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江の島の歴史
江の島歴史年表
江の島散策マップ
江の島の文化財
江の島を訪れた人々
資料種類しりょうしゅるい(大分類だいぶんるい):
資料種類しりょうしゅるい(中分類ちゅうぶんるい):
資料種類しりょうしゅるい(小分類しょうぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(大分類だいぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(中分類ちゅうぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(小分類しょうぶんるい):
作者さくしゃ(50音分類おんぶんるい):
作者さくしゃ:
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板元(はんもと)印(しるし)なし 落款(らっかん)、板元(はんもと)印(しるし)ともになく作者不詳(さくしゃふしょう)となっています。極印(ごくいん)が半分(はんぶん)に切(き)られているので、元(もと)の大(おお)きさは現在(げんざい)のものより少(すこ)し大(おお)きかったと考(かんが)えられます。弁才天(べんざいてん)の開帳(かいちょう)を描(えが)いた作品(さくひん)は多(おお)くありますが、表題(ひょうだい)に開帳(かいちょう)の場所(ばしょ)や年(とし)を明記(めいき)している点(てん)が珍(めずら)しい作品(さくひん)です。 また、江(え)の島(しま)では海士(あま)と呼(よ)ばれる男性(だんせい)が鮑(あわび)取(と)りをしていました。多(おお)くの作品(さくひん)で鮑(あわび)取(と)りをしているのは女性(じょせい)として描(えが)かれていますが、この作品(さくひん)では男性(だんせい)の姿(すがた)で描(えが)かれている点(てん)も注目(ちゅうもく)されます。
相州(そうしゅう)江(え)ノ嶋(しま)弁才天(べんざいてん)上下(じょうげ)ノ宮(みや)己巳(つちのとみ)年(どし)御(ご)開帳(かいちょう)繁栄(はんえい)之(の)全(ぜん)図(ず)
制作(せいさく)時期(じき):文化(ぶんか)頃(ごろ)。 板元(はんもと)印(しるし)なし 浮画(うきえ)とあるように洋風(ようふう)の遠近(えんきん)感(かん)をとり入(い)れた作品(さくひん)ですが、版(ばん)がかなりつぶれていて色(いろ)版(ばん)もずれている点(てん)から、後(こう)版(ばん)の可能性(かのうせい)が強(つよ)いと思(おも)われます。
新版(しんばん)浮(うき)画(え) 江(え)之(の)嶌(しま)金亀(きんき)山(ざん)之(の)遠景(えんけい)
板元(はんもと):根本(ねもと)若(わか)兵衛(べえ) 由比ガ浜(ゆいがはま)の地引網(じびきあみ)の様子(ようす)を描(えが)いた作品(さくひん)です。遠景(えんけい)には江(え)の島(しま)と、さらに奥(おく)には富士山(ふじさん)が見(み)えます。その描法(びょうほう)には誇張(こちょう)があり、網(あみ)にかかった蛸(たこ)や鯛(たい)、鱏(えい)などが大(おお)きくユーモラスに描(えが)かれています。
相州(そうしゅう)江嶌(えのしま)風景(ふうけい)由井浜(ゆいがはま)地引網(じびきあみ)之(の)図(ず)
制作(せいさく)時期(じき):天明(てんめい)年間(ねんかん)(1781~89)頃(ころ)。 板元(はんもと):岩戸屋喜三郎(いわとやきさぶろう) 重政(しげまさ)は北尾(きたお)派(は)の創始者(そうししゃ)で、役者絵(やくしゃえ)などを描(えが)き、安永(あんえい)・天明(てんめい)年間(ねんかん)(1772-89)に画(が)格(かく)の高(たか)い美人画(びじんが)を描(えが)きました。一(いち)枚(まい)絵(え)の錦絵(にしきえ)は少(すく)なく、版本(はんぽん)の挿絵(さしえ)などが多(おお)い絵師(えし)です。また風景画(ふうけいが)では遠近法(えんきんほう)を利用(りよう)した浮絵(うきえ)を手(て)がけています。この作品(さくひん)もまたその一(ひと)つで、高(たか)い視点(してん)から俯瞰(ふかん)的(てき)な構図(こうず)をとり、普通(ふつう)では視野(しや)に入(はい)り切(き)れない部分(ぶぶん)まで描(えが)いているために、海(うみ)が極端(きょくたん)に小(ちい)さくなり湖(みずうみ)を描(えが)いたような感(かん)を与(あた)えます。
浮絵(うきえ)江之島(えのしま)金亀(きんき)山(ざん)並(ならびに)七里ヶ浜(しちりがはま)鎌倉山(かまくらやま)之(の)図(ず)
「酒匂川(さかわがわ)かち渡(わたし)(徒(かち)渡(わた)し)」とあるように、酒匂川(さかわがわ)の渡(わた)しの場面(ばめん)が描(えが)かれています。 酒匂川(さかわがわ)は人足(にんそく)による徒(かち)渡(わた)しが行(おこな)われていました。徒(かち)渡(わた)しは、運(はこ)ぶ人足(にんそく)の数(かず)や乗(の)り物(もの)の種類(しゅるい)、川(かわ)の深(ふか)さで料金(りょうきん)が変(か)わりました。画(が)中(ちゅう)の女性(じょせい)が乗(の)っているのは平(ひら)輦台(れんだい)です。
