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江の島の歴史
江の島歴史年表
江の島散策マップ
江の島の文化財
江の島を訪れた人々
資料種類しりょうしゅるい(大分類だいぶんるい):
資料種類しりょうしゅるい(中分類ちゅうぶんるい):
資料種類しりょうしゅるい(小分類しょうぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(大分類だいぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(中分類ちゅうぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(小分類しょうぶんるい):
作者さくしゃ(50音分類おんぶんるい):
作者さくしゃ:
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三代(さんだい) 歌川広重(うたがわひろしげ) 政田屋(まさだや) 版(ばん) 明治(めいじ)3年(ねん)(1870) 文明開化(ぶんめいかいか)の象徴(しょうちょう)である「蒸気(じょうき)(機関(きかん))車(しゃ)」や「人力車(じんりきしゃ)」など、26種類(しゅるい)の多様(たよう)な「車(くるま)」が、振(ふ)り出(だ)しの「大砲車(たいほうしゃ)」から、上(あ)がりの「御所車(ごしょぐるま)」まで並(なら)べられた、廻(まわ)り双六(すごろく)です。 肩車(かたぐるま)や銭車(ぜにぐるま)など、「車(くるま)」でないものもありますが、そこはご愛敬(あいきょう)です。
流行(りゅうこう)車尽(くるまづく)し廻(まわり)双禄(すごろく)
歌川国貞(うたがわくにさだ)(三代(さんだい) 豊国(とよくに)) 弘化(こうか)‐嘉永(かえい)年間(ねんかん)(1844‐54)頃(ごろ) 絵(え)に添(そ)えられた俳句(はいく)と詞書(ことばがき)(ことばがき)(画(が)中(ちゅう)に記(しる)されている説明(せつめい)文(ぶん))から、それぞれの七福神(しちふくじん)のイメージを見立(みた)てたシリーズ作品(さくひん)の一(いち)図(ず)です。本(ほん)図(ず)では、手拭(てぬぐ)いを巻(ま)いて女性(じょせい)の頭(あたま)が長(なが)くなっているところから福禄寿(ふくろくじゅ)を連想(れんそう)させています。句(く)にみえる杉田(すぎた)(現(げん)横浜市磯子区(よこはましいそごく))は江戸時代(えどじだい)から梅(うめ)の名所(めいしょ)として知(し)られています。詞書(ことばがき)にみえる「亀(かめ)(かめ)の甲(こ)(こ)煎餅(せんべい)(せんべい)」は、神奈川宿(かながわしゅく)の名物(めいぶつ)で、図(ず)中(ちゅう)の駕籠(かご)(かご)の中(なか)にも描(えが)かれています。
誹諧(はいかい)七福神(しちふくじん)之(の)内(うち) 福禄寿(ふくろくじゅ)
歌川広重(うたがわひろしげ) 安政(あんせい)4年(ねん)(1857) 江戸時代(えどじだい)、道中双六(どうちゅうすごろく)は数多(かずおお)く作(つく)られました。特(とく)に多(おお)かったのが東海(とうかい)道中双六(どうちゅうすごろく)でした。この双六(すごろく)は、江戸(えど)から京都(きょうと)に向(む)かう途中(とちゅう)、伊勢神宮(いせじんぐう)に立(た)ち寄(よ)る経路(けいろ)で描(えが)かれています。右下(みぎした)が振(ふ)り出(だ)しの日本橋(にほんばし)、右(みぎ)上(うえ)が上(あ)がりの京都(きょうと)です。画(が)は実際(じっさい)の地理(ちり)とは異(こと)なるダイナミックな構図(こうず)を用(もち)い、東海道(とうかいどう)が富士山(ふじさん)を取(と)り囲(かこ)んでいるかのように強調(きょうちょう)されています。
