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江の島の歴史
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江の島散策マップ
江の島の文化財
江の島を訪れた人々
資料種類しりょうしゅるい(大分類だいぶんるい):
資料種類しりょうしゅるい(中分類ちゅうぶんるい):
資料種類しりょうしゅるい(小分類しょうぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(大分類だいぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(中分類ちゅうぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(小分類しょうぶんるい):
作者さくしゃ(50音分類おんぶんるい):
作者さくしゃ:
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製作時期(せいさくじき):天保(てんぽう)10年頃(ねんごろ)(1839)。 板元(はんもと):佐野喜(さのきち)(佐野屋喜兵衛(さのやきへえ)) 国貞(くにさだ)(三代豊国(さんだいとよくに)の前名(まえな))描(えが)くこの東海道(とうかいどう)シリーズは、各宿(かくやど)の風景(ふうけい)をバックにして前面(ぜんめん)に立(た)ち姿(すがた)の美人(びじん)を描(えが)いたもので、全(ぜん)シリーズを通(とお)し、バックの風景画(ふうけいが)は広重(ひろしげ)の保永堂版東海道(ほえいどうばんとうかいどう)に非常(ひじょう)によく似(に)ています。
東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)之(の)内(うち) 川崎(かわさき)之(の)図(ず)
本作品(ほんさくひん)の背景(はいけい)には、広重(ひろしげ)による保永(ほえい)堂(どう)版(ばん)東海道(とうかいどう)の二川(ふたがわ)の絵柄(えがら)がほぼそのまま用(もち)いられており、左(ひだり)には「名物(めいぶつ) かしは餅(もち)」の看板(かんばん)も見(み)られます。手前(てまえ)の人物(じんぶつ)は四代目(よだいめ)市(いち)川小(かわこ)団次(だんじ)演(えん)じる石川(いしかわ)友市(ともいち)で、実(じつ)は大泥棒(おおどろぼう)の石川五右衛門(いしかわごえもん)と同一(どういつ)人物(じんぶつ)です。石川(いしかわ)友市(ともいち)の衣装(いしょう)には正面(しょうめん)摺(ずり)(絵具(えのぐ)を使用(しよう)しないで、圧力(あつりょく)で紙(かみ)の面(めん)をつぶして艶(つや)を出(だ)す技法(ぎほう))が施(ほどこ)されており、一見(いっけん)真(ま)っ黒(くろ)に見(み)える部分(ぶぶん)にも、角度(かくど)によっては模様(もよう)が浮(う)かび上(あ)がるようになっています。
東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)之(の)内(うち) 二川(ふたがわ) 石川(いしかわ)友市(ともいち)(四代目(よだいめ)市(いち)川小(かわこ)団次(だんじ))
元禄(げんろく)期(き)(1688-1704)に起(お)きた大阪(おおさか)の額(がく)風呂(ふろ)の湯(ゆ)女(おんな)であった小(こ)さんと歌舞伎(かぶき)役者(やくしゃ)の金屋(かなや)金五郎(きんごろう)の心中(しんじゅう)事件(じけん)を題材(だいざい)にした演目(えんもく)系統(けいとう)「小(こ)三金(さんきん)五郎(ごろう)物(もの)」に登場(とうじょう)する額(がく)の小(こ)さんが描(えが)かれています。「小(こ)三金(さんきん)五郎(ごろう)物(もの)」は元禄(げんろく)15年(ねん)(1702)に大阪(おおさか)で人形(にんぎょう)浄瑠璃(じょうるり)として最初(さいしょ)に劇化(げきか)されました。江戸(えど)でも文化(ぶんか)8年(ねん)(1811)から劇化(げきか)されていますが、多(おお)くは人物(じんぶつ)名(な)を借(か)りただけで実際(じっさい)の事件(じけん)とかけ離(はな)れた物語(ものがたり)でした。本図(ほんず)で額(がく)の小(こ)さんを演(えん)じる役者(やくしゃ)は刊行(かんこう)時(じ)にはすでに故人(こじん)であった六代目(ろくだいめ)岩井半四郎(いわいはんしろう)です。