東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ) 小田原(おだわら)
茶屋(ちゃや)の2階(にかい)から海(うみ)をながめる女性(じょせい)たちの姿(すがた)が描(えが)かれています。神奈川(かながわ)の台町(だいまち)(だいまち)の坂(さか)には、海(うみ)をのぞむ二階(にかい)造(づく)りの茶屋(ちゃや)が軒(のき)を連(つら)ねており、そこから見(み)る波打(なみう)ち際(ぎわ)の景色(けしき)は見事(みごと)であったそうです。
東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ) 神奈川(かながわ)
製作時期(せいさくじき):天保(てんぽう)10年頃(ねんごろ)(1839)。 板元(はんもと):佐野喜(さのきち)(佐野屋喜兵衛(さのやきへえ)) 背景(はいけい)は広重(ひろしげ)の保永堂版東海道(ほえいどうばんとうかいどう)「藤沢(ふじさわ) 遊行寺(ゆぎょうじ)」を下敷(したじ)きにしています 。 女性(じょせい)の後(うし)ろにあるのは、大鋸橋(だいぎりばし)(現在(げんざい)の遊行寺橋(ゆぎょうじばし))と、かつてその際(きわ)にあった江の島(えのしま)一ノ鳥居(いちのとりい)で、女性(じょせい)の頭上(ずじょう)に山(やま)のように描(えが)かれているのが遊行寺(ゆぎょうじ)です。 大(おお)きな木太刀(きだち)と御神酒枠(おみきわく)を担(かつ)いだ大山詣(おおやままい)りの一行(いっこう)は、広重(ひろしげ)の作品(さくひん)では橋(はし)の上(うえ)にいますが、国貞(くにさだ)の図(ず)では鳥居(とりい)の前(まえ)まで来(き)ています。 手前(てまえ)の女性(じょせい)は旅立(たびだ)ちのため帯(おび)を締(し)めているところでしょうか。足元(あしもと)には煙草(たばこ)入(い)れ、風呂敷(ふろしき)包(つつ)み、菅笠(すげがさ)といった旅(たび)の道具(どうぐ)が置(お)かれています。 板元(はんもと)は佐野屋喜兵衛(さのやきへえ)。 国貞(くにさだ)の「美人(びじん)東海道(とうかいどう)」の名(な)で親(した)しまれている本作(ほんさく)は、背景(はいけい)に東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)の宿場(しゅくば)の風景(ふうけい)が、手前(てまえ)には美人(びじん)が各地(かくち)に関連(かんれん)した風俗(ふうぞく)で描(えが)かれます。東海道(とうかいどう)の景色(けしき)が歌川広重(うたがわひろしげ)の代表作(だいひょうさく)「保永堂版東海道(ほえいどうばんとうかいどう)」を下敷(したじ)きにして描(えが)いている点(てん)が特徴(とくちょう)ですが、宮宿(みやしゅく)から京都(きょうと)まで(四日市(よっかいち)除(のぞ)く)は国貞(くにさだ)のオリジナルの絵柄(えがら)となっています。
東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)之(の)内(うち) 藤沢(ふじさわ)図(ず)
遠近道印(おちこちどういん)が作成(さくせい)した元禄(げんろく)3年(ねん)(1690)初版(しょはん)の分間(ふんかん)図(ず)を、さらに桑楊(そうよう)が編集(へんしゅう)・発行(はっこう)したものです。天保(てんぽう)12年(ねん)(1841)に刊行(かんこう)されました。本図(もとず)の凡例(はんれい)に「古(いにしえ)図(ず)は三分(みぶん)一(いち)丁(ちょう)の積(つも)りなり此(この)図(ず)は一分(いちぶ)一(いち)丁(ちょう)の積(つも)りを以(も)ってしるす」とあります。元禄(げんろく)3年(さんねん)版(ばん)は、1丁(ちょう)(約(やく)109m)を3分(ふん)(約(やく)9mm)の縮尺(しゅくしゃく)で、本図(もとず)では1丁(ちょう)(約(やく)109m)を1分(いっぷん)(約(やく)3mm)の縮尺(しゅくしゃく)で描(えが)いています。初版(しょはん)(元禄(げんろく)3年(さんねん))はのちにコンパクトに改訂(かいてい)され、天保(てんぽう)版(ばん)では初版(しょはん)になかった近隣(きんりん)の名所(めいしょ)や茶屋(ちゃや)などの情報(じょうほう)が更(さら)に盛(も)り込(こ)まれています。 天保(てんぽう)版(ばん)では、大阪(おおさか)の吉文字(きちもんじ)屋(や)市兵衛(いちべえ)が出版(しゅっぱん)した「東海道(とうかいどう)分間(ぶんかん)絵図(えず)」を、更(さら)に京都(きょうと)の竹原(たけはら)好(こう)兵衛(ひょうえ)が刊行(かんこう)しており、版元(はんもと)が次々(つぎつぎ)に代(か)わっているのが分(わ)かります。
東海道(とうかいどう)分間絵図(ぶんけんえず)