参宮(さんぐう)上京(じょうきょう)道中(どうちゅう)一覧(いちらん)双六(すごろく)
園原屋正助(そのはらやしょうすけ)版(ばん) 文久(ぶんきゅう)2年(ねん)(1862年(ねん)) 日本橋(にほんばし)を振(ふ)り出(だ)し、京都(きょうと)を上(あ)がりとする道中双六(どうちゅうすごろく)。保土ヶ谷(ほどがや)・戸塚(とつか)間(かん)からの金沢道(かなざわみち)や、四(よ)ツ谷(や)からの大山道(おおやまみち)、富士川(ふじかわ)の先(さき)の身延(みのぶ)道(みち)、掛川(かけがわ)からの秋葉(あきは)道(みち)など、多(おお)くの脇道(わきみち)が書(か)き込(こ)まれています。 金沢道(かなざわみち)は、のうけんどう(能見堂(のうけんどう))・金沢(かなざわ)(八景(はっけい))・明神(みょうじん)(瀬戸神社(せとじんじゃ))・光明寺(こうみょうじ)・鶴ヶ岡(つるがおか)・大仏(だいぶつ)・由井(ゆい)ヶ(が)浜(はま)・七里(しちり)ヶ(が)浜(はま)・江乃島(えのしま)・藤沢(ふじさわ)と続(つづ)き、四(よ)ツ谷(や)のマスからの大山道(おおやまみち)は、まへふとう(前不動(まえふどう))・大山(おおやま)石尊(せきそん)大権現(だいごんげん)から道了宮(どうりょうぐう) (道了尊(どうりょうそん)、大雄山(だいゆうざん)最乗寺(さいじょうじ))を経(へ)て小田原(おだわら)に至(いた)る道(みち)が記(しる)されています。
当年(とうねん)新板(しんばん)東海道(とうかいどう)名所(めいしょ)案内(あんない)双陸(すごろく)
東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)の道筋(みちすじ)をコンパクトにまとめた摺(す)りものです。全体(ぜんたい)を覆(おお)うように富士山(ふじさん)が大(おお)きく描(えが)かれています。左端(ひだりはし)の句(く)は「けふ(きょう)も見(み)え きのふ(きのう)みへ(見(み)え)けるふじの山(やま)」と書(か)かれています。
東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)道案内(みちあんない) 木曽(きそ)海道(かいどう)筋(すじ)
二代(にだい) 歌川広重(うたがわひろしげ)(重宣(しげのぶ)) 安政(あんせい)3年(ねん)(1856) 初代(しょだい)広重(ひろしげ)の「六十余州名所図会(ろくじゅうよしゅうめいしょずえ)」の図(ず)を引用(いんよう)した双六(すごろく)です。元(もと)の図(ず)が大判(おおばん)錦絵(にしきえ)であるため、細(こま)かい部分(ぶぶん)は省略(しょうりゃく)されていますが、一(いち)画面(がめん)の中(なか)での構図(こうず)は元(もと)の図(ず)に忠実(ちゅうじつ)なものとなっています。
大日本(だいにっぽん)六十余州(ろくじゅうよしゅう) 名所(めいしょ)一覧(いちらん)振分(ふりわけ)双六(すごろく)