東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)の内(うち) 四日市(よっかいち) 額(がく)の小(こ)さん
『本朝(ほんちょう)廿四(にじゅうし) 孝(こう)』に登場(とうじょう)する山本勘助(やまもとかんすけ)(No.18)の老母(ろうぼ)で、演(えん)じる役者(やくしゃ)は六代目(ろくだいめ)市川(いちかわ)団蔵(だんぞう)です。本作(ほんさく)は「御油(ごゆ) 其(その)二」と外題(げだい)にもあるようにグループ1の「御油(ごゆ)」(No.18)と連動(れんどう)するように描(えが)かれています。 三段目(さんだんめ)で老母(ろうぼ)の長男(ちょうなん)横蔵(よこぞう)を嫡子(ちゃくし)景勝(かげかつ)の身代(みが)わりにするために長尾(ながお)方(かた)が家来(けらい)として取(と)り立(た)てにきます。老母(ろうぼ)は死装束(しにしょうぞく)を突(つ)きつけ横蔵(よこぞう)に家来(けらい)になるように言(い)いますが、横蔵(よこぞう)はすでに武田家(たけだけ)に支(ささ)えているため身代(みが)わりになれないと明(あ)かします。三段目(さんだんめ)の最後(さいご)に横蔵(よこぞう)は亡父(ぼうふ)の名(な)山本勘助(やまもとかんすけ)を継(つ)ぎます。
東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)の内(うち) 御油(ごゆ) 其(その) 二山本勘助(にやまもとかんすけ)母(はは)
小冬(こふゆ)は石川五右衛門(いしかわごえもん)を題材(だいざい)とした『木(この)下蔭(したかげ)狭間(はざま)合戦(がっせん)』に登場(とうじょう)する人物(じんぶつ)です。「壬生(みぶ)村(むら)」の段(だん)で家(いえ)の困窮(こんきゅう)により、身売(みう)りされそうになったところを義兄(ぎけい)の石川五右衛門(いしかわごえもん)(No.68)に助(たす)けられます。しかし、五右衛門(ごえもん)が盗賊(とうぞく)であると知(し)った父(ちち)治右衛門(じうえもん)が自害(じがい)しようとするのを止(と)める最中(さいちゅう)に過(よぎ)って刀(かたな)が刺(さ)さり、死(し)んでしまいます。 演(えん)じる役者(やくしゃ)は人気(にんき)の若(わか)女方(おんながた)であった三代(さんだい)目(め)市川門之助(いちかわもんのすけ)です。本図(ほんず)刊行(かんこう)時(じ)にはすでに故人(こじん)でした。
東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)の内(うち) 二川(ふたがわ) 小冬(こふゆ)
平忠度(たいらのただのり)は『平家物語(へいけものがたり)』で取(と)り上(あ)げられている実在(じつざい)した武将(ぶしょう)です。忠度(ただのり)は文武(ぶんぶ)ともに優(すぐ)れた武将(ぶしょう)で、『千載(せんざい)和歌(わか)集(しゅう)』に彼(かれ)が「故郷(こきょう)の花(はな)」という題(だい)で詠(よ)んだ歌(うた)が一句(いっく)掲載(けいさい)されています。忠度(ただのり)を討(う)ったのは岡部忠澄(おかべただずみ)という武将(ぶしょう)ですが、忠澄(ただずみ)は討(う)ち取(と)った後(あと)で忠度(ただのり)と気付(きづ)き、忠澄(ただずみ)を含(ふく)め敵味方(てきみかた)で惜(お)しい人物(じんぶつ)を斬(き)ってしまったと悔(く)やんだといいます。似顔(にがお)の役者(やくしゃ)は端正(たんせい)な顔立(かおだ)ちと華(はな)やかさで人気(にんき)だった八代(はちだい)目(め)市川團十郎(いちかわだんじゅうろう)です。背景(はいけい)には岡部忠澄(おかべただずみ)にちなんだと思(おも)われる岡部(おかべ)宿(しゅく)が描(えが)かれています。
