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江の島の歴史
江の島歴史年表
江の島散策マップ
江の島の文化財
江の島を訪れた人々
資料種類しりょうしゅるい(大分類だいぶんるい):
資料種類しりょうしゅるい(中分類ちゅうぶんるい):
資料種類しりょうしゅるい(小分類しょうぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(大分類だいぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(中分類ちゅうぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(小分類しょうぶんるい):
作者さくしゃ(50音分類おんぶんるい):
作者さくしゃ:
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版元(はんもと) 泉屋(いずみや)市兵衛(いちべえ) 文化(ぶんか)6年(ねん)(1809) 江戸時代(えどじだい)初期(しょき)に起(お)きた実際(じっさい)の事件(じけん)を井原(いはら)西鶴(さいかく)が浄瑠璃(じょうるり)に仕立(した)てた『姿(すがた)姫路(ひめじ)清十郎(せいじゅうろう)物語(ものがたり)』をはじめとする「お夏(なつ)清十郎(せいじゅうろう)もの」をベースにした物語(ものがたり)です。
お夏(なつ)清十郎(せいじゅうろう)風(ふう)流伽(りゅうとぎ)三味線(しゃみせん)
版元(はんもと) 蔦屋重三郎(つたやじゅうざぶろう)・鶴屋(つるや)金助(きんすけ) 文化(ぶんか)3 年(ねん)(1806) 書名(しょめい)に「不破(ふわ)名古屋(なごや)」とあるように、戦国時代(せんごくじだい)の傾奇(かぶき)者(しゃ)の名古屋(なごや)山三(さんざ)と不破(ふわ)伴(ばん)左衛門(ざえもん)を主題(しゅだい)にした物語(ものがたり)です。名古屋(なごや)山三(さんざ)は歌舞伎(かぶき)の始祖(しそ)として知(し)られ、美童(びどう)の槍(やり)の名人(めいじん)です。不破(ふわ)伴(ばん)左衛門(ざえもん)のモデルは、豊臣(とよとみ)秀吉(ひでよし)に仕(つか)えた不破万作(ふわまんさく)という小姓(こしょう)で美童(びどう)として知(し)られます。鶴屋(つるや)南北(なんぼく)の歌舞伎(かぶき)の外題(げだい)「鞘当(さやあて)」はこの二人(ふたり)が遊女(あそびめ)の葛城(かつらぎ)を間(あいだ)に争(あらそ)うものです。
濡燕(ぬれつばめ)子(ねぐら)宿(のから)傘(かさ)
版元(はんもと):大坂屋(おおさかや)半蔵(はんぞう) 文化(ぶんか)3年(ねん)(1806) 中国(ちゅうごく)の小説(しょうせつ)を翻案(ほんあん)として南北朝時代(なんぼくちょうじだい)を舞台(ぶたい)にした物語(ものがたり)です。唐(から)琴浦(ことうら)右衛門(えもん)が出世(しゅっせ)のために守護(しゅご)職(しょく)に中国(ちゅうごく)渡来(とらい)の金魚(きんぎょ)を献上(けんじょう)し、名刀(めいとう)を下賜(かし)されます。しかし夫婦(ふうふ)のもつれから、妻(つま)に裏切(うらぎ)られ裏切者(うらぎりもの)から名刀(めいとう)を盗(ぬす)まれたうえ、妾(めかけ)を殺(ころ)されます。主人公(しゅじんこう)は敵討(かたきう)ちのため妻(つま)と裏切者(うらぎりもの)を追(お)うも返(かえ)り討(う)ちにあいます。さらには殺(ころ)された妾(めかけ)の怨(えん)魂(こん)が宿(やど)る金魚(きんぎょ)が災(わざわ)いとなり登場(とうじょう)人物(じんぶつ)たちを祟(たた)るといったストーリーです。後編(こうへん)は未刊(みかん)であり最終的(さいしゅうてき)な物語(ものがたり)の結末(けつまつ)は不明(ふめい)です。
梅(うめの)由兵衛(よしべえ)物語(ものがたり)前編(ぜんぺん) 梅花(ばいか)氷(ひょう)裂(れつ)
