Fujisawa Net Museum

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製作時期(せいさくじき):明治(めいじ)8(ねん)
板元(はんもと):山清(やませい)(山崎屋清七(やまざきやせいしち))

三代広重(さんだいひろしげ)(えが)くこのシリーズは、明治(めいじ)前期(ぜんき)東海道各宿駅(とうかいどうかくしゅくえき)風景(ふうけい)(はな)やかな色彩(しきさい)(幕末(ばくまつ)から明治初期(めいじしょき)海外(かいがい)からあざやかな科学顔料(かがくがんりょう)(はい)使用(しよう)される)で(えが)かれています。

宮宿(みやじゅく)(くわ)名宿(なしゅく)をつなぐ航路(こうろ)海上(かいじょう)七里(しちり)(わた)し」の桑名(くわな)(がわ)船着(ふなつ)()(えが)いています。画面(がめん)(みぎ)見切(みき)れて()える(はしら)伊勢(いせの)国一(くにいち)鳥居(とりい)です。東海道(とうかいどう)(ひがし)から()人々(ひとびと)にとって、この船着(ふなつ)()伊勢(いせの)(くに)(はい)玄関口(げんかんぐち)となるためです。この鳥居(とりい)は、現在(げんざい)でも20(ねん)一度(いちど)式年(しきねん)遷宮(せんぐう)都度(つど)()()えられています。(ちゅう)(けい)()えるのは(くわ)名城(なじょう)です。

東海名所 改正道中記 四十六 桑名

東海(とうかい)名所(めいしょ) 改正(かいせい)道中(どうちゅう)() (よん)十六(じゅうろく) 桑名(くわな) 波止場(はとば)(けい) (みや)(まで)海上(かいじょう)七里(しちり)

製作時期(せいさくじき):明治(めいじ)8(ねん)
板元(はんもと):山清(やませい)(山崎屋清七(やまざきやせいしち))

三代広重(さんだいひろしげ)(えが)くこのシリーズは、明治(めいじ)前期(ぜんき)東海道各宿駅(とうかいどうかくしゅくえき)風景(ふうけい)(はな)やかな色彩(しきさい)(幕末(ばくまつ)から明治初期(めいじしょき)海外(かいがい)からあざやかな科学顔料(かがくがんりょう)(はい)使用(しよう)される)で(えが)かれています。

(みや)桑名(くわな)は、「七里(しちり)(わた)し」と()ばれる海上(かいじょう)交通(こうつう)()(むす)ばれおり、東海道(とうかいどう)(たび)する人々(ひとびと)伊勢神宮(いせじんぐう)熱田神宮(あつたじんぐう)への参詣(さんけい)(きゃく)(にぎ)わっていました。中央(ちゅうおう)(えが)かれているのは、熱田(あつた)(みなと)常夜(じょうや)(とう)です。夜間(やかん)()()(ふね)(ため)に、寛永(かんえい)2(ねん)(1625)に()てられ、承応(じょうおう)3(ねん)(1654)に須賀(すが)(うら)から宮宿(みやじゅく)移設(いせつ)されたものです。

東海名所 改正道中記 四十五 宮

東海(とうかい)名所(めいしょ) 改正(かいせい)道中(どうちゅう)() 熱田(あつた)(はま) (よん)(じゅう)() (みや) 桑名(くわな)(まで)海上(かいじょう)(しち)りのわたし

製作時期(せいさくじき):明治(めいじ)8(ねん)
板元(はんもと):山清(やませい)(山崎屋清七(やまざきやせいしち))

三代広重(さんだいひろしげ)(えが)くこのシリーズは、明治(めいじ)前期(ぜんき)東海道各宿駅(とうかいどうかくしゅくえき)風景(ふうけい)(はな)やかな色彩(しきさい)(幕末(ばくまつ)から明治初期(めいじしょき)海外(かいがい)からあざやかな科学顔料(かがくがんりょう)(はい)使用(しよう)される)で(えが)かれています。

知立(ちりゅう)神社(じんじゃ)は、江戸時代(えどじだい)には「東海道(とうかいどう)三社(さんしゃ)」の(ひと)つに(かぞ)えられ、東海道(とうかいどう)(たび)する人々(ひとびと)には「まむし()け」のご利益(りえき)があるとして信仰(しんこう)されていました。 ()(ちゅう)(えが)かれる人々(ひとびと)(こま)かい描写(びょうしゃ)からは、人情味(にんじょうみ)あふれる情景(じょうけい)(えが)いた初代(しょだい)広重(ひろしげ)画風(がふう)継承(けいしょう)されていることが(かん)じられます。

東海名所 改正道中記 四十三 池鯉鮒

東海(とうかい)名所(めいしょ) 改正(かいせい)道中(どうちゅう)() 四十三(よんじゅうさん) 池鯉鮒(ちりゅう) 知立(ちりゅ)()神社(じんじゃ)

製作時期(せいさくじき):明治(めいじ)8(ねん)
板元(はんもと):山清(やませい)(山崎屋清七(やまざきやせいしち))

矢作橋(やはぎばし)東海道一(とうかいどういち)(なが)さを(ほこ)り、名所(めいしょ)としても()られていました。
幕末(ばくまつ)安政(あんせい)(ねん)(1855)の大洪水(だいこうずい)により(はし)(なが)され、明治(めいじ)4(ねん)(1871)の仮橋(かりばし)架橋(かきょう)まで(はし)()けられていませんでした。

()(えが)かれているのは、その仮橋(かりばし)でしょうか。人力車(じんりきしゃ)洋装(ようそう)人々(ひとびと)()きかっています。また、(はし)のたもとでは、洗濯(せんたく)をする女性(じょせい)や、(みず)()みに()男性(だんせい)姿(すがた)(えが)かれています。

三代広重(さんだいひろしげ)(えが)くこのシリーズは、明治(めいじ)前期(ぜんき)東海道各宿駅(とうかいどうかくしゅくえき)風景(ふうけい)(はな)やかな色彩(しきさい)(幕末(ばくまつ)から明治初期(めいじしょき)海外(かいがい)からあざやかな科学顔料(かがくがんりょう)(はい)使用(しよう)される)で(えが)かれています。

東海名所 改正道中記 四十二 岡崎

東海(とうかい)名所(めいしょ) 改正(かいせい)道中(どうちゅう)() (よん)十二(じゅうに) 岡崎(おかざき) ()はぎ(ばし)



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