ふりがな
江の島の歴史
江の島歴史年表
江の島散策マップ
江の島の文化財
江の島を訪れた人々
資料種類しりょうしゅるい(大分類だいぶんるい):
資料種類しりょうしゅるい(中分類ちゅうぶんるい):
資料種類しりょうしゅるい(小分類しょうぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(大分類だいぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(中分類ちゅうぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(小分類しょうぶんるい):
作者さくしゃ(50音分類おんぶんるい):
作者さくしゃ:
フリーワード:
『廓文章(くるわのぶんしょう)』というこの演目(えんもく)は通称(つうしょう)「吉田屋(よしだや)」と呼(よ)ばれ、吉田屋(よしだや)の夕霧(ゆうぎり)という遊女(ゆうじょ)が豪商(ごうしょう)の若旦那(わかだんな)の伊左衛門(いさえもん)に身請(みう)けされるまでを描(えが)いた作品(さくひん)です。近松(ちかまつ)門左衛門(もんざえもん)作(さく)の人形(にんぎょう)浄瑠璃(じょうるり)『夕霧(ゆうぎり)阿波(あわの)鳴渡(なると)』の「吉田屋(よしだや)の段(だん)」を、歌舞伎(かぶき)の世話物(せわもの)に書(か)き換(か)えた演目(えんもく)です。演(えん)じているのは四代目(よだいめ)尾上梅幸(おのえばいこう)(四代目(よだいめ)尾上菊五郎(おのえきくごろう))は品(しな)のある風貌(ふうぼう)で人気(にんき)の女形(おんながた)でした。 背景(はいけい)には豊川(とよかわ)に架(か)けられた吉田(よしだ)大橋(おおはし)と吉田城(よしだじょう)とが描(えが)かれており、歌川(うたがわ)広重(ひろしげ)の蔦屋(つたや)版(ばん)東海道(とうかいどう)を引用(いんよう)したものだと思(おも)われます。
東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)の内(うち) 吉田(よしだ)之(の)駅(えき) 夕霧(ゆうぎり)(四代目(よだいめ)尾上梅幸(おのえばいこう)(四代目(よだいめ)尾上菊五郎(おのえきくごろう))
『博多(はかた)小(こ)女郎(じょろう)波枕(なみまくら)』に登場(とうじょう)する博多(はかた)の奥田(おくだ)屋(や)の遊女(ゆうじょ)小(こ)女郎(じょろう)が描(えが)かれています。演(えん)じる役者(やくしゃ)は三代(さんだい)岩井粂三郎(いわいくめさぶろう)です。小(こ)女郎(じょろう)は知(し)らずに乗(の)り合(あ)わせた海賊船(かいぞくせん)で密輸(みつゆ)の現場(げんば)を目撃(もくげき)して海(うみ)に投(な)げ込(こ)まれた小町屋(こまちや)宗七(そうしち)の恋人(こいびと)です。 背景(はいけい)は海上(かいじょう)一里(いちり)といわれた今切(いまぎれ)の渡(わた)しを船(ふね)が対岸(たいがん)(西岸(せいがん))の荒(あら)井宿(いじゅく)へと向(む)かっている様子(ようす)が描(えが)かれています。遠景(えんけい)に見(み)える船(ふね)の描写(びょうしゃ)から歌川(うたがわ)広重(ひろしげ)の蔦屋(つたや)版(ばん)東海道(とうかいどう)を引用(いんよう)したものだと思(おも)われます。
東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)の内(うち) 荒井(あらい)駅(えき) 小(こ)女郎(じょろう)(三代目(さんだいめ)岩井粂三郎(いわいくめさぶろう))
