶽(みたけ)神(かみ)の掛軸(かけじく)、をいいます。この画(え)は、もともと団扇(うちわ)に仕立(した)てるために摺(す)られたものが、使用(しよう)されずに残(のこ)ったものです。
富士山(ふじさん)東口(ひがしぐち)須(ず)走(ばし)り之(の)図(ず)
鳥瞰図(ちょうかんず)的(てき)な構図(こうず)に秀(ひい)でていた貞秀(さだひで)には、富士山(ふじさん)を描(えが)いた作品(さくひん)が数多(かずおお)くありますが、これは富士山(ふじさん)をほぼ火口(かこう)の真上(まうえ)から描(えが)いた図(ず)です。よくみると火口(かこう)にはもう一枚(いちまい)の紙(かみ)が折(お)り畳(たた)まれていて、引(ひ)っ張(ぱ)ると立体的(りったいてき)に立(た)ち上(あ)がる仕組(しく)みになっています。また画面(がめん)左(ひだり)の山麓(さんろく)辺(あた)りにはもう一枚(いちまい)紙(し)が張(は)ってあり、それをめくると洞窟(どうくつ)が現(あらわ)れ、胎内巡(たいないめぐ)りをする人々(ひとびと)が描(えが)かれています。これは富士登山(ふじとざん)の行程(こうてい)のひとつである「胎内巡(たいないめぐ)り」を描(えが)いたもので、当時(とうじ)の人気(にんき)の程(ほど)が伺(うかが)えます。
富士山(ふじさん)真景(しんけい)全図(ぜんず)