東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)ノ内(うち) 岡部(おかべ)駅(えき)ノ上(うえ) 忠度(ただのり)(八代(はちだい)目(め)市川團十郎(いちかわだんじゅうろう))
五代目(ごだいめ)沢村(さわむら)長十郎(ちょうじゅうろう)が嘉永(かえい)2年(ねん)(1849)に演(えん)じた『伊達(だて)旭盛(ぜんせい)桜(さくらの)彩(いろ)幕(まく)』の足利(あしかが)三七郎(さんしちろう)義高(よしたか)だと思(おも)われます。『伊達(だて)旭盛(ぜんせい)桜(さくらの)彩(いろ)幕(まく)』は「馬(うま)切(き)り」系統(けいとう)の演目(えんもく)で、上演(じょうえん)年(ねん)に出版(しゅっぱん)された足利(あしかが)三七郎(さんしちろう)義高(よしたか)の浮世絵(うきよえ)には「馬(うま)切(き)り」らしき場面(ばめん)を描(えが)いているものがあります。「馬(うま)切(ぎ)り」は寛政(かんせい)6年(ねん)(1794)初演(しょえん)の『けいせい青陽(せいよう)鶏(けい)』の五幕(まく)目(め)「泉州(せんしゅう)堺(さかい)大和(やまと)橋(ばし)の場(ば)」の通称(つうしょう)です。三七信孝(さんしちのぶたか)が三千両(さんぜんりょう)を積(つ)んだ馬(うま)を橋(はし)の前(まえ)で待(ま)ち伏(ぶ)せて、馬方(うまかた)を斬(き)って、三千両(りょう)を奪(うば)うという筋書(すじが)きです。 本図(ほんず)の背景(はいけい)は石薬師(いしやくし)宿(しゅく)の入口(いりぐち)を描(えが)いており、歌川(うたがわ)広重(ひろしげ)の蔦屋(つたや)版(ばん)東海道(とうかいどう)を引用(いんよう)しています。また、外題(げだい)の短冊(たんざく)枠(わく)には「馬(うま)切(き)り」にちなんで橋(はし)と千両(ちぎり)箱(はこ)と思(おも)わしきものがあしらわれています。
東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)の内(うち) 石薬師(いしやくし) よし高(たか)(五代目(ごだいめ)沢村(さわむら)長十郎(ちょうじゅうろう))
昔話(むかしがたり)黄鳥(うぐいす)塚(づか)』(通称(つうしょう)「鶯塚(おうずか)」)の敵役(かたきやく)である大八(だいはち)(大仁(だいじん)坊(ぼう))を描(えが)いていると思(おも)われます。演(えん)じる役者(やくしゃ)は四代目(だいめ)大谷(おおや)友右衛門(ともえもん)です。 『昔話(むかしがたり)黄鳥(うぐいす)塚(づか)』は栗(りつ)杖(じょう)亭(てい)鬼卵(きらん)の読本(とくほん)を基(もと)にした演目(えんもく)で、長者(ちょうじゃ)の娘(むすめ)梅ヶ枝(うめがえ)の鶯(うぐいす)を助(たす)けたことがきっかけで、長者(ちょうじゃ)の婿(むこ)になった佐々木(ささき)源之助(げんのすけ)が鶯(うぐいす)の助(たす)けで親(おや)の敵(てき)を討(う)つ物語(ものがたり)です。 背景(はいけい)は画面(がめん)中央(ちゅうおう)の鳥居(とりい)及(およ)び鳥居前(とりいまえ)の松(まつ)の木(き)の描写(びょうしゃ)から歌川(うたがわ)広重(ひろしげ)の蔦屋(つたや)版(ばん)東海道(とうかいどう)を引用(いんよう)したものだと思(おも)われます。
東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)の内(うち) 四日市(よっかいち) 鶯塚(うぐいすづか)大八(だいはち)