『三千両(さんぜんりょう)初(はつ)春駒(はるのこま)曳(ひき)』に登場(とうじょう)する小早川(こばやかわ)帯刀(たてわき)です。織田(おだ)信長(のぶなが)の後継者(こうけいしゃ)争(あらそ)いの話(はなし)です。帯刀(たてわき)は小田(おだ)家(け)の家臣(かしん)です。役者(やくしゃ)は二代目(にだいめ)関(せき)三十郎(さんじゅうろう)で、本図(ほんず)刊行(かんこう)時(じ)にはすでに故人(こじん)でした。 背景(はいけい)には日坂(にっさか)宿(しゅく)の近(ちか)くに位置(いち)する中山(なかやま)峠(とうげ)が描(えが)かれています。道(みち)の真(ま)ん中(なか)にある大(おお)きな石(いし)、夜(よ)啼(なき)石(いし)を、旅人(たびびと)が見(み)ています。歌川(うたがわ)広重(ひろしげ)の蔦屋(つたや)版(ばん)東海道(とうかいどう)をコピーしています。
東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)の内(うち) 日坂(にっさか) 小早川(こばやかわ)帯刀(たてわき)(二代目(にだいめ)関(せき)三十郎(さんじゅうろう))
『桂川(かつらがわ)連理(れんりの)柵(しがらみ)』 の登場(とうじょう)人物(じんぶつ)のお半(はん)が描(えが)かれています。劇中(げきちゅう)で帯屋(おびや)長右衛門(ちょうえもん)は、親子(おやこ)ほど年(とし)の離(はな)れた隣家(りんか)の信濃屋(しなのや)のお半(はん)という娘(むすめ)と関係(かんけい)を持(も)ってしまい、お半(はん)は身籠(みごも)ってしまいます。長右衛門(ちょうえもん)は本妻(ほんさい)を愛(あい)しつつも、最後(さいご)にはお半(はん)と桂川(かつらがわ)で心中(しんじゅう)(ほとんどの場合(ばあい)恋人(こいびと)同士(どうし)や家族(かぞく)が同意(どうい)のうえで一緒(いっしょ)に自殺(じさつ)すること)します。 お半(はん)を演(えん)じるのは三代目(さんだいめ)岩井粂三郎(いわいくめさぶろう)です。 背景(はいけい)は歌川(うたがわ)広重(ひろしげ)の保永(ほえい)堂(どう)版(ばん)東海道(とうかいどう)が背景(はいけい)に引用(いんよう)されています。
「東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)の内(うち) 石部(いしべ) おはん」(三代目(さんだいめ)岩井粂三郎(いわいくめさぶろう))
『桂川(かつらがわ)連理(れんりの)柵(しがらみ)』 の主人公(しゅじんこう)長右衛門(ちょうえもん)が描(えが)かれています。劇中(げきちゅう)で帯屋(おびや)長右衛門(ちょうえもん)は、親子(おやこ)ほど年(とし)の離(はな)れた隣家(りんか)の信濃屋(しなのや)のお半(はん)という娘(むすめ)と関係(かんけい)を持(も)ってしまい、お半(はん)は身籠(みごも)ってしまいます。長右衛門(ちょうえもん)は本妻(ほんさい)を愛(あい)しつつも、最後(さいご)にはお半(はん)と桂川(かつらがわ)で心中(しんじゅう)(ほとんどの場合(ばあい)恋人(こいびと)同士(どうし)や家族(かぞく)が同意(どうい)のうえで一緒(いっしょ)に自殺(じさつ)すること)します。 長右衛門(ちょうえもん)の役者(やくしゃ)は五代目(ごだいめ)沢村(さわむら)長十郎(ちょうじゅうろう)です。 背景(はいけい)は歌川(うたがわ)広重(ひろしげ)の保永(ほえい)堂(どう)版(ばん)東海道(とうかいどう)が背景(はいけい)に引用(いんよう)されています。
東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)の内(うち) 水口(みなくち) 長右衛門(ちょうえもん)(五代目(ごだいめ)沢村(さわむら)長十郎(ちょうじゅうろう))