慶応(けいおう)元年(がんねん)(1865年(ねん)) 末広(すえひろ)(扇子(せんす))をマスに見立(みた)てた五十三次(ごじゅうさんつぎ)の道中双六(どうちゅうすごろく)です。右下(みぎした)の振(ふ)り出(だ)し・日本橋(にほんばし)の「東雲(しののめ)の景(けい)」から始(はじ)まって、すべて行列(ぎょうれつ)が描(えが)きこまれていますが、中央(ちゅうおう)の上(あ)がりの京(きょう)では、公家(くげ)装束(しょうぞく)の人物(じんぶつ)が三方(さんぽう)に乗(の)せたお墨付(すみつ)き(文(ぶん))をかしこまる武士(ぶし)に与(あた)えている画(え)で、徳川将軍(とくがわしょうぐん)家茂(いえもち)の上洛(じょうらく)、参内(さんだい)(宮中(きゅうちゅう)への参上(さんじょう))の絵(え)であることをほのめかしています。 藤沢宿(ふじさわしゅく)には、名所(めいしょ)であった「南湖(なんご)のまつ原(はら)」が描(えが)かれています。南湖(なんこ)は現在(げんざい)、茅ヶ崎(ちがさき)市域(しいき)になりますが、当時(とうじ)は藤沢宿(ふじさわしゅく)の延長(えんちょう)としてとらえられ、浮世絵(うきよえ)などには藤沢宿(ふじさわしゅく)の風景(ふうけい)の定番(ていばん)のひとつでした。
東海道(とうかいどう)末広(すえひろ)五十三次(ごじゅうさんつぎ)名所(めいしょ)双六(すごろく)
作者(さくしゃ)、制作(せいさく)年代(ねんだい)不詳(ふしょう) 表題(ひょうだい)は表紙(ひょうし)に墨書(ぼくしょ)されている名称(めいしょう)で、行幸(ぎょうこう)(天皇(てんのう)や上皇(じょうこう)の外出(がいしゅつ)のこと)を指(さ)し、外出(がいしゅつ)に際(さい)し、たどるであろう道筋(みちすじ)を仮定(かてい)したものと思(おも)われます。東海道(とうかいどう)を題材(だいざい)にしていますが、単色(たんしょく)刷(ず)りで古(ふる)い形態(けいたい)のものと思(おも)われ、京都(きょうと)から先(さき)の大坂(おおさか)までの京街道(きょうかいどう)の宿々(しゅくじゅく)や宿(しゅく)の間(あいだ)の観光(かんこう)スポットも含(ふく)んだ、100を超(こ)えるマス(地名(ちめい))が記載(きさい)されています。 「ふりはじめ」(振(ふ)り出(だ)し)は大坂(おおさか)で、草津宿(くさつしゅく)から東海道(とうかいどう)と中山道(なかせんどう)に分(わ)かれ、途中(とちゅう)、伊勢(いせ)や江(え)の島(しま)・鎌倉(かまくら)などの観光(かんこう)スポットを回遊(かいゆう)しながら江戸(えど)に至(いた)るものです。 サイコロは通常(つうじょう)の1~6の目(め)ではなく、五(ご)・十(じゅう)・三(さん)・つ・き・■の六(ろく)面(めん)を用(もち)いていていたようで、 五(ご) やく(役(やく))あるは、しるし有(あり) 印(しるし)なきは、かず(数(かず))の通行(つうこう) 十(じゅう) 右(みぎ)同断(どうだん) 三(さん) 右(みぎ)同断(どうだん) つ やく有(あり)は、しるしあり 印(しるし)なきは、一(ひと)ツ行(いく) き やく有(あり)は、印(しるし)あり 印(しるし)なきは、二(ふた)ツ行(いく) ■ 此(この)(この)目(め)にても、一度(いちど)ツヽ やすみ(休(やす)み) と図(ず)中(ちゅう)に解説(かいせつ)があります。 藤沢宿(ふじさわしゅく)からは砂州(さす)をかたどった道(みち)が「江(え)のしま」に伸(の)び、さらに、大(おお)ほとけ(大仏(だいぶつ))、ゆきの下(した)(雪ノ下(ゆきのした))、ゆいがはま(由比ヶ浜(ゆいがはま))、かまくら(鎌倉(かまくら))、つるがおか(鶴岡(つるがおか))、くわうめうじ(光明寺(こうみょうじ))、かなさは(金沢(かなざわ))、よくみ山(やま)(能見台(のうけんだい))を経(へ)て神奈川宿(かながわしゅく)に至(いた)るルートが記(しる)されています。
題名不詳(だいめいふしょう)(五十三(ごじゅうさん)つき双六(すごろく))(みゆき双六(すごろく))