鶴屋(つるや)金助(きんすけ) 板行(はんこう) 文化(ぶんか)9年(ねん)(1812) 書名(しょめい):団(だん)七黒(しちくろ)茶碗(ぢゃわん) 釣船(つりふね)之(の)花入(はないれ) 朝(あさ)茶湯(ちゃのゆ)一寸(ちょっと)口切(くちきり) 浄瑠璃(じょうるり)「夏祭(なつまつり)浪花(なみわ)鑑(かがみ)」(並木(なみき)千柳(せんりゅう)・三好(みよし)松(しょう)洛(らく)・竹田(たけだ)小出雲(いずも)合作(がっさく)。延享(えんてい)二年(ねん))を元(もと)ネタとした物語(ものがたり)の読(よ)み物(もの)。遊女(あそびめ)と馴(な)れ初(そ)め、家(いえ)を勘当(かんどう)された武家(ぶけ)の跡取(あとと)りが、もとは父(ちち)の家臣(かしん)であった魚屋(さかなや)を商(あきな)う団七(だんしち)のもとに身(み)を寄(よ)せながら功(こう)をたて帰参(きさん)する機会(きかい)をうかがうストーリーです。「夏祭(なつまつり)浪花(なにわ)鑑(かがみ)」の登場(とうじょう)人物(じんぶつ)の一寸(ちょっと)徳兵衛(とくべえ)を大阪(おおさか)の人形(にんぎょう)師(し)として登場(とうじょう)させることで、そのつながりから本作(ほんさく)の挿(さし)絵(え)を描(か)いている歌川豊国(うたがわとよくに)の亡父(ぼうふ)の倉橋(くらはし)五郎兵衛(ごろべえ)が役者(やくしゃ)似顔(にがお)の人形(にんぎょう)師(し)として名人(めいじん)であったことを紹介(しょうかい)し、今(いま)の豊国(とよくに)が役者(やくしゃ)似顔(にがお)の浮世絵(うきよえ)の名人(めいじん)であることは親子(おやこ)である必定(ひつじょう)として巻頭(かんとう)で説(と)いています。豊国(とよくに)の生涯(しょうがい)を知(し)る上(うえ)で貴重(きちょう)な記録(きろく)としても知(し)られる作品(さくひん)です。
朝(あさ)茶湯(ちゃのゆ)一寸(ちょっと)口切(くちきり)
近世(きんせい)初期(しょき)の市井(しせい)の風俗(ふうぞく)、人物(じんぶつ)の逸話(いつわ)、旧蹟(きゅうせき)の情報(じょうほう)などを、古書画(こしょが)をもとに、また京伝(きょうでん)自身(じしん)がその場所(ばしょ)を訪(おとず)れたりして考証(こうしょう)した随筆(ずいひつ)です。京伝(きょうでん)は、典拠(てんきょ)とした資料(しりょう)を示(しめ)しながら緻密(ちみつ)な考証(こうしょう)を行(おこな)っています。現在(げんざい)でも風俗(ふうぞく)・説話(せつわ)の研究(けんきゅう)に使用(しよう)される資料(しりょう)が多数(たすう)引用(いんよう)されています。 この中(なか)に取(と)り上(あ)げられた事物(じぶつ)や人物(じんぶつ)が、文化(ぶんか)年間(ねんかん)の京伝(きょうでん)の読本(よみほん)・合巻(ごうかん)に取(と)り入(い)れられている例(れい)も多(おお)く見(み)られます。遺作(いさく)となった、未完(みかん)の「骨董(こっとう)集(しゅう)」とともに、江戸(えど)時代(じだい)の風俗(ふうぞく)史(し)研究(けんきゅう)の貴重(きちょう)な資料(しりょう)となっています。
近世(きんせい)奇跡(きせき)考(こう)
版元(はんもと) 鉛(なまり)屋(や)安兵衛(やすべえ) 文政(ぶんせい)7年(ねん)(1824) 大坂(おおさか)で出版(しゅっぱん)された江戸(えど)市中(しちゅう)の呉服(ごふく)や武具(ぶぐ)、薬(くすり)など様々(さまざま)な買物(かいもの)や飲食店(いんしょくてん)の商店(しょうてん)約(やく)2600店(てん)を紹介(しょうかい)するガイドブックです。店舗(てんぽ)の広告(こうこく)も兼(か)ねていたため広告(こうこく)料(りょう)をとったとも言(い)われます。 挿絵(さしえ)を葛飾北斎(かつしかほくさい)、序文(じょぶん)を大田(おおた)南畝(なんぽ)の当時(とうじ)の人気(にんき)絵師(えし)と随筆家(ずいひつか)に依頼(いらい)したかなりの熱量(ねつりょう)で編纂(へんさん)されており、ベストセラーとして全国(ぜんこく)に流布(るふ)されていたようです。 蔦屋重三郎(つたやじゅうざぶろう)の死後(しご)の刊行(かんこう)であり小伝馬町(こでんまちょう)に移転(いてん)していますが、新吉原(しんよしわら)細見(さいけん)版本(はんぽん)と記載(きさい)されており、二代目(だいめ)がしっかりと稼業(かぎょう)を引(ひ)き継(つ)いでいたこともうかがえます。