『勢州(せいしゅう)阿漕(あこぎ)浦(がうら)』の登場(とうじょう)人物(じんぶつ)阿漕(あこぎ)平治(へいじ)が描(えが)かれています。演(えん)じているのは、四代目(よだいめ)市(いち)川小(かわこ)団次(だんじ)です。 背景(はいけい)は歌川(うたがわ)広重(ひろしげ)の保永(ほえい)堂(どう)版(ばん)東海道(とうかいどう)を引用(いんよう)しています。 阿漕(あこぎ)平治(へいじ)は、母(はは)の病気(びょうき)を治(なお)すために殺生禁断(せっしょうきんだん)である阿漕(あこぎ)浦(がうら)にて漁(りょう)を行(おこな)い、偶然(ぐうぜん)宝剣(ほうけん)を手(て)に入(はい)れます。それを目撃(もくげき)した次郎蔵(じろぞう)に脅(おど)されますが、実(じつ)は次郎蔵(じろぞう)が平治(へいじ)の家来(けらい)筋(すじ)(次郎蔵(じろぞう)の家(いえ)が代々(だいだい)平治(へいじ)の家(いえ)に仕(つか)えていた)であることが発覚(はっかく)します。最後(さいご)には次郎蔵(じろぞう)は平治(へいじ)の身代(みが)わりとなって禁漁(きんりょう)の罪(つみ)をかぶります。
東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)の内(うち) 土山(つちやま) 阿漕(あこぎ)平治(へいじ)(四代目(よんだいめ)市(いち)川小(かわこ)団次(だんじ))
『勢州(せいしゅう)阿漕(あこぎ)浦(がうら)』の登場(とうじょう)人物(じんぶつ)平瓦(ひらがわら)の次郎蔵(じろぞう)が描(えが)かれています。演(えん)じているのは三代(さんだい)目関(めせき)三十郎(さんじゅうろう)です。 背景(はいけい)は歌川(うたがわ)広重(ひろしげ)の保永(ほえい)堂(どう)版(ばん)東海道(とうかいどう)を引用(いんよう)しています。 阿漕(あこぎ)平治(へいじ)が、母(はは)の病気(びょうき)を治(なお)すために殺生禁断(せっしょうきんだん)である阿漕(あこぎ)浦(うら)にて漁(りょう)を行(おこな)い、偶然(ぐうぜん)宝剣(ほうけん)を手(て)に入(はい)れます。それを目撃(もくげき)した次郎蔵(じろぞう)は脅(おど)しますが、実(じつ)は次郎蔵(じろぞう)は平治(へいじ)の元(もと)は家来(けらい)であることが発覚(はっかく)します。最後(さいご)には次郎蔵(じろぞう)は平治(へいじ)の身代(みが)わりとなって禁漁(きんりょう)の罪(つみ)をかぶります。
東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)の内(うち) 坂之下(さかのした) 次郎蔵(じろぞう)
本作品(ほんさくひん)の背景(はいけい)には、宮(みや)の熱田神宮(あつたじんぐう)での祭事(さいじ)の様子(ようす)が描(えが)かれていますが、これは広重(ひろしげ)の作品(さくひん)から絵柄(えがら)を写(うつ)したものとなっています。手前(てまえ)に描(えが)かれた人物(じんぶつ)は、八代目(はちだいめ)市川(いちかわ)団十郎(だんじゅうろう)演(えん)じる景清(かげきよ)で、景清(かげきよ)は平家(へいけ)に仕(つか)えた勇猛(ゆうもう)な武士(ぶし)でした。宮(みや)には景清(かげきよ)が隠(かく)れ住(す)んでいたという伝説(でんせつ)があり、景清(かげきよ)を奉(たてまつ)った社(しゃ)もあるため、見立(みたて)として描(えが)かれたと思(おも)われます。また鳴海(なるみ)の人(ひと)丸(まる)は、景清(かげきよ)の娘(むすめ)として歌舞伎(かぶき)や謡曲(ようきょく)に登場(とうじょう)します。
東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)之(の)内(うち) 宮(みや) 景清(かげきよ)(八代(はちだい)目(め)市川(いちかわ)団十郎(だんじゅうろう))