Fujisawa Net Museum

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箱根山麓(はこねさんろく)渓谷(けいこく)(えが)かれ、画面(がめん)(みぎ)より、明礬山(みょうばんやま)駒ケ嶽(こまがたけ)冠ケ嶽(かんむりがたけ)表記(ひょうき)されています。明礬山(みょうばんやま)現在(げんざい)神山付近(かみやまふきん)(やま)であったと(かんが)えられ、明礬山(みょうばんやま)から産出(さんしゅつ)された明礬(みょうばん)箱根土産(はこねみやげ)(ひと)つであったそうです。

本作(ほんさく)東海道(とうかいどう)名所(めいしょ)風景(ふうけい)に、当代諸家(とうだいしょか)発句集(ほっくしゅう)(はい)した絵俳書(えばいしょ)です。嘉永(かえい)4(ねん)(1851)に版元(はんもと)永楽屋丈助(えいらくやじょうすけ)より刊行(かんこう)された『東海道名所発句集(とうかいどうめいしょほっくしゅう)』の改題本(かいだいぼん)で、(もと)版本(はんぽん)として()()されたものが、江戸(えど)から伊豆(いず)にかけての風景(ふうけい)画帖(がじょう)形式(けいしき)再版(さいはん)されたものらしく、各図(かくず)独立(どくりつ)した一枚(いちまい)()として鑑賞(かんしょう)できるようになっています。本作(ほんさく)(えが)いた時期(じき)広重(ひろしげ)天童藩(てんどうはん)からの依頼(いらい)により多数(たすう)肉筆画(にくひつが)(えが)いており、自然(しぜん)奥行(おくゆ)きを(かん)じさせる構図(こうず)や、(あお)みがかった(あわ)色調(しきちょう)など、肉筆(にくひつ)直接(ちょくせつ)(ふで)(えが)いた作品(さくひん))の風景画(ふうけいが)(つう)じる表現(ひょうげん)()られます。

東海道(とうかいどう)名所(めいしょ) 箱根(はこね)高嶺(たかみね)

箱根(はこね)山並(やまな)みを背景(はいけい)に、芦ノ湖(あしのこ)風景(ふうけい)(えが)かれています。画面(がめん)(みぎ)()かれている「賽ノ河原(さいのかわら)」は、江戸時代(えどじだい)には地蔵信仰(じぞうしんこう)()として有名(ゆうめい)で、多数(たすう)石仏(せきぶつ)石塔(せきとう)湖畔(こはん)(なら)んでいたとされます。左下(ひだりした)()かれている「権現道(ごんげんどう)」は、箱根権現(はこねごんげん)(しょう)される箱根神社(はこねじんじゃ)(つづ)(みち)です。

本作(ほんさく)東海道(とうかいどう)名所(めいしょ)風景(ふうけい)に、当代諸家(とうだいしょか)発句集(ほっくしゅう)(はい)した絵俳書(えばいしょ)です。嘉永(かえい)4(ねん)(1851)に版元(はんもと)永楽屋丈助(えいらくやじょうすけ)より刊行(かんこう)された『東海道名所発句集(とうかいどうめいしょほっくしゅう)』の改題本(かいだいぼん)で、(もと)版本(はんぽん)として()()されたものが、江戸(えど)から伊豆(いず)にかけての風景(ふうけい)画帖(がじょう)形式(けいしき)再版(さいはん)されたものらしく、各図(かくず)独立(どくりつ)した一枚(いちまい)()として鑑賞(かんしょう)できるようになっています。本作(ほんさく)(えが)いた時期(じき)広重(ひろしげ)天童藩(てんどうはん)からの依頼(いらい)により多数(たすう)肉筆画(にくひつが)(えが)いており、自然(しぜん)奥行(おくゆ)きを(かん)じさせる構図(こうず)や、(あお)みがかった(あわ)色調(しきちょう)など、肉筆(にくひつ)直接(ちょくせつ)(ふで)(えが)いた作品(さくひん))の風景画(ふうけいが)(つう)じる表現(ひょうげん)()られます。

東海道(とうかいどう)名所(めいしょ) 箱根(はこね)湖水(こすい) 権現(ごんげん)(しゃ)

製作時期(せいさくじき):文久(ぶんきゅう)3(ねん)(1863)。
板元(はんもと):辻岡屋文助(つじおかやぶんすけ)

菅笠(すげがさ)(かぶ)った旅装束(たびしょうぞく)女性(じょせい)が、(わか)(むすめ)()(うし)()り、七里ヶ浜(しちりがはま)浜辺(はまべ)悠々(ゆうゆう)()様子(ようす)(えが)かれています。
(うみ)はやや波立(なみだ)ち、海上(かいじょう)には(ふね)(しろ)()(ただよ)っています。
波打(なみう)(ぎわ)()ると、若干(じゃっかん)雲母(きら)(ほどこ)される(とう)()りの工夫(くふう)()られます 。

本作(ほんさく)は、文久(ぶんきゅう)3(ねん)(1863)の十四代将軍(じゅうよんだいしょうぐん)家茂(いえもち)上洛(じょうらく)(さい)して出版(しゅっぱん)された、通称(つうしょう)上洛東海道(じょうらくとうかいどう)」と()ばれるシリーズ作品(さくひん)です。そのため、どの作品(さくひん)にも武士(ぶし)姿(すがた)大名行列(だいみょうぎょうれつ)(えが)かれており、この作品(さくひん)でも右上(みぎうえ)行列(ぎょうれつ)がやってくる様子(ようす)()えます。ただし、実際(じっさい)将軍(しょうぐん)七里ヶ浜(しちりがはま)()たわけではなく、あくまでも想定(そうてい)(えが)かれた作品(さくひん)(かんが)えられます。

文久(ぶんきゅう)3(ねん)(1863)の十四代将軍(じゅうよんだいしょうぐん)家茂(いえもち)上洛(じょうらく)意識(いしき)して出版(しゅっぱん)された東海道(とうかいどう)シリーズで「上洛東海道(じょうらくとうかいどう)」と()われているものです。このシリーズは、どの作品(さくひん)にも武士(ぶし)姿(すがた)大名行列(だいみょうぎょうれつ)(えが)かれています。
東海道(とうかいどう)宿場(しゅくば)だけではなく、街道筋(かいどうすじ)名所(めいしょ)()()げているため、150(まい)()える膨大(ぼうだい)(そろ)(もの)となっています。 (えが)いている絵師(えし)三代(さんだい)歌川豊国(うたがわとよくに)二代(にだい)広重(ひろしげ)をはじめ、十数名(じゅうすうめい)()える当時(とうじ)()れっ()絵師(えし)分担(ぶんたん)して(えが)いています。
この()名所(めいしょ)(ひと)つ「七里ヶ浜(しちりがはま)」に行列(ぎょうれつ)()たという想定(そうてい)(えが)かれたものです。

東海道名所之内 七里ヶ浜の風景

東海道(とうかいどう)名所(めいしょ)()(うち) 鎌倉(かまくら)七里(しちり)(はま)風景(ふうけい)



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