江戸(えど)買物(かいもの)独(ひとり)案内(あんない)
蔦屋重三郎(つたやじゅうざぶろう)は、吉原(よしわら)に創業(そうぎょう)した版本(はんぽん)の小売店(こうりてん)から身(み)を起(お)こしました。固定客(こていきゃく)が見込(みこ)める吉原(よしわら)細見(さいけん)や富本節(とみもとぶし)などの版本(はんぽん)の販売(はんばい)する権利(けんり)を得(え)ながら店舗(てんぽ)を拡大(かくだい)していきました。 吉原(よしわら)細見(さいけん) 吉原(よしわら)細見(さいけん)は、吉原(よしわら)のガイド本(ぼん)として販売(はんばい)されていました。展示(てんじ)の吉原(よしわら)細見(さいけん)は天保(てんぽう)期(き)の発刊(はっかん)です。 富本節(とみもとぶし)正本(せいほん)「道行(みちゆき)野辺(のべ)之(の)書置(かきおき)」 富本節(とみもとぶし)は、三味線(しゃみせん)を演奏(えんそう)しながら物語(ものがたり)に節(ふし)をつけて唄(うた)う浄瑠璃(じょうるり)から派生(はせい)した謡曲(ようきょく)の一種(いっしゅ)です。義太夫(ぎだゆう)とも呼(よ)ばれます。正本(せいほん)は歌詞(かし)や節(ふし)の上(あ)げ下(さ)げなどを記述(きじゅつ)した譜面(ふめん)の役割(やくわり)であり、富本節(とみもとぶし)正本(せいほん)は義太夫(ぎだゆう)ブームを背景(はいけい)にかなりの販売(はんばい)数(すう)を誇(ほこ)り、蔦屋(つたや)の運営(うんえい)上(じょう)の基盤(きばん)となる主力(しゅりょく)商品(しょうひん)でした。「道行(みちゆき)野辺(のべ)之(の)書置(かきおき)」は、鶴屋(つるや)南北(なんぼく)の「心(しん)中天(じゅうてん)之(の)網島(あみしま)」から派生(はせい)した通称(つうしょう)「紙治(かみじ)物(もの)」と呼(よ)ばれる、紙屋(かみや)治兵衛(じへえ)とこはるの心中(しんじゅう)話(はなし)の富本節(とみもとぶし)での別称(べっしょう)のひとつです。展示(てんじ)中(ちゅう)の版本(はんぽん)は、三代目(だいめ)富本(とみもと)豊前太夫(ぶぜんだゆう)による正本(せいほん)で、文化(ぶんか)年間(ねんかん)頃(ごろ)の版行(はんこう)です。蔦屋(つたや)の在所(ざいしょ)も通(とおり)油町(あぶらちょう)から移転(いてん)し浅草寺(せんそうじ)雷(らい)門前(もんまえ)並木町(なみきちょう)東側(ひがしがわ)になっています。
蔦屋重三郎(つたやじゅうざぶろう)の発展(はってん)の足掛(あしが)かりとなった版本(はんぽん)
版元(はんもと) 蔦屋重三郎(つたやじゅうざぶろう) 開板(かいはん) 江戸(えど)から小湊(こみなと)(現(げん)千葉県(ちばけん)鴨川市(かもがわし))の誕生寺(たんじょうじ)までの道中(どうちゅう)を記(しる)した版本(はんぽん)です。日蓮(にちれん)の弟子(でし)である日(に)家(か)が日蓮(にちれん)の生家(せいか)跡(あと)に高(こう)光山(こうさん)日蓮(にちれん)誕生寺(たんじょうじ)として鎌倉時代(かまくらじだい)の1276年(ねん)(建治(けんじ)2年(ねん))建立(こんりゅう)されました。山号(さんごう)は小湊(こみなと)山(さん)です。 喜多川(きたがわ)歌麿(うたまろ)がその雅号(がごう)を名乗(なの)る直後(ちょくご)に挿(さし)絵(え)を描(か)いた版本(はんぽん)として知(し)られますが、現存(げんそん)数(すう)が極(きわ)めて少(すく)なく展示(てんじ)された記録(きろく)をみつけることは難(むずか)しく、浮世絵(うきよえ)研究者(けんきゅうしゃ)の渋井清(しぶいきよし)氏(し)の著書(ちょしょ)で部分的(ぶぶんてき)に掲載(けいさい)されているものがみられるだけです。跋(ばつ)(奥書(おくがき))を大田(おおた)南畝(なんぽ)が書(か)いているところも、蔦屋重三郎(つたやじゅうざぶろう)との関係性(かんけいせい)をみることができます。
古湊(こみなと)道中記(どうちゅうき)